仮面越しの彼女

書三代ガクト

第1話 変更前

 慣れた手つきで、動画サイトを開いた。左上の通知ボタンから、数分前に始まった配信を押す。画面上でひらりと垂れリボンが舞い、ふとあかね色が頭に広がった。

 僕と彼女しかいない教室、机に差す光とその上に広げられたノート。そこに描かれたキャラクター。


 そんな彼女が今日も目を開く。確認するように声を上げた。コメントに合わせて身体を揺らす。紫がかった白髪がふわりと揺れ、彼女を追うようにリボンがひらりと舞った。

 白いブラウスを着込み、フリルのついたローブを羽織った彼女は口を開く。


 彼女、届家(とどけ)こころはいわゆるバーチャルユーチューバーだ。イラストの身体を持つ彼女はいつも楽しそうにゲームをし、雑談をし、歌を歌っていた。

配信者と表情をリンクしたこころは流れ出すコメントに笑みを浮かべる。僕はキーボードに手を置いて、挨拶のコメントを打ち込んだ。


「あ、カガミさん、いつもありがとう~。届いたよ~」


彼女は僕のアカウント名を読み上げた。同時に、配信画面に置かれたコメント欄が加速する。最近、チャンネル登録数が一万を超えた彼女だが、活動当初から見ている僕を覚えてくれていた。それは常連リスナーも同様で、僕をガチ恋勢として受け入れてくれている。一歩間違えれば荒れかねない状況だが、彼女の扱い方が上手いのか、今日も僕は配信を見れている。


 まぁ、こころを好きになったのは何年も前のことなんだけどな。


 僕は画面から視線を外す。首をぐるりと回して、ベッドの向こうにあるカーテンを見つめた。

 ぴっちりと閉じたカーテン、その向こうには岡本玲香(おかもとれいか)の部屋がある。中学までずっと一緒だった幼なじみ。高校に入ってからは、これまでの腐れ縁が信じられないぐらいクラスも離れ、話さなくなっていた。会う理由なんて必要なかった僕たちだったが、いざ繋がりがなくなると、急に疎遠になってしまった。


 そうして一年が経ち、さらに半年重なり、こころと出会った。


 中学の頃、玲香がノートに描いていたキャラクター。魔術師という設定も、ファンシーなインナーも、だぶっと重なったローブも、垂れ目の笑顔も、すべてがそのまま画面上にあった。


 こころはコメントに触れる。彼女の声が跳ねた。柔らかい笑みと、優しげなソプラノ、淡い色合いの背景も合わさって、居心地の良い空気に包まれていた。

 僕はまたキーボードに手を置く。


「今日もかわいいね」


 口に出しながら打ち込む。一瞬迷ってからガチ恋勢という仮面に背中を押された。

 こころは恥ずかしそうに身体を揺らし、コメントが加速する。同意が勢いよく流れ、彼女はにへらと目を細めた。少し間の抜けた笑顔で、こくりと頭を揺らす。


「ありがとう。みんなの思い、届いたよ~」


 自分の名前をもじった決めセリフ。恥ずかしいのか、いつもより声が震えていた。はやし立てるコメントが増える。僕もその中に飛び込んで同じ言葉を並べた。


 彼女は深呼吸をして息を整える。僕はキーボードから手を離した。そしてすっと窓に目を向ける。

 ぴっちりと閉じたカーテン。拒絶しているのかと思うぐらいの布をにらみつけた。


「ぜんぜん届いていないんだよなぁ」


 

 

「昨日のごじだつじ、見た?」


 そんな声とともに、視界に手が降ってきた。遮られたスマホから顔を上げると、田中が笑顔を浮かべている。坊主頭の彼は前の席に腰掛けた。そのまま僕の机に身を乗り出す。僕は手を下ろして、その笑顔に「おはよう」と返した。


 ごじだつじは人気のバーチャルユーチューバーグループだ。所属しているライバーたちは様々な企画をし、いつも業界のトップを走っている。

 その名を挙げた田中はクラスメイトにして、数少ないバーチャルユーチューバーオタク仲間だ。


「ごじだつじの人数だからこその企画だったよな」


 昨日のクイズ番組を思い出しながら答える。参加していたメンバーが出題者にも回答者にもなる企画。それぞれ自身の活動から問題を出していた。クイズの勝ち負けだけでなく、隠れていた関係性も浮き彫りになった。


 それなと同意を重ねてくる田中。僕は小さく笑い返してから、スマホをまた取り出す。SNSを開いて、クイズ企画のタグを開いた。てぇてぇ、すこなど、語彙力が消失した感想が並んだ。


