第四章 酒と女、支払わざる者食うべからず 【第四節 デカいヒゲと小太りのヒゲ】
シロはクロの寝顔を覗き込み、小さく笑った。
「酔って寝ていたって、危険を感じればすぐに飛び起きるわ。むしろそういう時のクロちゃんが一番危ないのよ。半分寝ぼけたまま、無差別に周りのものを焼き尽くそうとするから……だからハルくんも、絶対にクロちゃんの寝込みなんか襲っちゃダメよ?」
「やれやれ……まだ信用されてないのかな、俺は?」
「んー……わたしよりクロちゃんのほうがハルくんを信用してると思うけど」
「彼女が? とてもそうは思えないけどな」
「そんなことないわ。基本、クロちゃんは直感で生きる野生動物みたいなものだから、あれこれと言葉を交わすより、実際に戦うほうが相手を理解できるのよ。だから、ハルくんのこともそれなりに理解してると思う」
「ああ……それは俺も同じかな」
少なくとも、おびえたりうろたえたりする裏で何かたくらんでいそうなシロより、たとえケンカっ早かろうと、直情的なクロのほうが考え方が判りやすいし、その意味では信用できる。
とはいえ、さすがにシロにそう告げることもできず、ハルドールは溜息をひとつついて話題を変えようとした。
「……ところでさ、ミス・グローシェンカとそっちのケチャ、交換しない?」
「え? 女のわたしにクロちゃんを背負えって……ハルくん、どうしてそんなヒドいこというの? そもそもケチャちゃんだって、本当ならハルくんが背負ってくべきじゃないの?」
「いや、だってきみ……」
大雑把に考えて、ハルドールとクロのパワーはほぼ互角、ならばクロを腕力でねじ伏せられるシロのパワーはハルドールを大きく上回る。シロのパワーなら、クロとケチャを左右の肩にかついで鼻歌交じりにスキップするくらいわけはないだろう。
ハルドールは小さく咳払いをし、
「……ミス・グローシェンカの性格をかんがみるに、もしあとで自分が俺に背負われて帰ってきたなんて知ったら、きっと大きく恥じ入るか激昂するかのどちらかだと思う。それを避けるためにも、きみが背負っていったほうがいいと思うんだよ」
「そんなのいわなければバレなくない?」
「そりゃそうだが……」
気づけばシロは、ケチャの後ろ襟に指を引っかけ、まるでバッグか何かのようにぶらぶらさせて歩いている。ケチャが熟睡を続けているからいいようなものの、どうもこの金髪美女の場合、自分への気遣いに全振りしすぎたせいで、他人への気遣いがひどく欠けている気がしてならない。
「……クロちゃんも、きっといろいろあるのよ」
「いろいろって?」
「いくら身近に危険なものがなかったとはいえ、クロちゃんがこんなに酔って寝込んじゃうほど飲むって、たぶん、不安なんだろうなって」
「不安? 片手ひら~、で何百人もの兵士たちを薙ぎ払える彼女が?」
「強くさえあれば不安がないわけじゃないでしょ? 現にじゃじゃさまは、強い力を持ってるのに、国を守っていくことに不安があったからあなたを召喚したんだし、わたしたちの封印を解いたのよね?」
「まあ、人にはそれぞれの立場に応じた悩みがあるのは判るけど……察するに、きみたちのご主人のことかな?」
「ええ」
シロは手を伸ばしてクロの額にかかった髪を指で梳いた。
「――ゆうべわたしたち、あらためて自分たちが覚えてる記憶をすり合わせてみたの。でも、結局わたしたちが覚えているのは、おたがいのことと、わたしたちがご主人と呼ぶ誰かにつきしたがっていたということ――それくらいだった」
ご主人、あるいはダンナと呼ぶ何者かが、本当は何という名前で、どんな姿をしていたのか、自分たち三人が最後に何をしていたのか、誰と戦っていたのか――何ひとつ思い出せないのだと、シロは淋しげにもらした。
「もしわたしたちが完全に記憶を失っていたなら、もしかしたらここまで不安にならなかったかもしれない。でも、わたしたちには中途半端に記憶が残っているから……」
「きみも不安なの?」
「不安だし、嫌だわ」
シロは潤んだ瞳を伏せてうなずいた。シロが見せる涙の何割かは、彼女の高度な演技力によるものじゃないかと疑い始めているハルドールだけど、この涙はおそらく本物に違いない。
「……あんなに好きだったはずのご主人のことを思い出せないことも嫌だし、なぜ自分たちだけが戦場に放置されていたのかを考えるのも怖い。前にじゃじゃさまがいってたように、状況から考えれば、ご主人が討ち死にして自分たちがそのまま放置されていた可能性もあるでしょ?」
