第四章 酒と女、支払わざる者食うべからず 【第二節 女の園】
「なあマダム」
女の器量には興味がないのか、クロが一階フロアのテーブルを見下ろして尋ねた。
「――この町は男の数がやたら少ないようだけど、それで商売が成り立つのかい? こういったら何だけど、こういう店のターゲットは男だろう?」
「くろボンさまはよそからいらしたのかしら?」
「クロでいいよ。……確かにこの町は初めてだけど」
「そうでございましたか」
二階の一番奥まったところへとやってきたドミナは、紫のカーテンをめくってハルドールたちを招き入れた。
「確かにこの町の殿方の数は多くありませんけど、商売でよそからいらっしゃるかたがたも多いですし」
「ああ……そういう連中なら贅沢に遊ぶ金も持ってるわけか。やっぱり客単価が高いんだな」
「ええ。おかげさまで何とかやっていけております。身のほど知らずの男どもの屍の上に建った店、なんて悪口をいう連中もおりますけど、それは代価を払えずにさらし者にされた男たちの遠吠えにすぎませんわ」
一階フロアの華やかな猥雑さから切り離されたVIPルームには、大きなオーバルのテーブルとふかふかのソファが用意されていた。ここの調度類ももちろん上質で手抜きがない。こことくらべると、質実剛健なじゃじゃさまの城のほうが貧層に見えてくるくらいだった。
「今後は前もってお伝えいただければ、貸切にもいたしますから」
じゃじゃさまの紹介なら勘定を踏み倒される心配がないと考えているのか、あるいは出せば出しただけ儲けになると思っているのか、何も注文していないのに、酒と料理が次々に運ばれてくる。巨大なテーブルが皿とグラスで埋まるまで、ものの三分もかからなかった。
「くえ、ゆうしゃ! うめえから!」
ケチャがケイポンのローストにナイフを入れ、誰よりも早くもぐもぐと食べ始める。ふだん給仕役に徹している少女の横着さに苦笑していると、ドミナみずからハルドールのグラスにワインをそそいだ。
「――ところで、ゆうしゃ……さま? ひょっとして、ブルームレイクを救ったと噂の異世界から来た勇者ハルドールさまかしら?」
「自分で名乗るのは面映ゆいからいわないけど、ま、否定はしない」
「あんた……それはもう、自分で名乗ってるようなもんだろ?」
ケチャの向こうを張るように、クロもまたすでに忙しそうにナイフとフォークを動かしている。ケチャの健啖さはたった今知ったばかりだが、クロとシロがやたら食べるということは、すでにきのう見て知っている。うかうかしていると、ハルドールが食べるぶんがなくなるだろう。
「なるほど……救国の英雄とそのご一行さまということですわね?」
ドミナの言葉に、ひくっとクロの眉が吊り上がった。
「いっとくけど、わたしは別にそいつの手下でも仲間でも――」
「そ、そういえば~」
「でゅふっ」
シロがさりげなくクロの脇腹にショートフックを叩き込んで黙らせた――ハルドールはその瞬間の目撃となった。
「あ、あの~……そもそもこの国に男性が少ないのって、どうしてか教えていただけるでしょうか? もしよろしければ、ですけど……」
「ひと言でいえば戦争のせい、それに陛下のおかげですわねえ」
「戦争のせい……? 徴兵されて男性の数が減ったということでしょうか? そのわりには兵士の数が多いわけでもないですし……」
「いえいえ、この国に女が多いのは乱世になる前からですわ。この国なら女が安心して暮らせますから」
「……どういう意味だい?」
脇腹を押さえて無言で身をよじっていたクロが怪訝そうな表情で聞き返した。
「魔王といっても、ジャマリエール陛下はああいうおかたですから」
ドミナがじゃじゃさまの何を指してそういっているのか、ハルドールにはよく判らなかった。もちろんクロやシロにも判らなかっただろう。
「――あのおかたは、あたくしたち女の庇護者なのですわ」
「女たちの庇護者……?」
「ええ。戦争が始まれば、真っ先にひどい目に遭うのは力のない女と子供たち……陛下はこの魔王国を建国した当初から、戦乱にもてあそばれる世界中の女たちに向けて、この国へ集まるように呼びかけてこられたのです」
