第一章 シロとクロ、逃げる女たち 【第二節 流しの勇者】

「――その女神さまが本当に慈悲深いなら、世界を破滅させかねない魔王たちだけを滅ぼせばいいんじゃないの? 短期間とはいえ魔王たちの好きなように暴れさせて暴力性を発散させるなんて、とてもじゃないが慈悲という言葉からは縁遠いおこないだよ。怠慢としかいいようがないね」

「見方を少し変えてみよ、我が勇者よ。つまり女神ユノーはな、そういった乱暴者どもの存在すら許容してくださっておるということじゃ。ゆえに魔王たちだけを一方的に滅ぼすような真似はなさらぬ。だいたい、生物が生きるために他者を攻撃するのはごく自然なことじゃろ? おぬしもそうやってウシの乳を奪って飲んでおる。――ならば魔王がやっておることも、スケールはともかく、自然の摂理からさほどはずれておるわけではないわけじゃ」

 ちっちっちっ、と指を振ってハルドールの言葉を否定したジャマリエールは、悪戯っぽく笑ってすぐにつけ足した。

「……まあ、かくゆうわらわも、女神が本当に慈悲深いかどうかは怪しいものじゃと思っておるが」

「へえ?」

「最初に女神からこの提案があった時、当たり前のことじゃが、魔王たちはみな猛反発した。五〇〇年に一度、それもたった一年間しか暴れられんなどハナシにならんとな。魔王と呼ばれるような連中のほとんどは、できることなら四六時中暴れておるか、他者の上に君臨していたいとゆう輩ばかりじゃから当然じゃ」

「何というか、やっぱり地獄みたいな世界だね、ここ」

「じごくいうな! いいところ!」

 汚れた食器を片づけていたケチャが、ハルドールの呟きを聞きつけて威嚇の唸り声をあげる。

「じゃが、そうゆってブーイングを飛ばす魔王たちに対し、女神は哀しげにのたまったそうじゃ。――ならば、魔王も魔王でないものも、この世界に生きるすべての種族を平等に滅ぼすしかないと」

「……それ、本当に女神さま?」

「知らぬ。じゃが、少なくともわらわたちは、あれを女神じゃと認識しておる。魔王たちが束になっても絶対に勝てぬこの世界の真の支配者、女神ユノーがそうゆうのじゃ。この提案を呑まねば、すべてを滅ぼしてゼロからやり直すとな」

「で、結局はその提案に乗ったわけだ?」

「何もかも滅ぼされてしまうよりは、五〇〇年に一度とはいえ、好きに暴れられるほうがまだましじゃからな。その上、その乱世を勝ち抜いた者には次の四九九年間、大魔王として世界に君臨する権利があたえられる。ほかならぬ女神のお墨つきでな」

「そんな物騒な乱世に突入したというわりには、ここから見える風景はずいぶん平和でのんびりしてるじゃないか。のどやかな地獄だ」

 ハルドールは胸壁の向こうに視線をやった。

 乱世と呼ばれる時代の町――それも一国の都とされるような大都市であれば、城が堅固なのはいうまでもなく、町そのものも堅牢な城壁に囲まれている。そしてそれはどこの世界でも変わらない。

 しかし、少なくともここから見渡せる範囲内に、町を守る城壁のようなものはなかった。城の周囲には商業区が広がり、その外側に位置するのはおそらく居住区、そしてさらにその外側にあるのは平坦な田園風景――これでは大軍に攻められた場合に組織的な防衛行動はほとんどできないだろう。

「それも当然じゃ。わらわの五〇〇年の治世は、軍備の増強よりも経済の発展に重きを置いてきたのじゃからな」

 ハルドールの疑問にジャマリエールはそう答えた。

「経済発展をうながすにはスムーズな物流が不可欠じゃし、そのためには人の行き来を阻害する壁など邪魔なだけじゃ。とゆうより、そもそも城壁など必要なかろう? 絶対的な神の力によって、魔王同士の大規模な戦争が禁じられているのじゃからな」

 確かに、戦争が起こらないと判っているなら城壁を築く意味はない。とはいえ、完全に作らないというのも極端すぎる気がする。

「おかげでこの町は、いまや大陸有数の経済都市じゃ。世界各地からあらゆるものがここに集まり、誰もがここで商売をしたがる。人口増加による町の拡大もスムーズじゃ。……しかし、五〇〇年の平和は終わり、乱世が始まってしまった。ぶっちゃけ、この先もこの繁栄を維持できるかどうかは判らぬ」

