第三章 ヒゲとヒゲ、そして消えたヒゲ 【第四節 おねーさんたちのたくらみ】
「あ、いや……それは相手が同性で、しかも幼いきみだからだよ。俺が同じことをしたら石材か火の玉が飛んでくる」
「ゆうしゃだってこどもじゃねえか」
「だから俺は見た目が若返っただけで……まあ、見た目でそういうことが許されるのなら天国だろうさ、まったく」
「よくわからねえけど、これ、きろ」
ケチャはカートに積んでいた真新しい服とブーツをテーブルの上に置いた。先日、ブルームレイクから帰還して採寸したばかりなのに、立派な服がもう三セットも仕上がっているとは、ここのお針子はかなり腕がいいらしい。
「……生地も丈夫で着やすそうだ。サイズもぴったり、かな?」
ハルドールは服を胸に当て、自分の身体を見下ろした。するとケチャがハルドールのズボンを引っ張り、
「ぬげ、ゆうしゃ」
「え? ちょ、ちょっと」
「これ、あらっといてやる」
「い、いや……ほら、ちょっとここでは、ね? じゃじゃさまもユリエンネ卿もいるわけだし」
「ユリエンネきょうはいいとししたばばあだし、じゃじゃさまはもっとばばあだ。こどものはだかなんかきにしねえ。だからぬげ」
「ちょ!?」
ズボンを脱がされかけていることより、ケチャの発言のほうがはるかに危ない。肩越しに見えたユリエンネ卿の顔が完全に感情の色を失っていることに気づき、ハルドールはケチャを強引に抱き上げた。
「……せ、せっかくだから、着替える前にお風呂をいただこうかな?」
ケチャを右肩にかつぎ、新しい服とブーツを左の小脇にかかえ、ハルドールはじゃじゃさまにいった。
「思えばこの世界に来てから一度も身体を洗ってないんでね。せっかく服も新調してもらったし、さっぱりしたいんだけど」
「いいじゃろう。……救国の勇者は国民の希望の象徴じゃからな。小綺麗にしていてもらわねば恰好がつかん。ひと段落ついたらお披露目のことも考えねばな」
「お心遣いどうも」
まだ仕事があるというじゃじゃさまたちを残し、ハルドールはケチャをかかえたまま執務室をあとにした。
☆
目に見えない鎖でつながれているという安心感があるからか、この城の住人たちは、クロたちの動きにさほど注意を払っていないようだった。あるいは下手にかかわりたくないだけという可能性もあるけど、いずれにしろ、行動半径が見えない鎖の長さによって制限されているとはいえ、ある程度の自由が保障されているのは僥倖だった。
「……ないわ」
ハルドールの部屋を家捜ししていたシロは、溜息とともにかぶりを振った。
じゃじゃさまがハルドールに用意した私室は、それこそ城住まいの王族の部屋かと思うような豪奢なものだった。ベッドは大きくふかふかしていて、装飾過多のクローゼットや姿見なんかのおしゃれ家具の数々は、どう考えてもハルドールにふさわしいとは思えない。
「当たり前だろ? そこまで不用心なはずないじゃない」
クロは扉の脇に立ち、むすっとした表情で腕組みをしている。
「でも~、ハルくんは今頃、お風呂に入ってるはずなのよ? ふつう、お風呂にあんなゴツゴツした籠手なんて持ち込むかしら? クロちゃん、鎧着たままお風呂に入る人とか見たことある?」
「知らないよ」
誰にも掣肘されないのをいいことに、シロはハルドールが不在の隙を狙って彼の部屋へと忍び込んだ。狙いはもちろん、彼女たちを縛っている鎖――の根っこ、魔拳ナルグレイブである。
「……まったく、何が哀しくてこんなコソ泥みたいな真似をしなきゃならないわけ、このわたしたちがさ?」
シロに引きずられるようにしてここまで来たものの、クロは決してシロの考えに賛成しているわけではない。クロが求めているのは、あくまでも実力でハルドールを叩きのめし、勝利の代価としてナルグレイブを手にすることである。生まれついてのクロの気性が、それ以外の解決法を忌避さえていた。
「……ていうか、あんた、何してるのさ?」
「だって……ほら、わたしたちの部屋には姿見がひとつしかないじゃない?」