「じゃじゃさまがそんなことを?」
乱世終焉から次の乱世開幕までの四九九年間、魔王同士の争いは禁じられているとはいえ、結局、この世界の人々の上に君臨しているのは、そうした力を持てあました魔王たちである。おのずとどこの魔王国でも、力の強い者が社会の上位に立ち、弱い者がしいたげられるという構図になりがちだった。
そんな中、自身が女だからか、それとも何らかの思惑があったのか、じゃじゃさまは自分の懐に逃げ込んでくる女たちをあたたかく迎えてきたのだという。
「実際この国では、社会福祉は男よりもはるかに女に手厚く行き届くようになっておりますから」
男よりも女のほうが人頭税が安く、法律も何かと女の味方をしてくれることが多い。建国から五〇〇年、その制度を維持し続けているおかげで、この国には世界各地から困窮した女たちが集まってくるのだという。
「軍拡より経済発展を優先してたのはそういう意味もあるのか……」
テーブルの上を見て、ハルドールはしたり顔でうなずいた。
ランマドーラは海から遠く離れた内陸の平野部に位置する町だが、今この食卓には、新鮮な海産物を使ったスープや海鳥のタマゴを使ったデザート、さらには秋にならなければ収穫できないはずの果物も並んでいる。これほどバラエティに富んだ皿を一度に提供できるということは、それだけこの町の市場に、大陸各地からさまざまなものが日常的に運び込まれていることをしめしている。
サフランソースのかかったスズキのグリルをもぐもぐ食べながら、ハルドールはふと気づいた。
「……ひょっとして、マダムもこの国の生まれじゃないのかな?」
「ええ。わたしだけでなく、この店のほとんどの子たちはそうですわね。生まれや素性はそれぞれ違いますけど、共通しているのは、みんな男運がないことかしら?」
ドミナはそれ以上詳しく語らなかったが、何となく事情は察せられた。ここではたらく女たちが器量も年齢もまちまちなのも、そのあたりに理由があるのだろう。いわばこの店は、何かに追われていた女たちが逃げ込む最後の砦なのかもしれない。
「……女の庇護者を気取るのはいいけど、それで軍隊が弱体化してるんじゃ本末転倒だと思うけどね」
真っ赤なワインを水のように何度もあおり、クロは呟いた。
「これまではそれでどうにかなってたのかもしれないけど、もう世界は乱世に突入してるんだろう? 男手が足りない、軍が弱い、それで国を守れなかったら、結局、この国に救いを求めてやってきた女たちはもっと不幸になるんじゃないか?」
「だから俺が呼ばれたんだよ」
ハルドールはじっとクロを見つめた。
「簡単にいうじゃないか」
「俺が口先だけの男じゃないってすぐに証明してみせるさ。この国が女性上位の夢の国だというならさらに張り合いも出るしね」
「そうかい? ま、好きにすればいいよ。わたしには関係ないことだし」
「ちょ、ちょっと、クロちゃん……」
ハルドールとクロの間にただよい始めた剣呑な空気を察して、シロが今にも泣きそうな顔で相棒の肩を揺すった。
「わたしとの決着がつく前に、あんたがよその魔王に殺されないように祈ってるよ」
「それはありがたいね。聖女にかぎらず、女性の祈りは俺を強くしてくれるからさ」
そう小さく笑ったハルドールは、ちゃっかり彼の皿からスズキを強奪していたケチャを膝の上に載せ、黄色く汚れた口の周りを拭いてやった。
「……すいません、マダム」
会話が途切れて居心地の悪い沈黙が落ちてきた時、カーテンをめくって店の女がひょいと顔を覗かせた。
「今、デルビル商会の会長さんがお見えになって、すぐにマダムを呼べと……すでにどこかでお飲みになってきたらしくて」
「あら、ご来店と同時に管を巻いてらっしゃるわけ? どうせなら酔うなら最初からウチで高いボトルを開けていただきたかったのだけど」
「どうしましょう? その……用心棒のような男たちもいっしょで……」
そう伝える女はひどくおびえているようだった。どうやらあまりスジのいい客ではないらしい。
――つづく
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