第一章 シロとクロ、逃げる女たち 【第一節 “乱世”システム】
王都ランマドーラの労働人口の大半は女である。
なぜそんなことになっているのか、ケチャにはよく判らないけど、城内は城下町よりさらにその傾向に拍車がかかっていて、厨房ではたらいているのは全員が女だった。料理長は鍋を振るって三〇年というドワーフの肝っ玉母さんトリルビーで、まだ子供のケチャにもあれこれ親身になって仕事を教えてくれるいい人だった。
「ケチャ、お皿!」
「ほーい!」
トリルビーの指示で、ケチャは白磁の皿を用意した。
「――そういやその勇者さまってのは、いったいどういうお人なんだい? あんたは見たんだろ?」
「あ?」
いい匂いに鼻をひくつかせ、ケチャは首を傾げた。
「……こども?」
「子供?」
「おっさんぽいこども! なかみはおっさん!」
「よく判らないけど……ま、陛下の窮地をお救いくださったんだ、せいいっぱいお世話させてもらおうかね」
白磁の皿によく煮込まれたイノシシ肉のシチューをとろりと盛りつけ、トリルビーは豪快に笑った。このシチューをはじめとしたおいしそうな料理の数々は、くだんの勇者さまとジャマリエール陛下の会食の席に饗されるものだ。
「さあ、次はパイクのパイ包み焼きを仕上げるよ! バターとパセリ用意しな! あんたたちは冷めないうちにどんどん料理を運んで!」
「ほーい!」
ケチャは同僚のジョルジーナといっしょに料理の皿をカートに積み始めた。
「ねえねえ、あの人ホントにニンゲンなのかな?」
ケチャより年上のジョルジーナは、ヘッドドレスの乱れを直し、ケチャに尋ねた。
「……ガラバーニュ卿たちもそうだけど、ふつうのニンゲンて、あんなことできないじゃん? それとも異世界のニンゲンだからかな?」
「んー……しらねえ!」
この城のメイドたちは――ケチャにしろジョルジーナにしろ――全員が獣人系の種族で、純粋なニンゲンはひとりもいない。ケチャたちにとって一番身近なニンゲン、それも男性となると、確かにグリエバルト神殿騎士団を率いるガラバーニュ卿ということになるけど、とてもあのヒゲの騎士ときのう召喚された勇者が同じ種族とは思えない。
ジョルジーナはリボンで飾った尻尾を揺らし、
「次元の壁を越えて召喚される時に手違いがあって、一〇歳以上若返っちゃったっていってたけど……てことは、本当なら二七、八……? 三〇歳くらいなのかな?」
「それもしらねえ!」
「……ま、オトコのよしあしを語るには、あんたはまだ早いか……」
「おう、はええぞ、ケチャは!」
ケチャはそういって笑うと、銀色のカートを押して猛スピードで走り出した。
☆
「我がグリエバルト魔王国は、建国からまだ五〇〇年しかたっておらぬ。要するに、前回の乱世が終結してすぐにわらわが興した国ということじゃ」
そう説明した少女は、昆虫のような脚が何本もついた玉座に偉そうにふんぞり返っている。いったい何を動力にしているのか、わしゃわしゃと脚をうごめかせ、その玉座はハルドールを先導するかのように、城壁の上の通路を移動していった。
「五〇〇年に一度の乱世、か……」
そう呟くハルドールのかたわらには、この五〇〇年の間に作られたという城下町の風景が広がっていた。望遠鏡でつぶさに眺めずとも、ここで暮らす人々の活気に満ちた息吹が感じられるような、にぎやかで楽しそうな町だった。
「……で、その乱世ってのはたった一年しか続かない?」
「うむ」
「ずいぶんと都合のいい乱世だけど、何か理由があるのかな?」
「確かにご都合主義のように聞こえるかもしれぬが、そのように女神サマがお決めになられたのじゃ。仕方あるまい」
ランマドーラ城の一番外側を取り囲んでいる城壁は、正門の真上に位置する部分がやたらと広いバルコニーのように張り出していた。ジャマリエールによれば、ここは城の正面の広場に民衆を集めて演説する際に使われる演壇だという。もっとも、今そこに用意されているのは白いクロスがかかったテーブルと、その上でおいしそうな湯気を立てる料理の数々だった。
「おぬしの舌に合うとよいのじゃがな」
「舌のほうを合わせるよ」
「……いろんな意味で達者じゃな、おぬしの舌は」