気づけば姿見の前でくねくねとポーズを取っていたシロが、鏡越しにクロにウインクをしながら微笑みかけた。
「ハルくん男の子だからこんなのいらないだろうし、だったら持って帰ってもいいかなーって……」
「あんた……目的が変わってきてない?」
「あのね、クロちゃん? あなたこそちゃんと自覚してる?」
シロは豊満な腰に手を当てて振り返ると、わざとらしく頬をふくらませて非難の声をあげた。
「――そもそもの話、あの日クロちゃんが素直にあの籠手をもらっておけば、こんなことにはなってないと思うの、わたし」
「そう? どっちにしろあんたは囚われのままだったと思うけどね」
ハルドールが渡そうとしたのはクロを縛っている右手のパーツだけだった。たとえクロがあのまま自由を手に入れていたとしても、ハルドールが左手のパーツを押さえているかぎり、シロは自由になれない。
クロがそう指摘すると、シロは眉をひそめ、
「ねえクロちゃん……もしかしてハルくんて、おしとやかで平和的な年上のおねえさんより、ケンカっ早い乱暴な女のほうが好きな変わり者だったりするのかしら?」
「……どういう意味でいってる、それ?」
「だぁってぇ……」
「くねくねダンスを踊りたいなら好きにしなよ。わたしは部屋に戻って寝る。夕食の時間になったら起こして」
「ああっ、ちょ、ちょっと待ってよ!」
さっさと帰ろうとするクロの手を掴み、シロは半泣きでうったえた。
「――次はほら、お風呂よ、お風呂!」
「は?」
「あの籠手がこの部屋のどこにもないってことは、ハルくん、やっぱりお風呂まで持ち込んでるのよ」
「だろうね」
「ひとりで行くの何か抵抗あるから……ね? クロちゃんつき合って?」
「……は?」
「別にいいでしょ、ヒマなんだから! 脱衣所を捜すのよ!」
「ってか、痛っ、痛いんだって、あんたホント馬鹿力!」
シロはがっちりとクロの手首を掴んで強引に引きずっていく。クロはシロの魔手をどうにか振りほどくと、赤い痣が残る手首をマッサージしながらぼやき交じりにいった。
「……わざわざ入浴の時にも部屋から持ち出すようなヤツなら、脱衣所にそのまま放り出しておくなんてことはしないだろ、ふつうに考えて」
「え? まさか……ハルくんも鎧を着て湯船に入る変態だってこと?」
「あのね……わたしならすぐ手が届く場所に置いとくよ。それだけ大事なものなら」
「と、とにかく行ってみましょう。ほら、早く!」
「いたたたた! だっ、こ、こら! 二の腕の肉をつまむな!」
「ちょっと静かにして、クロちゃん。はしたないわよ?」
シロはクロの口を手でふさぐと、先に立って歩き出した。
ランマドーラ城の住人は、主人であるジャマリエール以下、彼女の治世をささえる文官たちや城内ではたらくメイドに料理人まで、その大半が女性だった。さすがに騎士団の連中は全員が男たちだったけど、それを含めても女性人口は極端に高い。
すれ違う女たちがみんなやや引き気味にぺこりと頭を下げるのを見て、クロは眉をひそめた。
「……金があるならどうして戦力になりそうな男連中を集めないんだ、あのチビっ子魔王は? 女のわたしがいうのもなんだけど、この城にいる女たちの大半は、いざ敵が城下まで迫ればほとんど戦力にならないだろうに」
「……確かに、殿方が少ないのはちょっと残念ね……」
「あんたの視点はちょっと違うと思う」
「そう? ――あ、ほら、この上よ」
シロはクロを案内して螺旋階段を登っていく。クロは自分でうろついて調べた城内の見取図を脳内で広げ、
「……たぶんここ、あんたがこの前、逃げる時によじ登ってた塔の内側だよね? あの大きな風車のついてた?」
「うん。あの時に窓から中が見えたのよね。すっごく見晴らしのいいところに綺麗なお風呂があるなーって」
おそらく塔の上に設置されていた風車は、この高さまで汲み上げた水を城内の各所に供給するために使われているのだろう。耳を澄ますと、どこかからかすかに歯車の音が聞こえてくる。
――つづく
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