伝説のおねえさんたちがまったくいうことを聞いてくれないのですが

嬉野秋彦

序章 白と黒、遅れてきた勇者 【第一節 実はパンダは獰猛】

 パンダ――。

 いにしえより伝わる本草学の稀覯書『グリエバルト超百科』によれば、それは白と黒に塗り分けられた独特な体毛を持つ大型獣である。この国でも、人里を離れた山中にごく少数棲息し、いったい何がおいしいのか、自生している竹をバキバキとへし折ってはむしゃむしゃとむさぼり食っているらしい。

 だけど、基本的に人を襲うようなことはなく、むしろその丸っこいフォルムのおかげで愛らしいとさえいわれる珍獣――それがこの世界におけるパンダである。

 そんなパンダと美少女の組み合わせと来れば、周りで見ているみんなの心をなごませずにはおかないはずだが、この日、城の中庭に居合わせた人々が感じていたのは、なごみでも癒しでもなく、肌をピリピリさせる威圧感と殺気だった。

「いい時代になったもんだぜ!」

 直立する白黒二色のケダモノは、二メートル以上の高みから少女を見下ろし、口もとに牙を覗かせて獰猛な笑みを浮かべた。

「――こんなちびっ子を倒せばこの国が手に入るってんだからよ!」

「我が城に単身乗り込んできた狼藉者と聞いて見にきてみれば……なるほどな。その口ぶりから察するに、おぬしも“大魔王”を目指す者か」

「この時代、強けりゃ当然目指すだろ、頂点をよ!」

 そこでばりん! と青竹をひとかじりしたパンダは、自分がかぶっている兜の額――に埋め込まれている宝珠をもこもこした指で指ししめした。

「――これがこの乱世を制して大魔王になる宿命を背負った、このポンガ・ドゥクス・ハガーさまの――」

「おぬしの名前なぞ聞いておらぬ。とゆうか聞くだけ無駄じゃ」

 ジャマリエール・グリエバルトは無造作にパンダの口上をさえぎった。

 やたらと頑丈そうな鎧を着込んだ二足歩行のパンダに対し、ジャマリエールはいかにも軽装――ひらひらとした布を身体にゆったりと巻きつけただけの、巫女風のドレスを着ている。軽くてふわふわ、ジャマリエールのお気に入りのスタイルだった。

「にげろ、へいか! あいつ、いきがくせえ!」

 ケチャが尻尾をぶわっとふくらませてパンダを威嚇する。が、獣人の少女はジャマリエールよりもさらに小柄で、牙も爪も貧相この上ない。要するに、尻尾をふくらませたところで何の役にも立ちはしない。

「きゃんきゃん騒ぐでない、ケチャ。本当に強いイヌは軽々に吠えぬものじゃ」

 不敵に笑ったジャマリエールは、近衛騎士団長のガラバーニュ卿を一瞥し、

「――ケチャを抑えておれ、モーウィン」

「おっ、畏れながら!」

 今にもパンダに襲いかかりそうなケチャを小脇にかかえ、モーウィン・ガラバーニュは立派な髭を震わせて叫んだ。

「こ、このパンダはただのパンダではございません! それがしどものこの姿でお判りかと思いますが、とっ、とても凶暴でやたら強く――」

 つらつらと語るガラバーニュ卿とその背後に控える騎士たちは、すでにみんな傷だらけで、折れた槍や曲がった剣をささえにどうにか立っているような状態だった。さもあらん、彼らではこのポンガ某と名乗るパンダにまったく歯が立たなかったために、こうしてジャマリエールが出てきたのである。

「さりとてここで陛下のお手をわずらわせては、我らグリエバルト神殿騎士団の名折れともなりましょう! ぜっ、ぜひともここはそれがしどもに今一度のチャンスを――」

「負け犬は引っ込んでろ! ゴチャゴチャ騒いでっと食っちまうぞ!」

 ガラバーニュ卿の言葉をポンガ某がさえぎり、太い右腕をひと振りした。

 その瞬間、目に見えない力の波が押し寄せ、騎士たちを無慈悲に薙ぎ払った。

「ぎゃあ!?」

「ぐは……っ!」

「まったく……この国は男性人口が少ないのじゃぞ? あんな不甲斐ない連中でも男には変わらんのじゃから、少しは大切にしようとは思わんのか?」

 ジャマリエールはぼそりともらし、頭に載せたティアラのずれを直した。

「だいたい、“女神の宝珠”なぞ“戦管”に申請すればロバでももらえるのじゃ。その程度の力でわらわに挑もうなどと五〇〇年早いわ。――ほれ、今なら見逃してやるゆえ、さっさとその丸い尻尾をさらに丸めて帰るがよい」

「オレを馬鹿にしてんのか、てめえ!?」

「そもそも、天下に名高い我がグリエバルト魔王国を、おぬしごときに治められるはずもなかろう? 万が一にもわらわを倒せたとしても、おぬしに我が臣民の統治など無理に決まっておる」

「ンなこたァやってみなきゃ判らねえだろうが! てか、てめえみてえな小娘にできることが、オレにできねェはずがねえ!」

「やれやれ……本当に有能なヤツはのう、実際にやらずとも結果をある程度予見できるものじゃ。要するに、やってみなければ判らんなどとほざくおぬしには、先見の明がまったくないということじゃな」

