第四章 酒と女、支払わざる者食うべからず 【第六節 一触即発】

「代わろう、ミス・グローシェンカ」

 人混みの中を歩き疲れたのか、いつの間にかケチャはクロにかかえられてぐっすり寝こけていた。確かこの少女はハルドールの世話係だったはずだが、逆にハルドールやその周囲の人々にたびたび面倒をかけていることについては、果たしてどう考えているのだろうか。

「別にいいよ。さして重いもんでもないし」

 クロはぷいっとそっぽを向き、まるで濡れたタオルをかけるかのように、かかえていたケチャを肩に乗せた。

「……いったいどんな理由があってこんな年で城勤めのメイドなんてやってるのか知らないけど、たぶんいろいろと疲れてるんだろ」

「そうだね……きみはやっぱり」

「……何だい?」

「きみはやっぱり、本質的には弱者に対して思いやりを持てる人なんだな」

「は?」

「この前だって、結局きみたちは俺といっしょにブルームレイクを守ってくれたろう?」

「ただあんたに乗せられてやっただけだよ。……久しぶりにのびのびと身体を動かしたかった、ただそれだけさ」

「いつかきみのご主人と再会した時のために――かい?」

「ああ」

 すでにクロはあのじっとり湿った視線を引っ込め、何も気にしていないとでもいいたげに、路傍の屋台を覗き込んでいる。ハルドールはスパイスの効いたヒツジの串焼きを何本か買うと、クロとシロに差し出した。

「……俺の仕事はこの乱世を勝ち抜いてじゃじゃさまを大魔王にすることだ。そのためにはきみたちの協力が必要だとじゃじゃさまがいっている」

「だろうね」

 受け取った串焼きにさっそくかじりつき、クロは鼻を鳴らした。

「俺自身は、たとえ俺ひとりでもやりとげるつもりでいるんだ。ただ……判るだろう、ミス・マシュローヌ?」

「えぇと……わたしたちがいたほうがずっと楽だってこと?」

「流れる血の量が減るといったほうがいいかな。……俺はいつだってきみたちと仲よく楽しくやっていきたいと思ってる」

「でもぉ……ねえ? わたしはそういう物騒なのイヤだし……」

 正直、シロの怖がりはファッションというかビジネスというか、本人がそれをどこまで狙っているかはともかく、実質的に、「かよわくはかなげで美しいわたし」を演出するためのものとしか思えない。たとえばシロを餓えたオオカミの群れの中に放り込んでひと晩放置したとしても、翌朝ハルドールが発見するのは、死屍累々と転がるオオカミの中で号泣する無傷の彼女だけだろう。

 ハルドールはさらにシロの空いているほうの手にも串焼きを握らせ、

「――もしきみのいうご主人とやらが生きていたら、この乱世でどう動くかな?」

「それは――」

「戦うだろ」

 シロより先にクロが答える。

「――はっきりとは覚えてないけど、これだけは断言できる。わたしたちはずっと戦ってた。だから、ダンナが生きていれば、今度の乱世でもきっと大魔王を目指して戦い始めてるはずだよ」

「だったら、きみたちがご主人と再会するためには、同じ舞台に立つほうがいいと思わない?」

「それは……一理あるかもしれないけど……」

 シロはいぶかしげな表情でクロと顔を見合わせ、もそもそと串焼きをかじった。しかし、クロは食べ終わったあとの串をハルドールに差し向け、不敵にいい放った。

「だから俺に協力してくれって? さすがにそんな手には乗らないよ。戦うならあんたらだけで戦うんだね」

「いい話だと思うんだけどなあ」

「この乱世でダンナが台頭してくるのなら、わたしたちはそれを待っていればいいだけのことだろ? たとえあんたがわたしからの挑戦を拒み続けたとしても、ダンナと戦うことになれば勝敗は見えてる」

「え? そう? 俺だってそこそこ強いつもりなんだけど……」

 眉間にしわを寄せ、ハルドールは苦笑した。

「どっちが強いかって話なら、わたしもクロちゃんの意見に賛成だわ。ハルくんじゃご主人には絶対勝てない気がする」

「ご主人のことを具体的には何も覚えてないのに?」

「でも、とにかく強かったってことは覚えてるから……確かにハルくんも規格外のニンゲンだけど、ご主人にはおよばないと思う」

「そういうことだよ。判ったかい?」

 ずっと気難しげな顔をしていたクロが、きょう初めて笑みを見せた瞬間、ハルドールは名前も知らない、見たことすらないそのご主人とやらに、激しい嫉妬を感じた。ご主人なるその男は、これほどの美女たちから無制限の信頼を勝ち得ているのだ。

