第18話 使用人
家の前について時刻を確認すると、正午をちょうど迎えたところだった。
舞花を連れ出すまで残り1時間。
だがもしかしたらその必要はないかもしれない。
というのも彼女が今是清の家に来ていると思われるからだ。
走って来たので、少し息遣いが荒くなっている。
「はっ……」
1度大きく息を吐き出し、呼吸を整える。
「よし」
意を決して家に入る。
我が家にこんな気持ちで入るというのもおかしな話だが。
「ただいま」
玄関に入った途端にリビングが盛り上がっていることが分かった。
会話の詳細までは聞こえてこないが、そこは今は気にするところではない。
是清は雑に靴を脱ぎ、リビングに直行すると、勢いよく扉を開け放った。
そこにいたのは妹の真百合、弟の空太、母親の美香、そして1人の少女。
是清がそれを認識すると同時にそこの4人も是清の存在を認識した。
いつもならここで美香が真っ先に声を上げるのだが、今日は少女がその役割を奪った。
「あ、ども。お邪魔してます」
彼女はペコッと頭を下げてから、手に取ったティーカップに口をつける。
そんな彼女を見て
それもそのはずだ。
だってそこにいた彼女は是清が予想していた人物とはだいぶかけ離れていたのだから。
「あんた……神崎……だよな?」
そう。そこにいた人物は神崎柚莉愛。
彼女と知り合ったのは最近も最近。
まだ知り合いと呼べるのかすら分からない間柄だ。
柚莉愛がティーカップを口から離す。
「はい。覚えててくれましたか」
「あ、ああ。そりゃな」
意外すぎる人物の登場に驚きを隠せなかった是清だが、なんとか平然を取り戻す。
(なんでこの子がいんの? 誰だよ、さっきここに姫路がいるとか言った奴)
是清と柚莉愛の会話を家族のみんなは面白そうに聞いている。
やがて会話に混ざってきたのは空太だった。
「兄ちゃん。学校でいじめられてるって本当? 大丈夫?」
あまりにも唐突な空太の言葉には、どこか是清を心配するような感じがした。
「へ? なんの話だ?」
「柚莉愛お姉ちゃんがそう教えてくれたの。おにーちゃん、そんな話1度もしたことないのに……」
真百合も空太同様、是清の身を案じた様子だ。
何があって彼らがそうなっているのかは分からないが、少なくとも今彼らが言った内容が是清に当てはまらないということは言える。
「いやいや、ちょっと待て。俺はいじめられてなんていない」
「……? でも柚莉愛姉ちゃんが」
空太が柚莉愛に視線を送る。
「あ、はい。なんか昼休みも教室に居場所がないみたいに思いました。弁当片手にどこかに向かっていましたし。それも──」
淡々と答える柚莉愛。
「神崎! ストップ! それ以上は言わないでくれ!」
自分が学校でどんな感じなのかは家族と特に話したことがない。なので、1度そうだと聞いてしまった家族の考えは訂正するのが難しい。
案外こんな風に他者から伝え聞いたことは効果が大きいからだ。
「ん? ああ、すいません」
悪びれた風でもなく、謝る柚莉愛。
「いや、大丈夫だ。それで神崎。聞きたいことは色々あるが、どうしてここに?」
「あれ? 聞いてませんか?」
柚莉愛がきょとんとした表情を浮かべる。
「何をだ?」
「あたし、舞花様の近侍なんですよ。今日は高坂さんを迎えに来たんです」
「え? 舞花って……姫路? そのき、近侍!? それってつまり……使用人みたいなものか!?」
「はい」
明かされた意外な事実。
柚莉愛は「迎えに来た」と言った。
それはつまり、彼女が姫路家に案内してくれるということだろう。
ちゃんと舞花は自分のことを考えてくれていたんだと安堵する。
「それと、どうしてここが分かったんだ?」
「いや、住所の特定くらい簡単にできますよ。金曜日に会った高坂是清があなただったんで、ついさっき100パーセントこの家がそうなんだと確信しましたし。舐めないでくれます?」
「あー。そ、そう……」
にっこりと微笑みながらも、たしかな圧力を感じさせる柚莉愛。
こういうのが1番怖い。
真百合や空太は柚莉愛を警戒してるようには見えないが、なぜか同じ高校に通う是清が未だに警戒を解けないでいた。
少しばかり場が緊張した雰囲気に包まれた。
だがそれも束の間だった。
その場には似つかわしくない緩み切った声が響いたからだ。
「みんな! あと柚莉愛ちゃんも! うどん出来たからお昼にしよー!」
「あ、いえ。お構いなく」
「柚莉愛ちゃんたら、健気なんだから! 別に遠慮しなくていいんだよ! 最初から5人前で作ったし!」
「えーと……」
戸惑う柚莉愛がかわいそうに思えて、是清は助け舟を出す。
「食べていけよ。うちは全然気にしない」
「…………じゃ、じゃあ。はい」
「よーし! 決まりだね!」
是清たちは各々皿を運び、食卓に作ったばかりの昼食が並ぶ。
みんなが椅子に座り、柚莉愛はいつも父親が座る椅子を借りた。
「いただきます」
「いただきます」
是清たちの少しあとに続くように柚莉愛が手を合わせる。
そしてうどんを1口。
彼女の目が見開かれる。
「…………あ、おいしい……です」
「ほんと!? やったー! 褒められた!」
無邪気な声を上げる美香。
この元気さは真百合といい勝負になりそうだ。
「ママは料理が上手だからね!」
なぜか真百合が誇らしげにする。
「ふふっ。なんか楽しそうですね……」
柚莉愛が手を口に当てて、声を出して笑う。
まだ彼女とは出会って日が浅いからなのか、それはとても新鮮に感じた。
「神崎の家はどんな感じなんだ?」
好奇心から聞いてみた。
「あたしの家ですか。…………こんなに賑やかではないですよ」
間をおいてそんな答えが返ってきた。
その表情はどこか寂しげだった。
やがて昼食を食べ終え、皿を運び切った是清は1度部屋に戻った。
(5人で昼飯なんていつぶりだろう……)
さっきの様子を思い出しながら、ベッドに腰かける。
そこで初めてあることに気づいた。
「おわっ!? か、神崎!?」
是清の部屋に柚莉愛がいた。
おそらく後ろをピッタリとついて来ていたのだろう。
「さ、早く準備を済ませて。もうすぐ出発するから」
言葉遣いがさっきとだいぶ違ったので、一瞬別人に思えた。
きっとこちらが素なのだろう。
「お、おう」
首肯し、準備を淡々と進める。
「それで、今日の予定は決まっているの?」
「ん? ああ。もちろん」
「へぇ。ちゃんと舞花様が楽しめる内容になっている?」
「お、おそらくは」
「ならいいけど」
それからは黙々と準備を進めた。
といっても1分とかからなかったが。
「よし。準備完了だ」
「分かった。じゃあついて来て。姫路家まで行くから」
そう言って部屋を出る柚莉愛。
是清は慌ててその背中を追いかけた。
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