「ううう、う、うるせえんだよ!」

 ポンガ某が苛立たし気に地団太を踏むと、中庭の敷石にびしびしとひびが入った。

「――この国の魔王はおめえ、だったらおめえを倒せばこの国はオレのもの! そんな簡単なルールが判らねェのか、てめえには!? それが乱世ってモンだろ!?」

「晴れやかなまでにアタマの悪い輩じゃのう……」

 平たい胸の前で腕を組み、ジャマリエールは呆れ顔でうなずいた。

「……ま、よかろう。この魔王国を統べるオムニ・ドゥクス・ジャマリエール・グリエバルトが約束してやろうではないか。もしおぬしがわらわを昇天させられれば、“宝珠”に込められたわらわの“魔王力”だけでなく、この魔王国もそっくりそのままおぬしにくれてやる。この城も富も、土地も臣民もすべてじゃ」

「へいか! かってなやくそくすんな!」

 ガラバーニュ卿もろとも吹っ飛ばされていたケチャが、ぶるぶると首を振ってわめいた。

「もう遅ぇ! 確かに聞いたからな? 絶対だからな!? ――この国いただきィ!」

 くわっと牙を剥き出し、ポンガ某がジャマリエールに襲いかかった。ポンガ某の体重は、どう軽く見積もってもジャマリエールの五倍はある。目に見えない衝撃波だの、鋭い牙だの、そんなものを持ち出すまでもなく、すさまじい速さで突っ込んでくる巨体は有無をいわせない破壊力を感じさせた。

「――おめえよ、パンダが雑食で肉も食うって知らねえだろ!」

 黒白二色の巨大な砲弾と化したポンガ某が、低い姿勢で少女に激突した――ように見えた瞬間。

「おごっ……」

 ポンガ某の巨体が不自然に停止した。

「しつけのなってないペットだな。……飼い主は何をしてるんだ?」

「……は?」

 ケチャを背負って立ち上がったガラバーニュ卿は、ジャマリエールとポンガ某の間に突如として現れた小さな背中を見つめ、呆然と目を見開いた。

「ペットをしつけてやらないというのも一種の虐待だよな、まったく……」

 そう呟いて肩越しに振り返ったのは、男と呼ぶにはまだ若い、せいぜい一五、六ほどにしか見えない少年だった。

「――で、俺を呼んだのはきみかな、お嬢さん?」

「お嬢さんと呼ばれるような年ではないがな」

 ジャマリエールは満足げにうなずいた。

「いかにも、わらわがおぬしをここへ召喚したのじゃ。……オムニ・ドゥクス・ジャマリエール・グリエバルト、そう見知り置くがよい」

「依頼人がきみのような愛らしいレディだとは意外だよ。……それに、このシチュエーションもね」

 少年は小さくウインクし、ジャマリエールを抱いて後方に飛びすさった。

「う、ぐ、ぐぅふ……う」

 そのとたん、ポンガ某はみぞおちを押さえて膝を屈した。よく見てみると、黒光りする鎧の腹のところに拳大の穴が開いていて、そこから放射線状にびっしりとひびが入っている。ガラバーニュ卿たちには見えなかっただろうが、ジャマリエールだけは、この少年の拳がポンガ某の鎧をたやすくつらぬいたのを視認していた。

「俺が呼び出される時は、たいていは半裸の美女が鎖につながれて大ピンチ、って局面が多いんだが……ま、たまにはこういうのも悪くない」

 右の拳をふっと軽く吹き、少年はポンガ某を見据えて呟いた。

「ご、こ、の……ガキ……どこから湧いて出てきやがった――!?」

「湧いて出たって……ゴキブリじゃないんだ、そんないい方はないだろ、クマくん?」

「ふざっ、ざげんなあ! クマじゃねえ、パンダだ!」

 のろのろと立ち上がったポンガ某は、口から血の混じったよだれをだらだらと垂れ流している。

「へえ、なかなかタフなクマくんじゃないか」

 腰に手を当ててこきこきと首を回し、少年は笑った。

「――ああ、いっておくけど、今のは別にあんたをほめたわけじゃない。さっきの一撃で沈んでいれば、もう痛い目を見ずにすんだのになって同情しただけだから」

「でめえええ!」

 ふたたび獰猛な咆哮を放ち、ポンガ某が突っ込んでくる。

「やれやれ……こんな芸のない弱小魔王にまで天下獲りの夢を見せるとは、女神サマも残酷なことをするものじゃ」

 きらきらしい宝石で飾られた髪をいじりながら、ジャマリエールはにひっと笑った。

「――額の石を割れ、我が勇者よ!」

「額? ――ああ、判ったよ。おおせのままに」

 自分を掴みにきた太い腕をかわし、ひょいと小さくジャンプした少年は、その巨体を飛び越えざま、ポンガ某の兜に埋め込まれた宝珠をてのひらで打った。

「!」

 ぱぁん! と乾いたいい音が広がると同時に宝珠が砕け散り、七色の光の粒子があふれ出した。

「お……ぐ」

 ポンガ某の丸い頭が半分ほど胴体にめり込んでいる。悲鳴なのか呻きなのか、どちらともつかないくぐもった声をもらしたポンガ某は、よたよたとさらに数歩前に進んだところで、ずずんと軽い地響きをともなって倒れ伏した。

「……どう? これでよかったかな?」

「とりあえずはな」

 ふわっと着地して振り返った少年に、ジャマリエールはサムズアップした。

「へいか!」

 ケチャはジャマリエールのドレスの裾を掴み、少年を指さして尋ねた。

「――だれだ、あいつ?」

「あれは我が勇者じゃ。おぬしの勇者でもある」

「ゆうしゃ……?」

「うむ。わらわがいにしえの禁呪をもちいて召喚した異界の勇者、ハルドールじゃ」

 舌をしまうのも忘れて少年の横顔に見入るケチャの頭を、ジャマリエールはそっと撫でてやった。

                                ――つづく

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