 のぞき込んできた田中に、僕は口を開く。あの回答がよかった。この質問はニッチだった。一つ一つ挙げてはお互いに手を叩いて、笑い合う。朝の教室。まだ担任も来ていないゴールデンタイムに、僕らの会話も溶け込んだ。


 まだ流行ってから二年足らずのバーチャルユーチューバー。それでもテレビだったり、雑誌だったり、活躍の幅は広がり続けている。それはこうした日常も同じで、様々なところでバーチャルが混ざり始めていた。


「そういえばさ、お前の推し聞いてなかったよな」


 田中はスッと目を細める。「そうだっけ」と返した僕に「ああ、個人勢とかで」と重ねた。


 頭にこころが浮かぶ。


 バーチャルユーチューバーにはごじだつじのように企業に所属して活動している企業勢と、一人でやっている個人勢がいる。大きな企画をする前者と、活動の熱量の高い後者。方や安定して楽しい配信をし、方やニッチでリスナーに寄り添った配信をしている。

 まぁ、あくまで印象論だけど。


 スマホを操作して届家チャンネルを開いた。自己紹介動画を開いて、田中に見せつける。ふうんと首を回した彼はポケットからイヤホンを取り出して、僕のスマホを受け取った。

 画面に視線を落とす彼を僕は見つめる。もしかしたら気付くんじゃないかと、そんな不安と期待を抱きながら。


 おおよそ三分ほどの動画。見終えた田中は「かわいいじゃん」と笑う。

 考えてみれば玲香と田中はあまり絡んだことがなかった。そのことをスマホを受け取ってから思い出すぐらい、自分は焦っていると気付く。


 だってこころと出会ったとき、僕は玲香の声を思い出せなかった。


 この学校に入ってから彼女と会話していない。一年半以上の距離は重ねてきた玲香との十数年が消えてしまった。

 だから彼女のイラストをまとった彼女が、彼女であることの確信がほしいのだ。



 放課後、文芸部室を出ると、先輩が追いかけてきた。僕の背中を叩いて、隣に並ぶ。


「いや~、私も返すの忘れててさ」


 彼女はからりと笑う。眼鏡の赤フレームが西日を受けてキラリと光った。

 図書室に向かう僕を見て、彼女も借りっぱなしだったことを思い出したらしい。手に持った単行本を掲げて「返却日を過ぎちゃってた」と舌を出す。「いや、僕はまだ余裕ありますけどね」と返した。先輩はからからと笑う。


 何がそんなに面白いのだろうと、彼女の跳ねるポニーテールを見つめた。


 そういえば最近もこんなやり取りをした気がする。先輩と歩く廊下、窓から差し込むあかね色、楽しげに揺れる髪ときらりと光る眼鏡フレーム。お互いの手には本があって、一緒に図書室に向かっていた。

 そんな風景が頭に浮かんでは消えていく。夏服のワイシャツでも、冬服の学ラン、ブレザーでも。一つや二つじゃなくて、一年半分のいろんな二人を幻視した。


 僕より頭一個低い先輩はコミカルに動き、笑い、僕に話しかけてくる。この小説はどうだった。あの物語はこうだった。お互いに読んだタイトルを確認しては一歩踏み込んだ感想を交換し合う。そんなやり取りがどこかこそばゆくて、気付けば僕も笑っていた。


