第三章 ヒゲとヒゲ、そして消えたヒゲ 【第五節 スーパーフーローターイム!】

 螺旋階段を登りきった塔の最上階は、フロア全体が大浴場になっていた。脱衣所には誰もいないが、大浴場のほうには人の気配がある。

「……今のうちに捜すわよ、クロちゃん」

「いや、だからあるはずないだろ?」

 クロの言葉を無視したシロは、足音を忍ばせて脱衣籠に歩み寄り、中を漁り始めた。けれども、着古した服と真新しい着替えがあるだけで、肝心のナルグレイブはどこにもない。

「……やっぱり変態だったのね、ハルくん……」

 シロは悔しそうに親指の爪を噛み、大浴場に通じる引き戸を睨んだ。

「単に常在戦場の気構えがあるだけだろ? いい加減に変態ってワードから離れなよ」

「……クロちゃん、やけにハルくんのことかばうわね?」

 シロの視線が今度はぎろりとクロのほうに向く。壁に寄りかかっていたクロは、そのまなざしに溜息をついた。

「変に勘繰らないでくれる? ……わたしだってあいつのことは気に入らないけど、認めなきゃならない部分はあるだろ? 実際、強いのは事実なんだし」

「まったく……クロちゃんはお尻が軽いわね。ご主人に申し訳ないと思わないわけ?」

「は!? 何だいそれ!? 別にわたしは――」

「だから静かにして、クロちゃん」

 ふたたびシロはクロの口を押さえて黙らせ、大浴場の引き戸に手をかけた。

「……いい、クロちゃん? 中に踏み込んだら、ハルくんの羞恥心につけ込んで一気に籠手をもらうの。最低限、左手のパーツだけでも確保してね?」

「……何なんだよ、その卑怯なやり口……」

「え……? 逆に何なの、その、軽蔑しきった目は……? だってわたし、殴り合いとか、そういうのイヤだし……え? 平和的に解決しようとしてるのに、どうして軽蔑されないといけないの?」

「いや、だからね――」

「乱世の流儀に合わないからっていう理由だけで、どうして非暴力主義者のわたしが、何でも暴力で解決するクロちゃんにさげすまれなきゃいけないの?」

「むびゅ」

 涙目で詰め寄るシロの手が、クロの顎を下からガッと掴む。

「……クロちゃんが納得できないなら、右手のほうはあとでクロちゃんが殴り合いでも何でもして、ハルくんから奪えばいいでしょ? でもね、わたしはそういう野蛮なことしたくないの。あくまで平和的に、痛いこととか怖いこととかしないで、なるべく楽して、無駄な汗をかかずに結果だけを手に入れたいの!」

「……じ、自分の横着さをそこまで堂々と主張できるってすごいね、あんた……」

「横着だなんてヒドい……とにかく、行くわよ、クロちゃん」

 シロはクロを解放し、引き戸をそろそろと引き開けた。

「お取り込みのところをお邪魔しま~す……お背中流しにきたよ、ハルくん?」

「おや」

 白い湯気がもうもうと立ち込める広い浴場には、全身泡だらけのハルドールと、その背中を激しくこするケチャのふたりしかいない。いきなりふたりに踏み込まれたというのに、ハルドールは特に慌てた様子もなく、苦笑交じりにケチャを指さした。

「ご覧の通り、あいにくと今は俺の背中は空いてなくてね」

「ゆうしゃのせなかはまかせろ! かわがむけるまでこすってやらあ!」

「……それはやめよう、ケチャ」

「だったらわたしたちは前のほうを――ね、クロちゃん?」

「はいはい」

 うんざり顔でうなずいたクロは、その時になって気づいた。

「シロ! こいつ、持ってないよ!?」

「え? ウソ!?」

「持ってないって、いったい何の話を――」

「ゆうしゃ! おゆ!」

 ハルドールのセリフをさえぎるように、ケチャが手桶にすくったお湯をざばんざばんと何度もブッかける。クロは眉をひそめてハルドールのそばを離れた。

「……で、何の話?」

 ぞんざいに泡を流してもらったハルドールは、顔をぬぐって立ち上がり、湯船に向かった。

「あら、可愛い見た目のわりにはなかなか……」

「あんた、見るところが違うだろ」

 少年のヌードをじろじろ見ているシロを小突き、クロは舌打ちした。入浴の時にも肌身離さず持っていると予想していたナルグレイブを、ハルドールは身につけていない。最初から実力で奪うつもりだったから落胆はないが、ハルドールの抜け目のなさが――判っていても――癪に障る。

