episode.2 異能力者


 白兎が目覚めてから1週間、経過した。

 食事は竜花が周辺の村から買ってきた惣菜などで行っていた。塔には一応台所はあるが、温めたり、保存したりするぐらいにしか利用されない。

 

 白兎はノートとペンを駆使して意思疎通をこなしていた。この一週間、白兎の声が戻ることはなかった。

 声が出ないのは、術などの意図的なもの以外に、もしかしたらストレスや疲労なのではないかと竜花は思っていた。

 そして、竜花はあることを思いつく。できることなのであれば早めに取り組むべきだと思い、竜花は白兎の部屋に向かう。

 2回ノックをしてから部屋の扉を開く。

 白兎は窓に向かってラジオ体操のような軽い運動をしていた。

 そうして、竜花に気づき首を傾げた。これは用事を尋ねる合図だった。

 竜花は何をしに来たのかを答えた。

「数十分後に近くの村に散歩をしよう、今、着物を持ってくるから待っていてくれ」

 白兎は嬉しそうに頷いた。

 竜花は白兎の部屋を出て扉を閉めた。

 

 白兎は早速準備を…。することがないので小さいベランダから、近くの村を、生い茂る木々の間から見た。涼しい風が白兎の長い黒髪を弄ぶ。

 ここに来てから約1週間。何も思い出せず、声も出ずで何も進展が無かった。白兎は1人の時に、あることを考えるようになっていた。

 

 自分の存在意義とはなんなんだろう。

 

 竜花とは、竜花自身のことや白兎に関することを話していない。竜花も知らないようだったが、一体自分はなんのためにここにいるんだろう。とか、竜花に負担をかけていないだろうか、とか。

 白兎は風の音の中に混ざる、下の階からの雑音を聞く。

 白兎は唐突にノートとペンのことを思い出した。

 そのまま持って行くのは恥ずかしいし、面倒だ。意思の疎通のためには仕方ないと諦めた。


 少しすると竜花は水色の着物と本を持ってきた。

 素っ気なく「着替えろ」と着物と本を押しつけ、さっさと出て行ってしまった。

 そしたら扉の向こうから、竜花の声が聞こえた。

「終わったら、玄関の近くの椅子に必要なものを持って座っててくれ」

 竜花は、白兎が返事をできないことは分かっているので、言うだけ言って去った。

 白兎はまず本を手に取り、中身を確認した。 

 すると、着物の着方が載ってあった。それを見ながら、不慣れな手つきで着物を着た。


 竜花は濃い緑の着物を着ていた。

 竜花は、いつもは腰まである髪を結っていたのに、なぜか今日は短かった。

 髪と服装に目をやる白兎の様子に気づき、竜花は「一般的な服装だ。それもな」と白兎の着物を指して言った。

 すると竜花は白兎の襟元に目をやった。竜花は白兎に近づいて膝を折り、白兎の胸元に手を伸ばした。

「しっかり締めておけ」

 歪んでいた襟がピシッと伸びた。竜花が離れる。白兎はすかさず礼をした。

 竜花の宣言通り、数十分後に塔から出た。

 白兎は1週間前に見知らぬ場所で目覚めたことを除いて、初めての外出だった。

 初めての雪に足を取られて、転びかける度、竜花の着物の裾にしがみついた。竜花はそれに対し、よろけるでもなく小言を言うでもなく、無だった。

 

 やがて村についた。村は出店などで活気があり、人が大勢いた。

 竜花は冷静に言った。

「しっかりついてこないと、迷子になるから気をつけろ」

 白兎は頷き、辺りを見回した。すると、ある一点に視点が集中した。

 竜花がその様子に気づき、視線を追った。そこには風情のある茶店と、団子の旗が下がっていた。

 竜花が気を利かせて、誘った。

「食べに行こう」

 白兎は頷いた。彼女の目がキラキラ光って見えた。




 笠を被った軽装の青年は、茶店に向かう少女と青年の姿が目に入った。

 最初は親子か兄妹かと思ったが、数年前に見た顔に似ている長髪の少女を見て、その考えを改めた。

「あれは…………」

 青年はふっと笑う。

「見つけましたよ…………俺に気づくかな?」

 青年は立ち上がって少女たちの方へと歩いて行った。




 竜花はずっと、白兎がはぐれないか、横目で見ていた。

 すると、竜花の肩と、笠をかぶった青年の肩がぶつかる。

 ぶつかったときの反動を受けたままで竜花の体は停止していた。途中、拳を握り、震え始めた。

俺は周囲に気を配れていないのか!もし、この男が敵ならば、今ここで殺られていたのでは!

