第二章 男と女、あからさまな女>男 【第一節 おだやかな朝の食卓】

 この世界に呼び出される直前まで、ハルドールは別の世界で暴虐な魔王を相手に激闘を繰り広げていた。

 もはやそれが何という名前の魔王だったのかさえ思い出せない――ハルドールにとっては、それはすでにルーチンワークにひとしい文字通りの作業であり、最終的には万人が望む大団円へと帰結した。

 すなわち、魔王は勇者によって倒され、囚われの姫は解放される。

 その代償としてハルドールが求めるのは金銀財宝ではない。そうした富は、あって困るものではないにせよ、どのみち別の世界にまで持っていけないからである。だからいつもハルドールは、自分が救った美女のキスひとつを報酬に、人々の歓声を背に受けて立ち去ることにしていた。

「何じゃそれは? 詳しく聞くだに恥ずかしいのう……おぬし、行く先々の世界でそのような痛々しい真似をしておったのか? ストイックな変態で、なおかつそんな痛々しいカッコつけ野郎であったのか?」

「痛々しいっていい方はないだろう?」

 ジャマリエールが暗くじっとりとしたまなざしを自分に向けていることに気づき、ハルドールは肩をすくめた。

「別に俺がキスをせがんでるわけじゃない、自然と彼女たちのほうからそういう雰囲気を作ってくるんだよ。……吊り橋効果ってやつの仕業じゃないかな? じゃなきゃその場のノリだよ、たぶん」

「ならば、見事わらわの宿願が達成された暁には、わらわも目を潤ませ頬を赤らめ、おぬしに口づけをせがむと申すか? ――ありえん、絶対にありえぬぞ!」

「そこまで執拗に否定しなくても……哀しいなあ」

「うるさい!」

 オートミールを食べていたジャマリエールは、うんざり顔でスプーンを放り出した。

 城壁の上の張り出し舞台は見晴らしもいいし風の通りもいい。朝食もここで食べたいといったのは、ハルドールのささやかなわがままだった。

「わざわざすまないね、手間をかけさせて」

 ハルドールは搾りたてのミルクをジョッキにそそぐケチャの頭を撫でた。

「きにすんな、ゆうしゃ! どんどんくえ!」

「何というか、ここの女の子たちは健気ではたらき者で……それに可愛い子ばかりだ。陛下の審美眼がいいのかな? もちろん陛下ご自身もとびきり愛らしいわけだけど」

「おぬしな……そんなちんちくりんな小僧っ子が歯が浮くようなセリフを吐いたところで滑稽なだけじゃぞ? どうにかならぬのか?」

「それは無理な相談だよ。ただでさえダンディなルックスを失ったのに、ポリシーまで曲げたらもう俺が俺じゃなくなるだろ? あと一〇年もすれば外見と中身のギャップもなくなるだろうし、そこは慣れてくれとしかいいようがないね」

「おぬしの仕事はこの一年が勝負じゃ。一〇年などととんでもない」

「それもそうか」

 ジョルジーナが運んできてくれた、けさ焼かれたとおぼしいやわらかいパンをむしって口もとに運び、ハルドールはひんやりとした朝の風に目を細めた。

 少し休めばこの世界に慣れて、若返ってしまった肉体も本来のものに戻るかもしれない――という淡い期待を裏切り、一夜明けてもハルドールの身体は少年時代のままだった。しかしハルドールは、そのことに落胆するより、若返ったぶんだけ寿命が延びたのだと考えることにした。さいわい、若返りによるデメリットは――少なくとも戦闘能力に関しては――今のところはほとんど感じない。

「――ほれ、おぬしの要望通り、連れてきてやったぞ」

 宝石のような輝きを見せるブドウを皮も剥かずにもぐもぐ食べていたジャマリエールが、階段のほうを指さした。

「へ、陛下! つっ、つつ、連れてまいりました!」

 緊張のせいなのか、みっともなく声を震わせるガラバーニュ卿と騎士たちの後ろに、グローシェンカとマシュローヌ――クロとシロのふたりが立っていた。

 苛立たしさを隠そうともしないクロに対し、やや年上にも見えるシロのほうはおだやかな微笑みを浮かべている。どちらもきのうの逃走劇で受けたダメージはすでに抜けているようだった。

