第56話 実際はどうなのか

 まさかこの歳になって初めて授業をすっぽかすことになるとは考えもしなかったが、この状況だ。そんなことはどうでもいい。

 今大事なのは、どうしてこんなことになったのか、要するにどうして篝が是清を呼び止める真似に出たのか、だ。

 是清は少し思案を巡らせると、


「わざわざ2人きりにしたってことは、殴り倒そうって腹か? まあ、桐生にはその権利があるからな。甘んじて受け入れるぞ」


 そう口にした。

 それにしても是清は嫌味なことを言ったものだ。これが友達がほとんど出来ない所以ゆえんなのかもしれない。

 しかしそれくらいしか咄嗟に思い浮かばなかったのもまた事実。

 確かに予鈴は是清たちの話を強制的に終わらせた。けれど仮に時間がまだあったとして、あの時、何か話すようなことが他にあっただろうか。

 そんな考えから是清は今のセリフに至った。

 今日、篝は許嫁を失った。つまり先ほど是清が宣言したように、人生がめちゃくちゃになったわけだ。

 必然的に怒りの1つ2つ出て来るだろう。

 もしそれが暴力でおさまるというなら、是清は文句を垂らすつもりはない。

 だが、予想に反して、篝は首を横に振った。


「まさか。そんなことするはずないよ。ただ純粋に高坂くんと話がしたいだけなんだ」

「それは授業をサボってまですることか?」

「もちろん」

「……そうか。……まあ、どうせ今更戻るのもあれだ。話し相手くらいにはなろう」


 と、ここで篝の表情に真剣さが増した。

 正直なところ、是清はガチガチのシリアスは得意ではないのだが、すでに退路はない。


「僕はね、高坂くん」


 やがて篝が口を開く。


「ん?」

「実は今、かなり悔しいんだ」

「悔しい? そりゃまあ……そうだろうな。許嫁がいなくなったんだから。それも姫路ほどの」

「それもあるけどね」


 篝は肩をすくめる。それから、でも、と言って続けた。


「本当に悔しいのはそこじゃない。

 ……1週間くらい前かな、その辺りの舞花がさ、すごく嬉しそうな顔をしてるんだ。高坂くん、その時にはすでにここで舞花と会っていたでしょ?」

「……そうだ」


 静かに首肯する是清。


「それと今日の様子を見る限り、ここ最近知り合った、って感じじゃないよね」

「…………」

「1ヶ月くらい前にも似たようなことがあってね。週明けの月曜日だったかな、舞花といつもみたいに登校したんだけど、もう口調から何から、すごく楽しそうでね。

 ひょっとして、その頃には君たちはもうすでに知り合っていたんじゃないかな?」


 1ヶ月前。その日曜日。是清は舞花を連れて、デートに行った。その日は舞花自身、すごく楽しそうだったし、事実、本人も楽しいと言っていた。

 多分、その余韻が次の日にも残っていたのだろう。

 それにしても篝。頭が良いのは知っていたが、それにしても恐ろしく頭の回転が早い。


「……ああ」


 隠しても仕方なかったので、是清はうなずいた。


「そっか……」


 篝は噛み締めるように言った。

 それから彼は話を少し戻した。


「僕が悔しいのはそこなんだよ。君と舞花が会ったのって今年が最初だよね?」

「当たり前だ」

「なのにさ……なのになんであんなに舞花を楽しませれるのさ……!?」


 篝の語気が僅かに強まった。


「…………」

「なんで……! 僕は、僕はずっと舞花の許嫁だったんだよ! だけど、舞花のあんな顔を見たのは子供の時以来だ! なんで……!? 頼む、教えてよ……。なんで許嫁の僕じゃなくて、君が! あんな! あんな……」


 篝は胸に秘めていた想いを吐いた。

 舞花の話だと、7歳の時に篝とは許嫁だったので、約10年の長い付き合いを彼はしているわけだ。

 というのに、舞花の楽しそうな顔を見たのは子供の時以来ときた。舞花が子供の頃と言えば、笑いを強制された時期だ。

 そしてどうやら彼は、自分が舞花を本当の意味で笑顔にできなかったことをどうも嘆いているように見える。

 しかしそうすると1つ、腑に落ちない点が出てくる。


「なぁ桐生?」


 篝は顔を上げて、是清を見た。

 是清も彼を見据えて、続ける。


「同じことを聞くようで悪いけど、桐生って姫路のことが好き……なのか?」


 是清は前置きの後に、一切取り繕わず、質問を投げかけた。

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