第三章 ヒゲとヒゲ、そして消えたヒゲ 【第三節 ザブームとは?】

「……しかし、魔王だからとゆって、かならずしもこの宝珠を受け取らねばならぬわけではない。自分の実力ではどうせ生き残れぬとあきらめて、最初から戦いに参加せぬ魔王も多いからのう」

「それで乱世のあとにも生き残っている魔王がたくさんいるわけだ。……ちなみに、それって途中で抜けたり途中から参加したりはできないの?」

「途中参加も途中退場も無理じゃな。乱世での戦いはすべて女神のしもべたちによって監視されておるし、ごまかすことも不可能じゃ」

「そういうことでしたら」

 じゃじゃさまのサインが入った書類を束ねて整理していたユリエンネ卿が、ふたりの会話が途切れた瞬間を狙ったように割り込んできた。

「――比較的安全に我が国が生き残っていくためには、ハルドールさまには敵国の魔王を狙う刺客になっていただくしかございませんね」

「どうかな? どこの魔王だって暗殺は警戒してるんじゃない?」

 いずれにしても、この国の軍の状態をかんがみれば、こちらから積極的に討って出るのはまだまだ難しい。もっと軍備の増強が進むまでは国土を守るだけで手いっぱいだろう。となれば、当面の戦いはおのずと防衛が主になる。

「経済的に豊かな我が国を狙う魔王は多いじゃろう。そして、わらわを倒すためには魔王みずから出陣せねばならぬ。……そこをおぬしが返り討ちにするのじゃ」

「それでこの国の美女たちが救われるのなら、俺に否はないよ?」

「……ハルドールさま。美女だけではなく、すべての国民のための戦いですよ?」

 年増の美女がぎろりとハルドールを睨みつける。ハルドールは思わず首をすくめ、慌てて不用意な発言を訂正した。

「これは失礼。……ただひとついっておくと、俺にとってはすべての女性が尊重すべき美しい女性なんだよ」

「我が国には男性もおりますが」

「男だったら自分の身くらい自分で守れるさ。男の心配をするのは俺の仕事じゃない」

「この際そのへんのことはどうでもよい。……それよりも、先日の傭兵団の件じゃ」

「何か判ったの?」

「わらわが睨んだ通り、裏で糸を引いておった魔王がおったようじゃ」

 経済力はあっても軍事力は心もとない――その代表格ともいえるグリエバルト魔王国は、傭兵たちにとっては最大のお得意さまといえる。そのグリエバルト魔王国を契約直後に裏切ったということは、じゃじゃさまに代わるような後ろ盾がついたと考えるべきだろう。そして、この乱世でそんな後ろ盾があるとすれば、グリエバルト魔王国を狙うほかの魔王以外に考えられない。

「それ、見当はついてるの?」

「捕虜にした傭兵は下っ端ばかりじゃったゆえ、まだ確証は得られておらぬが、こやつが黒幕ではないかとゆうヤツならおらぬでもない」

「これをご覧ください」

 ユリエンネ卿がハルドールに数枚の紙束を差し出した。

「……盗賊巨人?」

「そういう異名で呼ばれておるジャイアントがおってな。あちこちの国からマークされておる」

「こいつも魔王なの?」

「おそらくはな。少なくとも魔王を名乗ってもおかしくない実力はあろう。確証がないとゆったのは、こやつが“女神の宝珠”を授かったという確証がないとゆう意味なのじゃが、とにかく強いには強い」

「身長五メートルのジャイアントで魔王か……腕相撲じゃさすがに勝ち目がないな」

 ユリエンネ卿がまとめた資料には、ザブームという名のジャイアントの情報が、推測や不明な部分はありつつも、かなり細かくまとめられていた。ただ、ジャイアントとしてのサイズはもちろんだが、数千人規模の盗賊を配下にしたがえ、さらにはいくつもの盗賊団を意のままにあやつる影響力の持ち主というのが気になる。

「これって……この世界だと、もしかして小国の軍隊レベルじゃない?」

「実戦経験も含めて考えればそれ以上じゃな。この前もゆったが、今の時代、国の軍隊よりも傭兵や盗賊、山賊のほうがはるかに実戦に慣れておる。盗賊団とゆうより、もはや軍じゃ」