 かすかな動揺を鎮めたハルドールは、小さく咳払いをして続けた。

「……だとしても、きみたちは俺の提案に乗るべきだと思うよ」

「しつこいね、あんたも」

「何の理由もなくいってるわけじゃないよ。――そもそもこの乱世では、かならずしもきみたちのご主人が勝ち残れるとはかぎらない」

「は? あんた、わたしたちのダンナを馬鹿にするのかい?」

「だって、今のご主人には最強の武具のはずのきみたちがいないわけだろう?」

 ハルドールの指摘に、クロの怒気がしゅるりと引っ込んだのが判った。

「それに、きみたち主従が別れ別れになったのだって――これは推測でしかないけど、おそらく戦いに敗れたからだ。だったら、今度の乱世でもご主人がふたたび後れを取らないとはいいきれない。だとすれば、きみたちにとってベストなのは、一日でも早くご主人と感動の再会を果たすことじゃないかな?」

「もちろんそうよ。わたしたちだってご主人に今すぐ会いたいわ」

 両手に食べかけの串焼きを持ったまま、シロがぐすぐすいい始める。

「だからだよ。ご主人が台頭してくるのを待つというのもひとつの手だけど、きみたち自身が有名になれば、逆にご主人のほうがきみたちを見つけて、ここまで迎えにきてくれるかもしれない。……どう考えても、ただ待つより効率がいいよね?」

「それは確かにそうかも……」

 計算高いシロが串焼きを食べながら思案顔を見せる。クロもハルドールの提案にツッコミどころが見つからないせいか、何もいえずにうつむいていた。

「……ただ、ひとつだけ難点がなくはない」

「難点……?」

「ああ。……きみたちが戦場に置き去りにされていた理由が、もしご主人に見捨てられたからなのだとすれば、いくらきみたちが威名をとどろかせようと、彼がきみたちを迎えにくることは――」

「おい」

 ハルドールにみなまでいわせず、クロが串を投げ捨てて襟首を掴もうとしてきた。寸前でその手を逆にハルドールが掴み止めると、クロは静かに左の拳を握り締め、

「……それ以上くだらないことをいうんじゃない。口が腐るよ? わたしが消毒してやろうか?」

「加熱殺菌の必要はないよ。毎朝毎晩、それに三度の食事の前にも歯を磨いてる」

「その減らず口……本当にムカつくよ」

「ちょ、ちょっと、クロちゃん――」

 ハルドールとクロの間でシロがおろおろしていいる。が、それ以上に周囲の人々のほうが、両者の睨み合いに気づいてざわついていた。人出の多い市場ならケンカや掴み合いくらいは日常茶飯事だろうけど、そうしたトラブルに慣れている人々だからこそ、ハルドールたちの睨み合いがふつうではないことを敏感に感じ取ったのかもしれない。

「いい加減先延ばしにするのはやめなよ。……いい機会だ、そろそろ決着をつけようじゃないか、おチビちゃん」

 クロの全身から、目に見えるくらいのねっとりとした殺気が放たれている。それを浴びた市場で遊ぶ子供たちが唐突に泣き始め、それをきっかけに、ハルドールたちの周りから徐々に人の波が引いていった。もし彼らの中に、ここで対峙しているのが救国の英雄と最強の武具だということを知っていたなら――そして、ハルドールたちがブルームレイクで数千の敵をさんざんに打ちのめしたということに気づいたなら――一気に大パニックになるだろう。

 ハルドールはあたりを見回し、

「……ご主人の教育がよくなかったのかな? 人に迷惑はかけないようにって教わらなかったの?」

「わたしを挑発してるつもりかい? どうでもいいんだよ、ほかの連中のことなんて」

「じゃあやればいいんじゃないかな?」

「あんた――」

 性格的に考えて、よっぽどのことがないかぎり、クロは無抵抗の相手に攻撃を加えたりしない。その、“よっぽど”のラインがどこにあるのか――実をいえばハルドールにも判らなかった。ご主人のことを引き合いに出してさんざん挑発した結果、もしかしたらとっくにそのラインを踏み越えていて、今にも周囲の人々まで巻き込むような魔法を炸裂させる可能性だってゼロとはいいきれない。

 ただ、それでもハルドールは、クロの激発はない、と信じていた。

                                ――つづく

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