 同じものを持っていることがこんなにも嬉しい。すっと力が抜ける。


 階段を下り、図書室に繋がる廊下を進む。ふと前方の扉が開き、教室から二人が現れた。久しぶりに見た黒髪に息を飲む。


 玲香と男子生徒が並んで歩いていた。美術用具を抱えた二人は楽しそうに話している。ふと彼女の頭が上がる気がして、思わず横に目を向けた。先輩はうん? と首を傾げる。

 視界の端で玲香の黒髪がふっと舞う。下げリボンの淡い白が重なった。


 図書室の前にたどり着いて、ふと振り返る。玲香は隣の男子に目を向けていた。引き戸のノブが異常に冷たい。少しだけ乱暴に引いて、図書室に入った。




 今日も配信画面を開く。夕食を終えて少し眠くなった頭に彼女の優しい挨拶が滑りこんだ。

 タイトルは「質問に答えるよ」。匿名メッセージアプリで募った質問に答える企画。リスナーとの交流ができるためか、いろんな方がやっている配信だ。


「早速始めるよー」


 こころは「ばばん」と効果音を言う。口頭のSEに突っ込みコメントが入る中、画面に質問が表示された。


「”どうして活動を始めたのか”かー。うん、そうね」


 うなってから身体を揺らす。「最初にこれかー」と彼女は苦笑交じりの声を出した。コメントも「確かに聞いたことなかったかも」とたたみかける。

 こころは恥ずかしそうににへらと笑う。悩ましげに首を振った。画面にリボンが舞った。


 彼女は「楽しそうに活動をしている方が沢山いらっしゃったから」と続ける。有名なバーチャルユーチューバーの名前をいくつか挙げ、「この方の影響で」とも続けた。

 名前が出る度に、同意だったり、ここ好きコメントが並んでいく。それを読み上げてこころは笑顔を咲かせた。


「あとね」


 一言続けた彼女は、一瞬迷うように目を揺らした。


「届いて欲しかったんだよね」


 言葉足らずな回答。その声色に、僕はキーボードから手を下ろした。誰への言葉なのかが分からず、画面から視線をそらす。


 カーテンでぴっちりと閉じられた窓。その向こうには玲香の部屋があった。今日、すれ違ったことを思い出す。

 確かめたい。確証もない淡い期待が脈打つ。僕はすっと立ち上がり、ベッドに膝を突き、カーテンに手をかけた。異常なほどに冷たい引き戸を思い出す。胸がじくりと痛んだ。少しだけ乱暴に布を引く。


 目と鼻の先に、彼女の部屋があった。その風景も久しぶりで、ぐっと胸が熱くなる。

 何もないベランダとわずかに覗く木。夜のとばりに包まれた中で青くせり出したひさし。窓越しに話した時と何も変わらない景色がそこにあった。

 ただ一つ違っているのは彼女のカーテンもぴしゃりと閉じられていたことだけだった。

 



机につっぷして昨日の配信を思い出す。声をかけてきた田中も手であしらって、窓の外を見つめ続けた。朝の喧噪もどこか遠くに感じる。


 どこに向いたのかも分からない彼女の思い。もしかして僕に? と考えてしまう自分がとても嫌だった。

 自己嫌悪と、それでも抱いてしまう期待がどうにももどかしい。


 そもそもこころが玲香である確証はない。

 こころと彼女を繋げるのは玲香のイラストと似ているという一点のみ。声で確認しようにも、僕の中から玲香のそれは消えてしまっている。彼女のイラストを見ていた日々は思い出せるのにと、自己嫌悪がぐるりと蠢いた。


 幼稚園からずっと一緒だった玲香。ドッヂボールで遊んだ小学生時代も、受験勉強をした中学時代も、イラストを描く彼女を眺めた放課後も、帰り道も。すべてがこのままなくなってしまうような気がした。


「だったら話しかければいいだけなんだよな」


 彼女は隣のクラスにいる。簡単な方法でこのもどかしさはすぐに消えてるだろう。それなのに脳裏に浮かぶのはぴしゃりと閉じられたカーテンだ。

 疎遠になった一年半は僕を臆病にさせる。もう、ガチ恋の仮面をかぶって、彼女との細い繋がりに言葉を投げかけることしかできない。


 気持ち悪いなぁと自嘲気味に笑って、溜息をこぼした。


 スマホを取り出してSNSを開く。タイムラインを辿って、こころの朝の挨拶をタップした。今日は視聴者から募集したシチュエーションボイス台本を読む配信をするらしい。

 連なった「待ってた」の文字。僕も画面に操作して打ち込み、送信する。僕の呟きも紛れるように並んだ。



 夕食を終えて、自室でパソコンを開く。待機画面はすぐ切り替わり、配信が始まった。こころは挨拶と笑顔を見せてから、シチュエーションのタイトルを並べる。指定された舞台でのセリフ。それを読み上げる配信は多くのバーチャルユーチューバーがしていた。


 六個並んだ台本。「学校を舞台にしたものが多かったよ」とこころは付け加えた。さらっと紹介していく中で、僕の目は左上に止まる。「あかね色の廊下」。眼鏡フレームと、玲香の黒髪が頭によぎった。ドキリと胸が跳ねる。


 こころはリボンをふわりと揺らして笑顔を浮かべた。マウスの音が鳴り、画面がスッと切り替わる。西日が差し込む廊下で、こころがにへらぁと笑った。コメントが落ち着くのを待ってから、彼女はBGMを切る。