 わなわなと震えている竜花に笠をかぶった青年が遠慮がちに言葉を発した。

「あー、悪い。怪我…してないか?」

「いや、大丈夫だ。こちらこそすまない」

「あー」

 笠をかぶり、動きやすそうな和服でその腰には黒い帯が揺れている。青年は頭をぼりぼりと掻く。

「いや、何か詫びないと気が済まないなー。なあ、君ら、あそこの茶店に行くんだろ?おごらせてくれよ」

 申し訳なさそうな青年の目が白兎を見て微笑む。

 青年の予想と異なり、竜花の影に隠れ、もじもじしていた。

 青年は一瞬きょとんとした顔になったが、すぐ笑顔を見せた。

「俺の名は伯。よろしくな!」

「俺はたつ…竜樹だ。こちらは、白兎」

 竜花は一応偽名を名乗った。

 伯はしろう、と口の中で竜花の言葉を反復した。

「2人ともいい名前だな!さ、早く行こう!」


  ◆   ◆   ◆


(あれ…?何も反応無かった?俺のこと忘れちゃった?それともあの男が何か…?とりあえず、あの方に会わせないことには…断言できないか)


  ◆   ◆   ◆


 伯は茶店にいた、女性に声をかけた。

「おーい、おばちゃん!」

「はっ…!伯さ……!」

 女性の言葉を遮り、白兎たちに聞こえないように口元に人差し指をたてウィンクした。

「俺は、この店の常連ということで」

「はっ…、伯ちゃん!どうしたんだい?」 

 伯は白兎たちの方を向きながら両手をあわせて陽気に話した。

「この人たちに迷惑かけちゃってさ、後でしっかり払うから、いっぱい食べさせてやってくれないかな?」

 女性は笑顔で元気に呼びかけた。

「もちろん!さあ、お二人さん座って座って!」

 女性は温かいお茶を3人に出した。

 竜花は不安げに財布を用意しながら問う。

「本当に払わなくていいのか?」

 伯は話しながら二人をイスに誘い、紙に書かれたメニューを見せた。

「いいのいいの!ほら何食べる?」

 竜花は遠慮しがちにおしるこを選んだ。

「じゃあ、これで」

 伯は残念がった。

「エエ!これ一番安いやつじゃん!まあ、いいや!白兎は?」

 白兎は伯を警戒しながら、旗を指さした。

『私はあれで』

 伯は納得したように白兎の意を女性に伝えた。

「分かった!おばちゃん三色団子とおしるこ!」

「はいよ」

 伯もイスの白兎の隣に座った。

「ところで、聞いていいことか分かんないけど、なんでノートで?」

 代わりに竜花が答える。

「声が出ないからだ」

 伯は思い出したように手をたたいた。

「そうなんだ…。あ、俺、いいお医者さん知ってるよ!異能力者のすごいお医者さんだよ!きっと治してくれると思うよ!…もちろん俺が全額保証!」

 竜花は初めてあったくせにやけに絡んでくる伯に胡乱げな目を向けた。

『いのうりょくしゃ?』

 白兎は首を傾げながらノートを見せる。

「うん!…知らないの?じゃあちょっと長いけど聞いてくれる??」

 白兎が頷く。

「よし、分かった!」


「この国、四季国は不思議な力を持った人間がたまに生まれる。それらはそれぞれ異なる力を持っているんだ。個性みたいにさ、似ることはあっても、完全に同じ力を持った奴は、例外を除いて、いない。あっ、例外についての説明は省くよ。

で、その不思議な力を持った奴らは、昔、異形の、化け物とか妖怪、またはその子供として嫌われたんだ。違うんだけどな。

それで、ある日、四季国の王族に異形の力を持った方が生まれたんだ。それが四季国先代国王。先代国王は国の発展・防衛のために異形の力が役に立つのでは、と国中から異形の力を持った奴らを集めたんだ。

予想が当たり、異形の力は役に立った。戦争でも、死者は双方一人も出なかった。おかげで今はこの大陸は四季国の領土になったんだ。その功績を称え、先代国王は国中に異形の力を持った者たちを異形の力の意味ではなく異なる能力を持つ者として、『異能力者』または略して『異能者』と呼ぶようおふれを出したんだ。