「で、この態度も図体もデカいザブーム氏が我が愛しのじゃじゃさまのお命を狙っていると? それは不届千万だ。極刑に処してやらないとね」

「ここ最近、ザブーム軍によるものと思われる被害が各地で急増しています。そのせいで、いずれ物流にとどこおりが生じる可能性も出てきていますが……それ以上に懸念されるのは、これがザブーム軍による我が国への明確な侵攻作戦の一環なのではないかということです」

「判明しておるだけでも、小麦、武器や防具、あるいは薬品といった、この町に運び込まれるはずだったさまざまな物資が横取りされておる」

 どれも戦争となれば最優先で必要となる物資ばかりである。もしそれらを狙って略奪しているのだとすれば、それはもう、グリエバルト魔王国に打撃をあたえつつ軍需物資をかき集めることが目的と見て間違いない。

「略奪がザブーム軍の仕業だとすれば、すでに兵士の数は充分、軍需物資も潤沢に集まってることになるよね。……となると、敵の侵攻はそう遠くないかもしれない」

「うむ」

 じゃじゃさまは椅子から飛び下りると、ハルドールのところまでやってきて、髭を失ったつるつるの顔をひたひたと撫でた。

「……もはや猶予はないぞ? まだあのふたりを御せぬのか?」

「それが必要になるような敵なのかな、ザブーム氏は?」

「あのな……おぬしの三倍以上も背が高くて一〇倍以上も重いジャイアントじゃぞ? パンダの比ではない本物の魔王じゃぞ? なまじの武器など通じぬし、素手で立ち向かおうなどもってのほかじゃ」

「そうなのか。それは困ったな……」

「おぬしな……そうゆう時は本当に困った顔をしたらどうじゃ? いつもいつもにやにやしおってからに」

「ま、たぶん何とかなるんじゃないかな? 何しろ俺は勇者だし」

「はぁ?」

「俺は俺を信じてるからね。きみも俺を信じるべきだよ」

 ハルドールはお返しのようにじゃじゃさまの頭をくしゃくしゃと撫でた。

 そこに、いきなりドアを押し開けてケチャが入ってきた。厳密にはノックの音もしたのだが、ノックの直後に返事をする間もなくドアが開いたので、実質ノックがなかったのと同じだろう。

「やあ、ケチャ」

「ここにいたか、ゆうしゃ!」

 がらがらとカートを押して部屋に入ってきたケチャは、自分の無作法さをまったく意識していないのか、ユリエンネ卿が眉をひそめているのをよそに、ビッ! と右手をかかげてあいさつした。

「さがしたぞ、ゆうしゃ」

「それは手間をかけたね。……ところでケチャ、ひとついいかな?」

「なんだ?」

 このイヌ系メイド少女は高確率で舌をしまい忘れている。つねにはふはふいっているせいもあって、やたらと舌っ足らずなしゃべり方をするが、それはそれで可愛い。

「いいかい? 誰かの部屋に入る前にはかならずノックをするんだ」

「ノックした」

「ノックして、入っていいかどうか確認するんだ。……俺はこの世界に来た次の日からずっときみを見ているけど、きみはいつもノックとほぼ同時にドアを開けている」

「まずいか?」

「相手によるね」

 ハルドールは身をかがめ、ぺろんとはみ出しているケチャの舌をつまんで引っ張った。

「――俺はそうじゃないが、人によっては全裸で寝ていることもあるからさ。俺の統計によると、美女ほどその傾向が強い。たとえば、俺がノックもせずにいきなりミス・マシュローヌなりミス・グローシェンカなりの部屋に踏み入ったとしよう。その時、もし彼女たちがあられもない寝姿をさらしていたら、俺は彼女たちにひどい恥をかかせることになるわけだ。判るかな?」

「だいじょうぶ」

「大丈夫? 何が?」

「あいつらおこらねえ」

「は?」

「ケチャがまえにいったとき、ふたりともはだかだった。でもなんにもいわなかった。だからだいじょうぶ」

「え? やっぱり? ちなみにふたりはどんな――」

 ケチャからその時の様子をつまびらかに聞き出そうとしたハルドールは、自分にそそがれるじゃじゃさまとユリエンネの視線に気づき、慌てて咳払いをした。

                                ――つづく

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