「あれ、後輩くん。どっしたのー?」


 台本に合わせて彼女はリスナーに語りかけてくる。委員会の先輩と出会ったシチュエーション。週一の会でしか顔を合わせない彼女にドギマギする内容だった。

 いつものノリで話しかけてくる先輩。彼女のセリフだけなのに、放課後の緩んだ空気と主人公の戸惑いが伝わってきた。


 語彙力を失ったコメントが流れる中、いつもの配信画面が戻ってくる。こころが恥ずかしそうにえへへと笑った。

 速くなる賞賛を眺めて彼女は身体を揺らす。「エモかったねー」と作者さんの名前を挙げて、ふんふんとコメントを読んだ。


「”こういうシチュエーション、経験ある?”。ないない、あったら嬉しいんだけどね~」


 流れたコメントを拾ってこころは首を振った。「けど……」と小さく呟いて、視線を遠くに投げる。顎が少し上がり、動きを止めた。


「あったら嬉しいんだけどね」


 もう一回ぽつりと呟いてから言葉を続ける。


「私はすれ違った時に、視線だけを合わせるみたいなのが好きかな~。目で語るみたいな?」


 台本の設定を確認しながら彼女は告げる。「まぁ、この先輩だったらグイグイだろうけどね」と付け加えた。

 リスナーたちの同意にこころは胸を張る。にんまりと笑ってから、画面端に視線を投げた。口を開いて、何も言わず笑顔に戻った。


 画面の向こうにある顔とリンクするこころ。普段から表情豊かな彼女だが、先ほどの色は僕にもよく分からなかった。パソコンの前で僕は首をひねる。けれど彼女は次のシチュエーションボイスに移っていた。




 放課後、図書室のカウンターで本を渡した。そのまま取り替えるように、借りるタイトルを差し出す。バーコードを通す図書委員の頭を眺めた。

 返却日を聞いてから本を受け取る。カウンターを離れ、図書室を見渡した。誰も座っていないテーブルの向こうで、本棚を見つめている先輩がいた。

 彼女は背伸びをして手を伸ばす。ぱらりぱらりと捲ってはまた戻した。


 もう少し時間が掛かりそうだと、僕は机に腰掛けて借りた本を開く。文を追うも目が滑り、思考は昨日の配信に移った。シチュエーションボイスと彼女の理想が飛び交う。それに触発されたリスナーたちもエモシチュをコメントで投げていた。

 こころの表情がころころと変わる。いつも以上にかわいらしい彼女がいた配信だった。


 笑いそうになって、軽く咳払いをする。息をゆっくり吐き出すと、昨日の彼女の表情がふっと浮かんだ。

 遠くに投げた視線。「目で語るみたいな~」。おどけた口調で告げたシチュエーション。彼女が活動を始めた理由も頭の中で重なる。

 じくりと胸の中の期待が脈打った。


「おまたせ。ごめんね、待たせた」


 先輩が僕の肩を叩いて、両手を合わせる。僕は首を左右に振ってから席を立った。図書室を出て、彼女と並ぶ。申し訳なさそうな先輩の表情に、こちらこそと返してから借りた本に話題を移した。先輩の目がキラリと光る。僕は笑いかけた。


 視線を正面に戻すと、二人組が歩いていた。学ラン姿の男子と黒髪の女子。その胸には画材道具が抱えられている。どきりと僕の胸が跳ねた。


 じわりじわりと近づく玲香を僕は見つめる。廊下の窓からあかね色が差し込んでいて、こころの配信画面と重なった。僕の中で期待がまたどくんと脈打つ。いつもだったらすぐ逸らしてしまう目も今日は真っ直ぐ向けた。その目を見れば、いろんなものが確認できるような気がする。


 けれども彼女の視線は動かない。隣の男子に顔を固定しているみたいに、ちらりとも向かなかった。そのまま目は交わらずに、彼女の黒髪が視界の端でひらりと舞う。


 僕の中で期待は消え、自己嫌悪が膨れ上がる。頭痛がした。廊下がぐにゃりと歪み、ふと倒れそうになる。

 ちゃんと歩けているのかどうかも不安になり、僕は足を止めた。先輩の声がどこか遠い。薄汚れた上履きを見つめた。その先で西日が差し込んでいる。

 木の茶色と上履きの白が机に置かれたノートと重なった。そして中学の放課後があふれ出す。

 

 何本も重なった線で描かれたキャラクターのラフ。その横には魔術師と丸で囲まれていた。薄く残った消し跡から顔を上げると、玲香と目が合う。恥ずかしそうに顔を背けた彼女は少し間抜けな笑顔を浮かべた。


「彼女は人と人を繋げる存在なんだよ」


 玲香の声がふっと浮かぶ。思わず顔を上げて振り返った。


 そして彼女の目が見開かれる。立ち止まっていた玲香は驚いたように前髪を跳ねさせた。にへらと笑みに変わり、口がゆっくりと動く。

 数メートル先の彼女の声は聞こえない。けれどその形は毎日のように見ていたものだった。僕の頭に恥ずかしそうな決めセリフが響く。


「届いたよ」


 今、リアルとバーチャルが交わった。  

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