そして今は以前と違って任意だが今も城に異能者は大量にいる。…それでも全体の人数は減ってきているんだけどな」

 竜花は頭の中で話を整理しながら白兎に聞いた。

「では、医術か、解呪に特化した異能者がいるからそこだと白兎の声も戻るかもしれないということか。どうする?」

 竜花は白兎に問いかけた。

『行ってみたいです。けど、今日はもう…』

 もう日が暮れかけている。

 伯は一人夕日に背を向け竜花と白兎に向き直った。

 逆光で伯の顔は見えにくい。

「別に大丈夫だと思うけど…。まあ、一応、相談してくるよ。明日城門前まで来てくれよ。じゃあな!」

 伯が後ろ歩きで白兎たちに手を振る。

 白兎は、夕日の逆光でみえないが伯に手を振った。


  ◆   ◆   ◆


 伯は、椅子に腰掛け、執務をこなす男に膝をついた。

「陛下、見つけましたよ。明日、来ます」

 男は書類を紙の山へと重ねる。

「ご苦労」

「ただ、なぜか声が出ず、幼少期の姿をされ、私のことも覚えていらっしゃいませんでした。そして、見知らぬ男が傍にいました」

 男のペンを動かす手が止まる。

「そうか…。まあいい。明日どのように登場すればいいんだ」

「医師を紹介するという建前で連れて参りますので医師を装ってくだされば。…そして今は白兎という名のようです」

「医師?」

「声を治してくれる医師、と」

 男は深く呼吸し立ち上がった。

「分かった。……………やっと、会える」


  ◆   ◆   ◆


 城門の前で短髪の竜花と長い髪を下ろしている白兎は、着物で立っていた。

「ここで合っているよな」

 伯が呼びかける。

「あ、いた!おーい。こっちだ」


 部屋に入ると笑顔の白衣の男性が白兎に話しかけた。

「初めまして。白兎さん。座ってください。どうぞ竜樹さんもそこへ」

「失礼する」

 ノートで言葉を伝える。

『失礼します』

「なるほど、それで意思の疎通を…。白兎さん、いつから声が出なくなったとかありますか」

白兎は首を振る。分からないという意思表示だと言うことは向こうにも分かったようだ。

「そうですか、では体の異常などは」

『見て、逃げないで下さいね』

 そうノートにつづり、袖をまくる。包帯を解くと、青黒い痣が腕を覆っていた。

 男性は用心深く、痣をみた。

「……!これは、痣ですか」

「…………!」

竜花も初めて見た。

『分かりません。ある日全身に出てきて、激しい痛みを全身に感じました』

「今触って痛みは感じますか」

『いえ』

「触ったときの感覚は?」

『感じますし、普通の肌の様なのです』

男性は悩むように目を腕に向けた。

「表面上、肌の色が変化した…と何者かの呪いのように私にはみえます。恐らく、声も…。…差し支えなければ、城の異能者の方で詳しい調査を行いたいのですが」

詳しい調査…だと、それ相応の時間が要るはず。

「というと?」

「長期間、城に滞在してもらいたいのです。白兎さんだけ」

「………!」

『私だけ。たつき殿は?』

「いいえ、白兎さんだけです」

「…少し考えさせてくれ」

「了解しました。良い返事を待っております」


城を出ると、すっかり夕暮れになっていた。お互いの顔が橙色に照らされる。

「…………、お前はどうなんだ。城に長期間の滞在」

『私、一人だったら行ってました。けど』

「けど?」

『貴方が一人になってしまうのでは?』

「………!」

予想外の回答に竜花は驚いた。

『1週間ちょっとしかいませんでしたけど、貴方以外の人の気配はしませんでした。貴方も暇なのかと思っていました。けど、ずっと私と一緒に居たではありませんか』

「……………ああ」

白兎はそれに、と書いて目をひそめた。

『あのお医者さん、個人的に何かを感じたんです。なんとなく、関わりたくないと思うのです。なので、私は城に滞在したくありません』

 竜花はなぜか安堵したように息をついた。

「…そうか。ならば、明日、謝りに行くか」

一緒に居たのは、ほんの少しだけだったのに、竜花は1人が少し、ほんの少しだけ、怖かった。


 次の日の明朝、二人は再び城に向かった。

「城には預けられない。せっかくの厚意を無にしてしまってすまない」

「……っいいえ、気にせず。ではお大事に」

 男性は、笑顔を浮かべていた。

 後ろから見ていた伯からはその笑顔は少々作り笑顔の様にみえていた。


  ◆   ◆   ◆


 男性は白衣を乱暴に脱ぎそれを伯に預けた。

 伯は目を閉じてそれを受け取った。

 従者のように。

「陛下…」


  ◆   ◆   ◆


 城門へ向かい歩いていると悲鳴が聞こえた。

「妖怪だ!みんな逃げろ!」

「白兎、下がっていろ」

 竜花は、握った両手を目の前に突き出した。 

 右手の親指が下になるように握った拳を裏返した。

 両手から光の粒が現れ、上下に伸び、細長い光となった。

 すると、両手に光から剣が現れた。光のつぶてが散る。

 短い黒い髪が風でなびく。

 両腕を広げるように剣を妖怪に構えた。

「覚悟!」

 竜花が駆け出す。

 妖怪が周辺の土を固めて作った槍を竜花へと飛ばす。

 竜花はそれを剣で受け流してかわした。

「ただの土のかたまりじゃない!?」

 土の槍は背後に勢いよく突き刺さり妖術が解け土の山ができる。

 竜花は土が白兎にぶつかっていないか確認してから妖怪に近づき、剣で妖怪の腹を薙ぎ払った。

 すると、剣が弾かれた。土を固めて防御したのだ。

 どうやらこの妖怪は土を自在に操れるようだ。

 竜花は1回後ろに飛び去っていらだたしげに呟いた。

「『武装』が出来れば…!」


『武装』とは神気を普通とは異なる方法で操り、妖力を無効化することである。今、竜花がそれを身につけていれば、妖怪に一撃を与えられていた。『武装』はその人や神の属性に依存する。

竜花は『武装』が出来ない。なぜなら、竜花は『属性を持っていない』からだ。竜花は、神として生まれ落ちる際に呪いを受け、属性を取得することが出来なかった。『武装』は属性がないと出来ない。この世界の神の1人としては『使えない神』だった。

