第四章 酒と女、支払わざる者食うべからず 【第一節 食欲の湧く店名】

 すでに日は沈みかけ、東の空から忍び寄る夜の帳が町を群青色に染め変えつつある。長く伸びた影を引きずって歩く人々は、夜を前に家路を急いでいるのか、やけに足早だった。

「ケチャ、じゃじゃさまおススメの店はどこかな?」

「あっち!」

 大雑把な道案内でクロたちが向かったのは、大通りよりもひと足早く夜が訪れたような、どこか淫靡な空気のただよう裏通りだった。あからさまに女性が多いこの町で、この裏通りにはなぜか男の姿が目立つ。

「……つまり、そういう店が集まってる通りってことかな」

「ん~、いいお酒がありそう」

 かすかに香ってくる上質なアルコールの香気に、シロが形のいい鼻をひくつかせる。

「ケチャ、店の名前は?」

「しばりくび!」

「……はい?」

「しばりくび! だったとおもう!」

「〈縛り首〉って……そんな物騒な名前の店に客が来るわけないだろう?」

 ケチャの頓狂なセリフにクロが肩をすくめていると、シロがちょんちょんと肩をつついてきた。

「……クロちゃん、ちょっとあれ見て。わたし、怖い……!」

 裏通りの一角に、ひときわ大きな間口を取った構えの店があった。大理石の柱やタイルをふんだんに使用した豪勢な造りの三階建ての店で、それを誇示するかのように、店頭やバルコニーに煌々と篝火が焚かれている。

「客単価の高そうな店だね」

「じゃなくて、ほら、あれ……!」

 シロがその店の脇を指さす。

「……は?」

 見れば、店の隣の厩舎のところに太い木で組んだ枠のようなものが立っていて、そこにいくつか大きな袋のようなものが吊られている。咄嗟にそれが何なのか理解できず、ハルドールたちはじっと凝視してしまった。

「……何だい、あれ?」

「しばりくび!」

 ハルドールの肩から飛び下りたケチャは、小走りに吊られた麻袋のそばに駆け寄り、スカートをひるがえして蹴りを入れた。

「――てい!」

「うぐぇ……」

 ケチャの回し蹴りを食らった袋が低い声で呻き、もぞもぞと動いた。

「!?」

 地上に下ろした麻袋を開けて中を確認してみると、縄で縛られた半裸の男が押し込められていた。袋の中で上下さかさまに吊るされていたらしく、真っ赤な顔で苦しげに喘いでいる。

「な、何なの、これ!? こ、怖い……!」

「ここでのみくいするとこうなる!」

「え!?」

「……そういえば、俺が前に立ち寄ったことのある異世界に、貴人を処刑するにはこういう袋に詰めて撲殺するって国があったな」

「じゃあこいつもこれから処刑されるってこと?」

「おほほほほ! あたくしの店の前で物騒なことをいうのはやめていただけるかしら?」

 ハルドールたちが男を囲んでひそひそやっていると、店の中から羽根扇子を持った女が出てきた。年の頃は三〇代のなかばくらいか、匂い立つような色気のあるかなりの美女である。ゴージャスな銀色ラメのドレスに押し込まれたボディはシロ以上にむっちりとしているが、こういうプロポーションが好きな男は確実に存在する。

「ぎんボン! きゃくつれてきた!」

 ケチャは軽く背伸びをしてドレスの女のおっぱいをぺたぺたと叩き、ハルドールたちを指さした。

「あらあら、ケチャが案内してきたってことは、陛下のご紹介のお客さまかしら? ウチの店に欲しいくらいのお嬢さんがたに……こちら、可愛い殿方だわね」

「俺もあなたのような美しいご婦人とお近づきになれて光栄だよ。……拷問はノーサンキューだけど」

 ハルドールはちゃっかり美女の左手を取り、手の甲に軽くくちづけをした。

「お口のお上手なお客さまだこと」

 美女は顔の下半分を扇子で隠したまま、目を細めて笑っている。なかなか油断のならなさそうな美女だった。

「――とにかくこんなところで立ち話も何ですし、さあ、どうぞ中へ♪」

「ちょっと待ってくれよ」

 クロは地面に転がされている男を指さし、美女に尋ねた。

「うっかり足を踏み入れてこんな目に遭ったんじゃシャレにならないからね。ちゃんと説明してもらえるかい?」

「おほほほほ」

「おほほほほじゃなくて!」

「どうかお気になさらず。当店ではよくあることですわ」

「……どういう店だよ?」

「ウチで楽しいひと時をすごしたにもかかわらず、正規の料金をお支払いいただけない場合は、ほかのお客さまへの見せしめとして、身ぐるみを剥いでここでひと晩すごしていただく決まりになっておりますのよ。つまり、この男たちは無銭飲食の犯罪者……容赦無用ですわ」