「……きみたちもよかったらどう? この広いお風呂を俺ひとりで独占してるってのももったいないし」

 のんびりとお湯につかり、ハルドールは湯船の縁に頭を預けて目を閉じた。

 クロはすばやくあたりに視線を走らせ、ナルグレイブを捜した。でも、広々とした大浴場のどこにもあのガントレットはないし、隠せそうな場所もない。

「くろボン!」

 ぺちんぺちんとクロのお尻をはたき、ケチャが椅子を指さした。

「ぬげ! そしてすわれ! あらってやる!」

「……もしかして、くろボンてわたしのこと?」

「くろくてボーン!」

 自分のまったいらな胸をさすりながらケチャが説明する。言葉は足りないけど、いわんとするところはだいたい判った。たぶんこのメイドは、シロのことは「しろボン」と呼ぶに違いない。

「……わたしはいいよ。あっちにいってごらん」

「じゃあしろボン、ぬげ!」

「やっぱり……」

「そ、そんなことより……」

 椅子に座らせようとするケチャをかかえ上げてクロに投げ渡すと、シロは泣きながらモザイクタイルの床に膝をついてハルドールににじり寄った。

「ハルくん! あっ、あれはどこ? どこにやったの?」

「あれって?」

「こ、これ!」

 シロは湯船に手を突っ込み、ハルドールの腕を掴んで引き上げた。

「――あの雷が落ちる籠手のことよ……! ね、わたしのぶんだけでいいからちょうだい! ね? いいでしょ?」

「そういうわけにはいかないな」

 たたんだタオルを頭の上に載せ、ハルドールは溜息をもらした。

「……ミス・グローシェンカは、いずれ俺と決着をつけるといってただろ、俺に勝ってナルグレイブを奪い取るって?」

「そ、それはクロちゃんだけで……わたしはそういう野蛮なことイヤなの!」

「それはそれでいいけど、だったらせめて、きみもじゃじゃさまに恩返しをするべきじゃないかな? ミス・グローシェンカはこの前の戦いで筋を通してるけど、ミス・マシュローヌは違うよね?」

「わ、わたしもちょっとは戦ったからぁ!」

「ほんのちょっとね。……とにかく、彼女への義理をきちんと通した上で、あらためて俺と交渉してくれるかな? それさえも嫌なら、当初の予定通り、俺の入浴でも寝込みでも襲って強奪してくれたらいいよ。今だって、本当はそのつもりで踏み込んできたんだろ?」

「ご、強奪だなんて……ヒドい! ハルくん、どういう目でわたしを見てたの? わたし、暴力とかそういうのダメなタイプなのに!」

「いや、だって、頼まれてもいないのに俺の背中を流そうだなんて、何か下心があると考えるのがふつうだと思うけど? 背中を流すふりをしてナルグレイブを奪うつもりだったんじゃないの?」

「ぼっ、暴力は振るわない予定だったからぁ! おねえさんの魅力にハルくんがもじもじしてる間にやんわりともらう予定だったからぁ!」

「……きみのやんわりはクマやパンダさえ絞め殺すレベルだからね……」

「じゃあ……じゃあ、ひとつだけ教えてくれる?」

「ナルグレイブの隠し場所以外なら」

「ヒドいっ! ハルくんの意地悪! うっ、ううう……!」

 シロは親指の爪を噛んで泣きながら立ち上がった。

「――クロちゃん、傷心のわたしにつき合って! ゴハン食べにいこ?」

「シロさぁ……その前にわたしにひと言あっていいんじゃない? あんたのくだらない計画につき合わせて、結局は無駄足じゃないか」

「えっ? どうしてクロちゃんまでわたしを責めるの? ヒドい!」

「……あんた、泣けばつねに被害者になれるとか思ってない?」

「お嬢さんたち、食事がまだなら俺といっしょにどう?」

 ざぶりとお湯から上がったハルドールが、ケチャから受け取ったバスタオルを頭からかぶってそう声をかけた。

「――じゃじゃさまがさ、時間がある時は城下に出て民衆の生活を見ておけっていうんでね。それでちょっと外で食事してこようかと思ってたところなんだ。どこで何を食べてもお代はじゃじゃさまにつけておけばいいっていうし……どうかな?」

「あんたねえ、わたしたちをお嬢さんていうのは――」

「いいわね、みんなでゴハン!」

 むっつり顔のクロの口をみたび封じ、シロはにこにこ微笑んだ。さっきまで泣いていたはずなのに、この女の涙は本当に信用がならない。

「――この際だし、おたがいの理解を深めるのもいいわよね? ね? わたしのことをよく知ってもらえれば、きっとハルくんもこころよくわたしに籠手をくれるわよね?」

「たがいをよく知り合うのは俺も賛成だよ。じゃあ行こうか」

 ハルドールは脱衣所へ向かい、真新しい着替えに袖を通した。

                                ――つづく

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