しかし、彼は努力で剣技を身につけ、神気を操れるようになり、必要とされるようになった。


 次々と跳んでくる槍をかわしながら、対抗できないことにイライラしていた。

 竜花が槍をかわす毎に背後のある一カ所に、土が積もる。竜花は悔しげに吐き捨てた。

「城の異能者を待つしかないのか…!」

 それを白兎は心配そうに見つめていた。   

 すると、『医者の男性』が白兎のもとへ伯とともに駆けてきた。

「白兎さん。ご無事ですか!」

 白兎は頷いた。竜花がこちらをちらりと見る。

 が、攻撃を受けすぐ視線を外した。

「土を操る…。私どもでは力及ばないようです」

 竜花はそれを聞き、叫んだ。

「ならば、どうすればいい!!」

 叫んだせいで集中が切れ、槍を1つくらった。

「……ぐっ!」

 竜花はそのまま土の山に突っ込んだ。否、土の山すらも、固められ、石のように固い突起が、たくさんある山に背中から押しつけられた。

 その痛みは先の短い針地獄に落とされたような痛みだった。

 立ち上がった竜花の姿は背の着物が傷み穴が開きボロボロになりそこから血が滲み痛々しいものになっていた。

 呼吸も乱れている。

 白兎は初めて見る血とボロボロの竜花を見て、手で叫びそうになる口を押さえた。

 しかし。

「…~~~!……」

 叫ぼうとしたって声が出なかった。

 剣を持ってふらふらしながら立ち上がる姿に別のものが重なる。

 それが何かは分からない。

今が霞む。

 今みたいのは、今だけなんだ。

 白兎は潤んだ目をこすった。


こすった後の瞳の色は紅だった。


 気配が変わったことに男性と伯が気づき、白兎を見た。

 すると、彼女の悲しそうな顔が消えて無表情だった。

「白兎さん…?」

 男性が予想外のことに驚いて、白兎に呼びかけた。

 突然白兎、少女は片腕を振り上げ、手のひらを天に向けた。

 光の粒が集まる。細長い光のかたまりを掴み、腕を振り下ろした。

 すると、少女の手には刃物と棒の間に雪だるまの飾りがついた薙刀が現れた。

 それを両手で持つ。

 冷たい風が吹く。

 白兎の髪と男性の白衣と伯の腰帯が少し揺れる。

「…人多いな」

 短く不機嫌そうに告げた少女は駆け出した。

 視界に、未だ妖怪の攻撃を避け続けている満身創痍の竜花が入った。

 心がズキッと痛んだ。

 少女は胸に手を当て、目を細めた。

 しかしすぐに妖怪を見る。

 少女は小さく呪文を唱える。持ち手から光が薙刀を覆う。

「武装『浄化』」

 刃が光り輝く。

「…どけ」

 少女は竜花に小さいが届く声で言った。

「白兎、お前、声…。! その目…」

 竜花はそれを聞いて、驚いたように白兎を、目を見た。

 しかし、白兎が薙刀を持って接近してくるのを認め、竜花は疑問を心に残しながら飛び去った。

 妖怪はそれでも竜花に注目して、接近してくる少女に気がつかなかった。

 少女は走りながら薙刀を大きく振りかぶり、妖怪の直前で斜めに振り下ろした。

 すると、妖怪は光の粒になって空気に溶けていった。

 そこには、穴ぼこだらけになった地面と、土の山が乗っかった道が残った。

 そして黒い靄のようなものが残っていた。

「何だ?」

 満身創痍の竜花が呟く。

 男性は少女がその靄に触れようとしているのに気づき止めようとした。

「白兎さん、それは危険でっ…!」

 少女はその靄に近づいて、それに触れた。

 すると、黒い風がその靄から吹き荒れた。

 竜花、竜花を支えに行った伯、男性が腕で顔を隠した。

 しかし少女はその荒ぶりを受け止めるように、真っ正面から風を受けた。

 人が近づけないくらいに竜巻のように荒れた。

 しかし、その中心で、少女は座り込み、風の渦巻く中心を見つめた。