少女はハルドールに席を勧め、みずからは玉座ごとその正面に陣取った。
「ゆうしゃ! ワインもってきた! のめ!」
ハルドールが席に着くと、イヌっぽい獣人のメイドがはふはふいいながらワインのボトルを突き出してきた。
「ええと……きみは確か、パンダ退治の時にもいたかな? お名前は?」
「ケチャ!」
「ミス・ケチャか……大事な話を前に酔うわけにはいかないから、そうだな……冷たいミルクがあれば嬉しいんだが」
「ゆうしゃはおっぱいすきか! ケチャもだ! まってろ!」
小走りに去っていく少女のお尻に揺れる尻尾を眺め、ハルドールは笑った。どうやらこの国は、ニンゲンを中心としてさまざまな種族で構成されているようだった。
「おぬしがこれまでめぐってきた世界ではどうだったのか知らぬがな」
テーブルをこんこん叩き、ジャマリエールがいった。
「――そんなこんなで、この世界にはとにかく厄介な連中が多いのじゃ」
「厄介な連中って?」
「やたらと強くて荒っぽくて、すぐに暴れようとする連中じゃ。いつからかこの世界では、種族を問わず、そういった強力な力を持つ者を“魔王”と呼ぶようになった」
「つまり魔王ってのは、あらゆる種族の中から突然変異的に発生する、特に強力な個体ってことか……じゃ、ひょっとしてさっきの天然記念物も?」
「うむ。みずから名乗っておったが、ポンガ・ドゥクスとはズバリそのまま“パンダの魔王”とゆう意味じゃしな。……もっとも、あれは魔王としては下の下の下じゃが」
「あんな愛玩動物でも魔王サマ、ね……。そういえばきみも、確か自分で魔王っていってなかった?」
「いかにも。わらわは“万能の魔王”、ジャマリエール・グリエバルトじゃ」
「自分で万能とかいっちゃう? ま、それはともかくとして、ジャマリエールとはいかめしい響きだね」
襟もとにナプキンを押し込み、ハルドールはカモのローストにナイフを入れた。
「もってきた! のめ!」
駆け足で戻ってきたケチャが、よく冷えたミルクをハルドールのジョッキにそそいでくれた。
「――とにかく、放っておけばこの世界は魔王同士の争いによって滅びかねぬ。というより、かつて本当に滅びかけたらしいのじゃ。女神サマがハッタリをいっているのでなければの話じゃがな」
「それはそれは……こうして魔王陛下の可憐なお姿を拝見していると、とてもそうは思えないけどね」
「ふふん。先ほどはちょうどおぬしの召喚に成功したところであったゆえ、おぬしの力量を見ようとあのワーパンダの始末をまかせたが、本来ならあの程度の小物なぞ、わらわの吐息ひとつで塵になっておったところじゃ」
ジャマリエールは鼻の頭を撫でてほこらしげにいい放った。そうした仕草はおてんばな美少女のそれにしか見えない。もしここにいるのがハルドールでなければ、自分が魔王だという彼女の言葉を信用することはできなかっただろう。
しかしハルドールは直感的に理解していた。少なくともこの少女には現実的な“力”がある。自分はこの少女によってこの世界に召喚されたのだと、ハルドールははっきりとそう自覚していた。
スパイスとハーブの香りが効いたミートボールをフォークに刺して口もとに運び、ジャマリエールはいった。
「話をもとに戻すとじゃな、そうゆう過去をかんがみた女神ユノーは、この地上に住むすべての種族にひとつの提案をしたのじゃ。……五〇〇年に一度、一年間だけ、好きに暴れてよいと」
一年という短い乱世を勝ち抜いたもっとも強い魔王が、次の四九九年間、大魔王としてこの世界を支配する――それが女神ユノーが提案したガス抜きのためのシステムだという。
「魔王たちを野放図に暴れさせておくと、いつ世界が滅びるか判らぬからな。ならば一年間だけでも好きなように暴れさせ、その後の四九九年間は絶対的な支配者によって世界を穏便に統治させる……慈悲深き女神の思し召しじゃな」
「それで慈悲深いって、もしかしてここは地獄なのかな?」
空いていた皿にチキンの骨を積み上げ、ハルドールは苦笑した。
――つづく
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