3.俺の娘

【View ; Kensei】


 鷲子が突然倒れたと聞いて、心臓が竦む思いだった。


 妻である美鳩は、五年前の事故で先立っている。

 その事故の原因をずっと自分のせいだと責め続けているのか、鷲子はそれ以降、内気で暗めで、やや引きこもり気味の子になってしまったのだ。


 だが、それでも、鷲子は生きていてくれたことを、俺は嬉しく思っている。


 どんな子に育っても良い。

 生きていれば――いつか自分を許せる日が来るだろう。


 そのいつかを切実に願い、そして今日を生きていてくれることに無情の喜びを得る。

 例え言葉を交わすことが出来ない日があろうと、そう願い続けることこそが、俺の生き甲斐でもあった。


 鷲子に必要のない苦難は、可能な限り俺が退ける。

 常日頃、そう思っている俺の元へと届く、鷲子が倒れたという連絡。


 余りにも気が気でなくて、それが仕事をする姿にも現れていたのだろう。

 秘書の熊谷クマガイが、こちらを気遣うように微笑んだ。


「会長。後のコトは引き受けます。様子を見に行かれてください」

「すまない。可能な限り早めに戻る」



 そうして慌てて自宅へと戻り、迎えてくれたお手伝いの藤枝フジエダに、様子を訊ねる。


「お呼びしたお医者様の診断では、疲労とストレスによる一時的なものだと」

「そうか……」


 俺がうなずくと、藤枝も不安げな顔をする。

 ストレス――その要因が、何となく検討がついているのだろう。


「少し、鷲子の様子を見てくる」

「はい」


 手荷物を藤枝に手渡し、俺は家の二階にある鷲子の部屋へと向かった。


 ノックをすると、返事が返ってくる。

 どうやら、目を覚ましているようだ。


 鷲子と交わす言葉は、いつも通り、淡々とした最低限のもの。

 それでも、普段あまり言葉を交わせない故に、個人的には充足に満ちた時間だった。


 そうして、もう一眠りするという鷲子を邪魔にならぬよう、部屋を出ようとドアノブに手を掛ける。


 その時だ――


「……お仕事はどうされたのですか?」


 鷲子がそんなことを聞いてきた。

 あまりにも嬉しくて、俺は目を輝かせながら振り返ってしまった。


 我ながら少し勢いが良すぎた気がするので、努めて冷静に、いつも通りの雰囲気を取り戻すように答える。


「仕事も……会社も……確かに大事だ」


 こんな風に聞かれてしまうくらいには、俺は仕事人間だと思われているらしい。それは何も間違ってはいない。

 娘に、そういう風に見られてしまっていることは、些か寂しくはあるのだが。


「だがな――家族は、もっと大事だ。俺が言っても説得力はないかもしれないがな」


 だからこそ、本音を口にする。

 少しでも、鷲子の心にこの言葉が届いて欲しくて。


「何よりな、美鳩に――お前の母親に先立たれ、お前にまで先立たれて、俺だけ残ってしまったら……そう思うと怖くてな」


 だから、お前には生きていて欲しい。

 父親として、そう願う――そんな思いを乗せた言葉を口にしたことが急に恥ずかしくなって、頭を振る。


「詰まらぬ弱音だったな。忘れてくれ。

 だが、お前が大事なのは嘘ではない。養生してくれ。

 体調が整わないなら、明日は学校を休んで構わん」


 それを誤魔化すように、鷲子へとそう告げて部屋を出ていく。


「はい。ありがとうございます」


 鷲子のそれに応じる言葉に、俺の口元は自然と綻んだ。




「旦那様、お嬢様は……」

「ああ。もう一眠りするそうだ。休ませてやってくれ」

「かしこまりました」


 そうして、藤枝とともに一階へと戻る。

 階段を降りきった辺りで、俺はもう我慢ができなくなっていた。


「藤枝」

「はい」

「鷲子とかなり長い会話ができたッ!」

「おめでとうございます。ですが、前々から言っておりますが、お二人とも歩み寄りたがっているのですから、もっと互いに踏み込んでいけば良いのではないでしょうか?」

「確かにそうかもしれないが……踏み込み方を間違えて、鷲子から嫌われてしまうのは怖いじゃないか。嫌われるくらいならこのままでも」

「学生の初恋ではないのですから……」


 藤枝が苦笑するが、俺にとっては非常に重要なことなのだ。



=====


 本日は、あともう1話公開予定です。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る