第四章 酒と女、支払わざる者食うべからず 【第五節 市場にて】
デルビル商会とザブームとの関係が始まったのは、乱世に突入するよりも前――かれこれ一〇年以上も前のことになる。デルビルはザブームにひそかに物資や資金を提供する代わりに、ほかの商人たちの隊商を襲撃してもらい、その販路を奪い取ってきた。また、周辺諸国に出入りしてさまざまな情報を手に入れることで、ザブームを討伐しようとする動きがあれば、逐一それを伝えてサポートもしてきた。いわばデルビルとザブームは、表沙汰にできない共犯関係にあるといえる。
そのザブームが、乱世の到来に合わせて大魔王への道を歩み出した。デルビルはそこに賭けたのである。
「実を申せば」
とうの昔に水の枯れた噴水広場に積まれた木箱が、盗賊たちの手で片っ端から開けられていく。中身はぴかぴかの未使用の盾や鎧、防具の数々だった。
「……これらの武器と防具は、本来であればランマドーラへ運び込むはずのものだったのですよ」
「ほう?」
「ジャマリエールの小娘が、高値で買うからとにかくまとまった数の武器と防具を用意しろとワガママをいいましてな……確かに、これまであの国にはかなり稼がせてもらいましたが、正直、この先の乱世を生き抜いていくには力不足です」
デルビルは肩をすくめてかぶりを振った。
「――ましてやザブーム陛下に目をつけられたとなれば、一年ともちますまい。ならばこれ以上小娘に肩入れしても損がふくらむだけですからな」
「それよりは吾輩に恩を売って戦後の儲けを大きくしたほうがよい、と?」
「ありていに申せば」
「商人にしては正直者だな、貴公は」
巨体を揺すって笑ったザブームは、ふと思い出したように、
「……そういえば思い出した。確か貴公にも、吾輩ほどではないにしろ、立派なヒゲがあったような気がするのだが?」
「あ、いや、これは……」
絆創膏を押さえ、デルビルは口ごもった。
「……先日、ランマドーラでいささか」
「ほう?」
「そ、そうだ、いい機会ですので、ぜひ陛下のお心に留めておいていただきたいことがあるのですが……」
「何かね? いってみたまえ」
「ランマドーラの城下に〈絞首刑〉という店があるのですが、ランマドーラを攻め落としたあかつきには、そこの女たちをぜひ私にお下げ渡しくださいますよう……」
「尻の毛を抜かれるという話はよく聞くが、さては貴公はヒゲをむしられたか」
「まあ、何と申しますか……その、はあ」
「よかろう。吾輩も、あの経済都市は灰に変えてしまうのは惜しいと考えている。可能なかぎり無傷で手に入れるつもりだが、いずれにしろ、再建の折には貴公にも手を貸してもらわねばならんからな。酒場のひとつやふたつ、安いものだよ」
「は……あ、ありがとうございます」
もしザブームがそのへんにいる怪力だけが自慢のジャイアントであったなら、いかに強かろうと、デルビルも手を組もうとは考えなかっただろう。しかし、ザブームは突然変異ともいえる知性派のジャイアントだった。破壊しか考えない同類とは正反対の、冷静な思考を持つ戦略家で、だからこそこうして取引が成立する。
「――そう、ということは貴公、ついこの前までランマドーラにいたのだな?」
「は、はい」
「では、何か勇者の話は聞かなかったかね?」
「ああ……はい。町はその噂でもちきりです」
「例の傭兵団があっさり潰走した話は貴公も知っているだろう?」
「はい」
グリエバルト魔王国に加勢するはずだった傭兵団が、契約を反故にしてブルームレイク攻めに転じたのは、そもそもザブームがめぐらせた策の一環だった。信用第一のはずの傭兵団を寝返らせるために、ザブームはかなりの現金を用意しなければならなかったが、そのためにデルビルも少なからず協力している。
「……せっかく寝返らせた傭兵たちが、その勇者の活躍であっさりと潰走させられたという。もちろん吾輩とて、あの傭兵団だけでブルームレイクを落とせるとは考えていなかったが、だとしても、支払った金に見合う戦果でなかったのは事実だよ。もし本当に彼らを叩き潰したのがその勇者だというのなら、何か策を考えなければならぬ」
「確か……ハルドールとかいう名前だとは聞いておりますが」
「うむ。吾輩の手の者が聞いてきたところによれば、まるで少年のような風体で、左右に赤毛と金髪の美女がついていたとか」
