終章 勇者と美女たち 第一節 勝利の価値

 半月ぶりに訪れた〈絞首刑〉のVIPルームで、クロはひたすらに食事を口に運んでいた。

「……要するに、わたしたちはエネルギーの塊みたいなものなのよ」

 もぐもぐ口を動かしながら、シロがハルドールに説明する。

 ふつうの生物と違って、美女と剣、あるいは美女と盾のふたつの姿に自在に変貌できるクロたちは、外からの衝撃で怪我を負うことはない。ただ、あたえられたダメージに応じて、クロを形成するエネルギーの総量が減っていく。そのエネルギーが完全にゼロになった時が、いわば彼女たちにとっての死なのである。

「外見的には怪我をしてなくても、戦いのあとは何かしらのダメージを負ってることもあるし、何より戦いってのはとにかくエネルギーを消耗するからさ。こうしてそれを補給しなきゃならないんだよ」

「それは……便利、なのかな?」

「ニンゲンよりは便利なんじゃない? エネルギーを外から補給し続けるかぎり、わたしたちは生きていけるんだから」

「あら? じゃ、クロさまもシロさまも、永遠にそのままなんですの? それはうらやましゅうございますわね」

 クロたちの話を聞きつけたドミナが、目を丸くして驚きの声をあげる。でも、たぶんこの女にとっては、永遠に生き続けるということより、永遠にこの容姿をたもっていられるということのほうにこそ、意義を見出しているのに違いない。

「ズルいな、くろボン! しなねえのか」

 クロの隣でステーキをがっついていたケチャが、口の周りを肉汁だらけにしたまま、いつものようにクロのおっぱいをぼすっとはたいた。

「永遠に生きていけるといったって、そのためにはこうして食べ続けなきゃならないわけだし、そのぶん稼がなきゃならないんだよ」

「ほら、ここでも利害が一致してる。……よかったね、じゃじゃさまをパトロンにできて?」

「…………」

 クロはステーキを口に運ぶ手を止め、じろりとハルドールを睨んだ。しかし、結局は何もいわず、ただ小さく噴き出しただけだった。

「……はい? 何かおかしいこといったかな、俺?」

「そうじゃない。……あんたのその顔だよ」

「この美少年顔がどうかした?」

「じゃなくてさ」

「男冥利に尽きるっていうの、これも?」

「ああ……まあね」

 一番奥の席に座ったハルドールは、服はよれよれ髪はぼさぼさ、その代わりに顔中いたるところにあざやかなキスマークを何十個となくくっつけている。この店にやってきてVIPルームに通されるまでのわずかな間に、ここではたらく女たち全員から、熱烈なキスをもらったのである。

 上等なワインをあおり、ハルドールは頬杖をついた。

「――ザブームから国土を守った英雄は俺たち三人、手柄は均等に三分の一ずつのはずなのに、悪いね、俺だけ感謝のキスをいただいちゃってさ」

「そんなものもらったって腹はふくれないからね」

「クロちゃんのいい方だと身も蓋もないけど、まあ、わたしもご主人以外の人からキスされたって嬉しくもなんともないし」

「やれやれ……今からこんな調子だと、じきに俺は素顔で町を歩けなくなるね。一歩歩くごとに綺麗なお嬢さんたちが俺に群がってきてさ。町中パニックだ」

「何だい、あんた? 何だか不満そうだけど?」

「いや……結局、俺はどこの世界に行ってもよそ者だからね」

 フォークに突き刺したワイルドベリーのチョコがけを口に放り込み、ハルドールは肩をすくめた。

「――特にこの世界の場合、乱世が終わる一年後には俺の契約も終わるんだ。そうなれば当然、この世界から出ていくことになる。今からみんなとの別れがつらくてつらくて……食事ものどを通らないよ」