 風を聞くように、目を閉じた。


 土に汚れたシャベルと、倒れかかった電柱から庇おうとする女性、“この子”の母親だろう、それと、雨がみえる。

 “あの時”に外で遊んでいた“この子”と母親の記憶。

 ここに今いるということは、死んでしまったのか。

 “この子”の母を失った喪失感、ここにはいないが、母親の、子を守れなかった後悔と絶望。 

 それら、負の念を“やつら”が回収して、白兎を狙っているということか。


 しばらくして目を閉じた少女は重々しく呟いた。

「…ごめん」

 紅い瞳の少女は、手を地面について四つん這いの状態になった。

 すると、少女のいる場所を中心に六芒星の形の光が、六芒星が描かれた魔法陣が現れた。

 少女は両の足でしっかりと立ち、黒い風に向かって命令するように唱えた。

「土に宿りし魂よ。その穢れこの六花が貰い受ける」

 風の黒い部分が少女に集まり、目の前に透けている少年がいた。

 紅い瞳を細め、少女は優しげに言った。

「早く逝ったほうがいい。次は幸せになれるさ」

 少年は頷き、完全に消えた。風も凪いだ。

 少女は少し微笑んだ。

 しかし。

「……!」

 全身を痛みが襲った。

 揺らめく視界に竜花を捉えた。

 少女は唇を噛み、手のひらを竜花のいる方向と逆の方向に向けた。

 すると、五芒星の魔法陣が現れ、少女は痛みの中、力を振り絞り跳ねて魔法陣に足をつけるよう、体の向きを回転させた。

 水の中でターンをするときのように。

 膝を曲げて、勢いをつけて魔法陣から竜花の方に跳んでいった。

 しかし集中が切れ、途中で地面に転げ落ちた。

 途中、跳ねながら転がり、這い上がろうとする竜花のちょうど目の前にたどり着いた。

「…っ。おいっ」

 竜花は少女のことをなんと呼べばいいのか分からず言葉に詰まった。

「…貴様の保護対象を傷だらけにしたのは謝る」

 少女は竜花に這いずりながら近づき、伯に聞こえないように耳打ちをした。

「…“白兎”の呪いのことだが…」

「呪い!?」

「ああ、それすら知らないのか。まあ、落ち着いて聞け。呪いの物理的痛みは俺が防ぐ。声が出ないとかの効果は、そのままだ。解呪できるまでこのままだからな」

「“お前”は話してるじゃないか」

竜花は思っていた疑問を口にした。

「この声は一週間前、俺が助けた少年の声をコピーした。だが体に負担がかかる。多分、“白兎”に戻ったらかなり衰弱する」

 竜花は、あの唐突に駆け出したときのことかと思い出していた。

「大体、お前は誰だ」

「俺は…」

 途中、口だけしか動かず音になっていなかった。

「……限界が…近い。俺は“白兎”が力を望んだとき…“やつら”が近づ……ときに…」

 少女は必死に伝えようとするが途切れ途切れになってしまったいた。

「“やつら”?」

「とり…えず、任せた……」

 少女は、瞳を閉じて、手を竜花の肩にだらりと落として、眠っていた。

 やがて男性が駆け寄ってきた。

「大丈夫では…なさそうですね。この怪我の治療だけでいいので、城に滞在してください」

 白兎を見て、痛ましそうに訴えた。

「いや…」

 遠慮しがちに拒否しようとした。

「滞在してっくださいっ!!」

 すごい圧力をかけてきた。

「伯、竜樹殿に肩を貸せるか」

 男性は、白兎を姫様抱っこをして肩越しに視線を投じた。

「多分、大丈夫です。竜樹、途中でこけても文句言わないでな」

 伯は真面目そうに言った。

「誰が、支えてくれるやつに文句を言うか」

 伯の支えで立ち上がった竜花は大きく呼吸して言った。

「良かったよ」

 伯は少し笑って答えた。

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