「少年……? 赤毛の美女……?」
「ん? どうかしたかね?」
「いえ……その美女というのは、ひょっとして、こう、肌がほんのり焼けたような」
「知っているのかね?」
「……かもしれませぬ」
デルビルは険しい表情で鼻の下を押さえた。
☆
当たり前のことだが、城の住人たちは、何か必要になったとしても、わざわざ城下に買い物に行ったりしない。食料や消耗品のたぐいはとにかく量が多いため、定期的に商人たちのほうから納入にくるという。
「……だったらわざわざ買い物に出なくてもいいんじゃないの……?」
市場の雑踏の中で不安そうに周囲を見回し、シロはハルドールの上着の裾をぎゅっと引っ張った。この人いきれの中では連れと簡単にはぐれてしまいかねないから、気持ちは判らないでもない。が、いかんせん、腕力にしろ握力にしろ彼女は強すぎる。
「あの……ミス・マシュローヌ? 新調したばかりの服が破れるから、少し力をセーブしてくれるかな?」
「えっ? ひ、ヒドい、ハルくん……わたしの不安が判らないの?」
「きみほどのパワーがあって何が不安なんだか……だいたい、そんなおびえるくらいなら、わざわざついてこなくてもよかったんだよ?」
「だ、だって……もしかしたら、何かのきっかけでハルくんに大きな恩を売ることができるかもしれないし――」
「はい?」
「ほ、ほら、たとえばここに狂暴な暴れ牛が突っ込んできて、わたしが身を挺してハルくんを助けたりしたら、お礼に籠手の左手のほうを――」
「……暴れ牛がここに現れる可能性はゼロじゃないにしても、ぼくが暴れ牛をよけそこねる確率はゼロだよ。というか、わざわざよけるまでもないし」
勇者力をそそぎ込んだハルドールの拳なら、巨大なパンダの頭蓋骨だろうと水牛の頭蓋骨だろうと、一撃で砕くことができる。暴れ牛に後れを取ることなどありえない。
「そ、そんな……!」
そう聞いたシロは鼻をすすって涙ぐんでいる。しかし、この涙にいちいちつき合うのは労力の無駄だということをすでに知っているハルドールは、それをスルーすると、自分たちの少し後ろを歩いてくるケチャとクロをちらりと見やった。
「……気のせいか、きょうのミス・グローシェンカはおとなしいね。口数もやけに少ないし。何かあった?」
「この前のことがあったから、それで照れ臭いんじゃないの?」
「この前って?」
「だから、酔って正体をなくしてハルくんに背負われて帰ったこの前の夜のこと」
「えっ? きみ、そのこと彼女にしゃべっちゃったの?」
「うん」
こともなげにうなずくシロ。ハルドールは思わず上ずる声を抑え、シロにいった。
「ぼくに背負われて帰ったことを知ると、ミス・グローシェンカの精神衛生上よくないから、代わりにきみに背負っていってとぼくは頼んだよね?」
「うん」
「でもきみがそれを断ったんだよね? いわなきゃばれないって?」
「うん」
「なのにばらしたの?」
「うん」
「どうして?」
「だって、ばらしたほうが面白そうだったし……」
「きみは何かというと俺をヒドいヒドいというけど、きみのほうがヒドくない……?」
ハルドールは首をすくめてクロを振り返った。
「…………」
「ひいっ!?」
クロのほの暗いまなざしとまともに正面から見つめ合ってしまい、ハルドールは慌てて前に向き直った。
「あ、あれは絶対に怒ってる顔だな……理不尽だ。理不尽すぎる。どう考えても俺に落ち度はないのに――」
「クロちゃんはあの通り不器用で意地っ張りな子だからぁ」
シロは他人ごとのように楽しそうに笑った。
「あなたに借りを作ってしまったことが悔しくて、けどそれを言葉にするのも男らしくない――っていい方はおかしいけど、とにかく文句もいえないから、せめてああして睨むことしかできないんじゃない?」
「……本当に理不尽だ」
女からの恨みがましい視線のひとつやふたつ、ふだんなら何とも思わないハルドールだが、相手は人を一瞬で丸焦げにできる物騒な魔法生物である。それに、彼女を心服させなければならない以上、このままでいいはずがない。
ハルドールはその場できびすを返し、クロに歩み寄った。
――つづく
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