「だけど主人の死を信じたくはない、か……」
「もちろんご主人が生きていてほしいとわたしたちは思ってるわ。だけど……だとしたら、どうしてわたしたちは戦場に置いていかれたの?」
主人が死んだと考えたくないシロたちの気持ちは理解できる。しかし、もし主人が生存しているのだと仮定すると、何らかの理由でシロたちを戦場に捨てたことになる。どちらにしても、それはシロたちにとっては耐えがたいことに違いない。
「……ご主人本人を見つけて問いただすか、でなければご主人のことを知る人を見つけるかしないと、とても真相は判らないけど……」
「そうか……」
自分の肩に顎を乗せて眠るクロを振り返り、ハルドールは笑った。
「意外に繊細なところもあるじゃないか、ミス・グローシェンカ」
「ハルくん、いくらわたしたちのことが好きになっても無駄よ? わたしたちはご主人のものなんだからぁ」
「……そう聞くと、見ず知らずのご主人とやらへの嫉妬が止まらないね。俺だって本来の姿になればかなりイケてるダンディだと思うんだけど、それでもダメ?」
「んー……外見がどうのというより、ハルくんはちょっと口数が多すぎるかなぁ? そのせいで軽薄そうに見えるっていうか……」
「……ミス・グローシェンカにもいわれたよ、それ。けど、女性に対する賛辞はいくら連ねてもやりすぎってことはないと思わない?」
「ご主人はもっと寡黙で渋い人だったような気がするのよね……だから、ハルくんとはぜんぜんタイプが違うみたい」
「そうなのか……けど、だからといってこのスタイルを捨てたら、俺は俺じゃなくなるしなあ」
いつしかハルドールたちは城の近くまで戻ってきていた。町が夜のしじまに支配されていようと、さすがに城の守りに休みはないのか、門前や城壁の上には篝火がいくつも焚かれ、白銀の鎧に身を包んだ兵士たちが槍をかかえて歩哨についている。
「おっ、お帰りなさいませ!」
「ご苦労さん」
ハルドールたちの帰城に番兵たちが緊張気味に敬礼する。とはいえ、彼らが緊張しているのはハルドールに対してではなく、シロとクロのふたりに対してだろう。近衛騎士たちがクロひとりに蹴散らされたという話は、すでに城内の兵士たち全員の知るところとなっているようだった。
「……ねえ、ハルくん、あれ――」
城門を抜け、広大な中庭の中を縫う道を歩いていると、シロが何かに気づいてハルドールの肩を揺さぶった。
「え……?」
シロに急かされて顔を上げると、まばらに輝く星々の間を、それよりもはるかに明るい光を放つ何かが飛んでいくのが見えた。それもひとつやふたつではない。いくつもの光が尾を引いて、東から西へ、あるいは北から南へ、夜空を横切って飛んでいく。
それがいったい何なのか、ハルドールにも判らない。ただ、同じくその光に気づいた兵士たちは、ひどくうろたえた様子で空を見上げていた。
「な、何なんだ、あの光は……?」
「流れ星――じゃないよな?」
「とっ、とにかく、総員、警戒態勢!」
ざわつく兵士たちを一瞥し、ハルドールとシロは顔を見合わせた。
☆
絆創膏が貼られた鼻の下をかき、ドン・デルビルは顔をしかめた。
「……くそ」
「何かいったかね、デルビル会長?」
頭上から降ってきた地鳴りのような声に、デルビルは思わず首をすくめた。
「い、いえ、ちょっと……」
「そうかね? まあいいが……身体はいたわりたまえ。いくら金を稼いだところで不健康では人生楽しむことはできんよ?」
「は、はあ……」
隣に立つ身長五メートルのジャイアントを見上げ、デルビルはぎこちなく笑った。
いったいいつの時代に作られたものか、深い森の奥にひっそりと存在する遺跡が、盗賊巨人ザブームの目下の本拠地である。その遺跡に今、長蛇の列をなして、おびただしい量の物資が運び込まれていた。デルビル商会がザブームに供出した、武器や防具、兵糧といった軍需物資である。
続々と積み上げられていく物資の山を満足そうに眺め、ザブームは自慢のヒゲを撫でつけた。
「これほど短期間にこれだけの物資が揃うとは……さすがはデルビル商会だ。仕事が早くて助かるよ」
「いえいえ、陛下にはいつもお世話になっておりますから」
「陛下? それはさすがに気が早いな。吾輩はまだ一介の盗賊にすぎぬよ」
「陛下が一国のあるじとなるのもそう遠くはない……私はそう信じておりますので」
――つづく
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