「……よくおとなしくしてたね、ふたりとも」

「ふたりには、迂闊に逃げようとすれば容赦なく雷撃に撃たれると伝えてある。直情型のグローシェンカはともかく、マシュローヌのほうはそれなりに知恵が回る女じゃからな。今はじたばたしても無駄じゃと判っておるのじゃろう」

 ハルドールとジャマリエールがこそこそ話し合っているのが気に食わないのか、クロは無造作にガラバーニュ卿を押しのけ、大股でテーブルに歩み寄った。

「勝負してもらおうか」

 開口一番、クロは低く押し殺した声でいった。鋭い視線はまっすぐにハルドールを捉えている。

「ひいぃ……!」

 ジョッキにミルクのおかわりをそそごうとしていたジョルジーナが、クロの眼光におびえて尻尾をぶわっとふくらませた。しかしハルドールは動じた様子もなく、

「いきなりそれかい? 俺はきみたちと朝食をともにしようと思って呼んだんだけど。……まさか人の食事を邪魔するのが趣味ってことはないよね、お嬢さん?」

「は?」

「いや、きのうもきみたちが逃げ出したせいで食事を邪魔されたんでね」

「あんたね――」

「やめてよ、クロちゃん……」

 クロの全身からまるでマグマのようにねっとりとした殺気があふれ出てきたその時、シロが彼女の腕を掴んだ。

「わたし、そういう怖いのやなの。平和的に話し合おう? ね?」

 臆病なネズミみたいにぶるぶる震えながら、シロはクロの腕を引っ張り、空いている椅子に強引に座らせた。

「ちょっと、シロ! わたしは――」

「ケンカはダメよ……平和的に話し合おう? ね、クロちゃん?」

「む、ぐっ……」

 クロはむっとして椅子から立ち上がろうとしているようだったけど、彼女の肩を押さえているシロがそれを許さない。表情こそおびえているが、きのう見た通り、やっぱりクロよりもシロのほうがパワーはずっと上のようだった。

 クロが抵抗をあきらめるのを待って、シロもまた隣の椅子に腰を下ろした。

「それであなた……ハルドールくん? 図々しいようだけど、ハルくん? て、そう呼んでもいいかな?」

「どうぞお好きなように、ミス・マシュローヌ」

 この臆病な金髪美女が何をいうのか興味がある。ハルドールはまだたっぷりと残っているパンや料理の皿をふたりの美女の前に押し出し、シロの次の言葉を待った。

「あ、あの、騎士団のみなさんから聞いたんだけど……ハルくんて、異世界から来た勇者さまなんですって?」

「ああ」

「わたしは流しの勇者なんて聞いたこともないけどね」

 怒りのはけ口にされたパンが、またたく間にクロの口の中に消えていく。次々に皿が空になっていくのを見て、ジャマリエールは料理の追加を持ってくるようにケチャたちに命じた。

「ずっと箱の中で眠っておったおぬしらは知らぬかもしれんが、すでに五〇〇年に一度のあらたな乱世が始まっておる。この国が乱世を生き延びるために、わらわがこの勇者ハルドールを召喚し、そしておぬしらをあたえたというわけじゃ」

「乱世なんてわたしたちにはどうでもいい話だよ」

 ジャマリエールが食べていたブドウをボウルごとかっさらい、それもあっという間に食べ尽くしてしまったクロは、きつい視線で少女君主を一瞥した。

「……だいたい、わたしたちをこいつにあたえるとか、そんなこと勝手に決めないでもらいたいね。わたしたちにはちゃんとした“所有者”がいるんだ」

「ほほう……ならばその所有者とやらのことを聞かせてもらいたいものじゃな。もし正当な所有者が本当におるのなら、おぬしらを返すのもやぶさかではないのじゃぞ?」

「それは……」

 これまで何ともいえない静かな迫力をにじませていたクロが、なぜか急にジャマリエールから視線を逸らし、言葉を濁した。そのことに違和感を覚えたハルドールがクロの表情を無言で窺っていると、そのまなざしに気づいたのか、クロは小さく舌打ちとともに今度はハルドールのほうを睨んできた。

                                ――つづく

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