「そのわりにはけっこうくってるぞ、ゆうしゃ」

「これは食事じゃなくてデザートだよ。女の子には必須の別腹って言葉、ケチャも覚えておくといい」

「べつばらか! なんだかいいことばだな! よくわかんねえけど!」

「可愛いなあ、ケチャは」

 ケチャの髪を撫で、ハルドールはワインをすすった。

「あんた……これまでもずっとそうしてきたのか?」

「ん? ああ……ま、だいたいはね。昔のことはあまり思い出したくもないけど、裏を返せば、思い出したくなるほどの思い出なんて特にないんだよ」

「ハルくん……どうしてあなた、そんなふうに思ってるのに、流しの勇者なんかやってるわけ?」

「どうしてかな? ……もう自分でもよく覚えてないよ。でも、たぶん俺は、最初に生まれ育った世界では生きづらくて、それでこんな稼業につくはめになったんじゃないかな? うん、何だかそんな気がしてきたよ」

「自分のことなのに何いってるんだい、あんた? わたしたちみたいな記憶喪失ならともかくさ」

 ドミナから大きなジョッキになみなみとエールをついでもらい、クロはいった。

「――おっ、お食事のところを申し訳ありません!」

 がしゃがしゃとやかましい金属音を引き連れて、唐突にガラバーニュ卿がVIPルームに駆け込んできた。

「こっ、こちらに勇者どのがおいでだと――」

「ああ、団長さんもどう? 祝勝会で一杯やってたところなんだけど」

「そっ、それどころではございませぬ!」

 テーブルのところまでやってきたガラバーニュ卿は、ケチャの飲みかけのミルクをぐいっとあおってひと息つくと、あらためて早口でしゃべり出した。

「じ、実はつい先ほど城に急使がまいりまして、西の国境近くに謎の軍勢が現れ、我が国に侵攻する気配を見せているとのこと! つきましては勇者どのには今すぐお戻りいただきたいのです! 陛下が今後の策を練りたいとおっしゃられて……」

「……じゃじゃさまって、俺はいくらはたらかせてもいいと思ってるよね、完全に」

 ハルドールが膝に手を当てて立ち上がると、クロもステーキの残りをエールといっしょに一気にたいらげた。ちまちまとチーズをかじっていたシロも、口もとをぬぐって立ち上がる。

「ん? きみたちも来るの?」

「だからしらじらしいんだよ、あんたは」

 ピアスが輝く少年の耳を引っ張り、クロは舌打ちした。

 まだ少しムカつく気持ちは残っているが、当面、この少年といっしょに戦っていくしかない――クロはそう腹を決めている。それが自分の主人に再会するための最短距離だということは理解していたし、何よりクロは、戦うことが嫌いじゃない。

 ハルドールといっしょに一階に下りながら、シロは、

「あ、でもね、ハルくんがナルグレイブの鎖の長さを一〇〇万キロくらいに設定してくれたら――」

「無理」

「じゃ一〇万キロ――」

「それも無理」

「じゃ一万キロ」

「刻むのやめてもらえる? 早く戻らないと団長さんの胃に穴が開きそうだから」

「そ、それがしを気遣っていただけるのであれば、みなさま、もう少し早く行動していただけないかと――」

「わかった! ケチャにまかせろ!」

「きみには何もできないだろ? まったく……」

 ついさっき少年の横顔に張りついていた暗い影は今はもうない。ケチャを小脇にかかえ、美しく着飾った女たちに見送られて店を出たハルドールは、ふとクロを振り返って首を傾げた。

「――やっぱり俺の顔に何かついてる?」

「口紅はぬぐっときなよ。じゃじゃさまにまた小言をいわれるから」

「ああっ!? そ、それはそれがしのマントですぞ、クロどの!?」

 ガラバーニュ卿のマントの端で乱暴に少年の顔をぬぐい、クロは歩き出した。

                                ――おわり

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伝説のおねえさんたちがまったくいうことを聞いてくれないのですが 嬉野秋彦 @A-Ureshino

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