 また一本、ワインのボトルを開け、ジャマリエールはぼやくようにいった。

「先ほどのパンダ風情なら何十匹来ようと問題ない。一〇〇〇や二〇〇〇の雑兵が攻め寄せてこようと、わらわが出陣すればたやすく撃退できよう。じゃが、いずれ強大な魔王がこの国とわらわの首を狙って攻め寄せてくるはずじゃ。守るべき町とてここだけではない。この国と臣民たちをわらわひとりで守り抜くには限界がある」

「そこで俺を呼び出したってわけか」

 自分がいつ頃から勇者稼業をしていたのか、実はハルドールもよく覚えていない。ただ、さまざまな世界を渡り歩いてまで勇者を続けている目的は一貫している。富や名声などどうでもいい。ハルドールはただ、自分の強さを証明するためだけに戦い続けているのである。

「富でも名声でもなく、強さを証明することのみを求めて戦い続けておるとは、それはまたストイックな変態じゃな」

「変態っていい方はないだろ? 確かに俺は、これまでにいくつもの世界を渡り歩いてきたさ。おかげで“流しの勇者”とか“魔王殺し”なんて異名までちょうだいしてるわけだが……しかし、さすがに魔王に召喚されたのは初めての体験だよ」

「魔王の依頼は受けられぬと申すか?」

「いや」

 ローストチキンをさっくり片づけ、続いてイノシシ肉のシチューに手を伸ばしたハルドールは、銀のスプーンを揺らしながら首を振った。

「――俺の正義に反しないかぎりは」

「おぬしの正義?」

「まあ……簡単にいえば好みの問題さ。気に食わないヤツのためには戦えないってだけの話でね。逆に、女性からの依頼は優先して聞くことにしてる」

「それではわらわはどうじゃ? わらわのために戦ってくれるか、勇者ハルドール?」

「もちろんだよ、魔王陛下」

 わざわざいったん席を立って慇懃に一礼し、それからハルドールは顔をしかめた。

「……どうにも慣れないな」

「何がじゃ?」

「この……身長? いや、まあ、顔形には文句ないんだが」

 自分の頬をぺたぺたと撫で、ハルドールは溜息をついた。

「ずいぶんと若返ったもんだ……世の中のご老人たちにこのことを教えてやりたいよ」

 ハルドールはこれまで何度も次元の壁を越え、いくつもの世界を渡り歩いてきた。その際、一時的な記憶の混乱を経験したことはあっても、さすがに肉体が若返ったのは今回が初めてだった。

 よく磨かれたスプーンを凸面鏡代わりにして自分の顔を映してみる。まず、毎朝手入れを欠かしたことのなかった顎ヒゲがない。産毛すら感じられない。おまけに、着ている服やブーツもかなりオーバーサイズだった。身体がかなり縮んだのだろう。

「この世界の基準でいえば、なかなかの美少年ぷりじゃがのう?」

「よしてくれよ。俺が美少年だからって手心を加えてくれる敵ばかりならともかくさ」

 首や肩をこきこきと鳴らし、ハルドールは食事に戻った。

「――しかしまあ、少しばかりサイズが小さくなっても俺の強さには変わりはないさ。そこは安心してくれていい」

「それは何よりじゃ。わらわがおぬしに求めることはただひとつ、わらわに協力してこの乱世を勝ち抜いてくれればそれでよい。褒美は意のままじゃぞ?」

「それはありがたいが、まずは今の俺の身の丈に合った服と……それに、もしあるのなら得物を用意してもらいたいな」

「武器とゆうことか?」

「ああ。……これは俺の長年の悩みなんだけど、どの世界に行っても、俺の実力に見合う武器がないんだよ。要は俺があまりに強すぎるせいで、どんなに頑丈な武器を使ってもすぐに壊れる」

「それは好都合じゃ。実は、おぬしが持つのに恰好な得物があってな……ケチャ、モーウィンに例の箱を持ってくるよう伝えてまいれ」

「はこ?」

「ゆえば判る。そのまま伝えてまいれ」

「ほーい!」

 ケモ耳メイドがスカートの裾をひるがえしてまたぱたぱたと駆けていく。

「――一応聞くが、おぬしの得意な武器は何じゃ?」

「むしろ使えない武器はないといったほうがいいかな?」

「それは頼もしいな。……これからおぬしに見せるのは、およそこの世界では最強のはずの武具じゃ」

「最強の武具? それはまたときめく響きだね」

「おそらくおぬしのようなストイックな変態にとっては、山のような金銀財宝より、いっそいわれのある武具のほうが嬉しいのではないかと思うてな。……おお、待っておったぞ」

                                ――つづく

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