「だから〈縛り首〉なのか」

「はい?」

 いったんは店の中に入ろうとしていた美女は、ハルドールの呟きに足を止めて振り返った。

「いや、ケチャに店名を聞いたら〈縛り首〉だって」

「ケチャったら……ウチの店はそんな品のない名前じゃありませんわ」

 美女は手にしていた羽根扇子でエントランスの上にかかげられた看板をしめした。そこには見事な装飾文字で〈絞首刑〉と刻まれている。

「……〈縛り首〉も〈絞首刑〉も大差なくない?」

 シロが首をかしげてひとりごちる。しかしハルドールは、

「いや、あながちそうでもないよ。〈縛り首〉には未開地を思わせる野蛮さがただよっているけど、〈絞首刑〉という響きには法整備が進んだ文明の香りが感じられるからね」

「あら嬉しい。そのへんの微妙なニュアンスの違いを判ってくださるお客さまは珍しいんですのよ?」

 機嫌よさそうに笑って、美女はみずからクロたちを店内へと案内した。

 外観からある程度予想できていたが、〈縛り首〉あらため〈絞首刑〉の内装は贅を尽くした見事なものだった。エントランスホールの中央には小さな噴水があり、その両サイドをぐるりと回り込むようにしつらえられた階段は、吹き抜けの二階にまでつながっている。高価な美術品と調度の数々、珍しい異国の植物がそちこちに飾られ、この店の華やかな演出にひと役買っていた。

「あらためて……グリエバルト魔王国一の名店〈絞首刑〉へようこそ、みなさま。当店主人のドミナ・ドンナでございます」

 色とりどりのドレスの女たちをしたがえ、ドミナがハルドールたちに一礼する。

「――陛下からご紹介いただいたお客さまは、問答無用で一番高いVIPルームにお通しすることになってますの。いろいろと内密の話もございますでしょうし……ささ、どうぞこちらへ」

「ありがたい気遣いだね」

「そういえば、お客さまがたのお名前をお聞きしておりませんでしたわね」

「これゆうしゃ!」

 ハルドールの尻をはたいてそう答えたケチャが、続けてクロとシロの胸を横から無遠慮にひっぱたいた。

「で、くろボンとしろボン! みんなバカみたいにくいやがる!」

「あらあら、陛下のお客さまにバカだなんて、相変わらずアタマが足りないのね、ケチャは。おほほほほ」

「あはははは」

 つき合いが長いのか、ケチャとドミナは顔を見合わせて呑気に笑っている。その間もハルドールは、油断なくあたりに視線を飛ばしていた。

「ねえハルくん? きみはどういう子が好みなの?」

 ハルドールの目の動きをどう解釈したのか、シロがこそこそと耳もとでささやいた。

「そう簡単には選べないな。みんな愛嬌があるおねえさんたちばかりだし」

 そう答えながら、ハルドールはわずかな違和感を覚えていた。

 店の女主人であるドミナは、おそらくこの町でも指折りの美女といえるだろう。この場で彼女と張り合えるのは、それこそクロとシロだけに違いない。

 そんな彼女がおそらくみずから選び、雇っているはずの女たちは、けれども、みんながみんな絶世の美女というわけではなかった。もちろん、器量が悪いわけではない。いい悪いでいえばみんな器量よしだった。

 ただ、この町で一番の店に所属する女たちというわりには器量にばらつきがある。さらにいうなら、どう見てもはたち前ほどの娘もいれば、ドミナより年嵩風の女もいた。とにかくそのへんにいる女たちをかき集めてきて綺麗に磨き上げ、きらびやかに飾り立てたという感じがする。

 唯一共通しているのは、いずれもとびきり愛嬌があるということ――そこも加味するなら、間違いなく美女ばかりといえるが、この手の店のやりようにしては奇妙な違和感がぬぐえなかった。

                                ――つづく

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