第一章 シロとクロ、逃げる女たち 【第三節 箱から飛び出てウニャラニョロ】

 ジャマリエールの言葉につられて視線を動かすと、騎士団長のガラバーニュ卿がやってくるのが見えた。ただ、なぜかその顔には大粒の汗の珠が浮かんでおり、まるで酔っ払っているかのように足元がおぼつかない。おまけに、その背後には食事の場にはふさわしからぬ、完全武装の騎士たちがぞろぞろとつきしたがっている。

「……?」

 よく見ると、ガラバーニュ卿は両手で小さな箱をかかえていた。サイズ的にはちょっとした宝石箱くらいで、たとえその中身が純金で満たされていたとしても、そこまでの重さになどならないはずだったが、気苦労の多そうな騎士団長が汗だくになってよたよた歩いてくるのは、どうやらその箱があまりに重いためらしい。

「――あー、そのへんでいいぞ。あまりこちらに近づけるな」

「は、はい……さすがに腰にキますな」

 テーブルから五メートルほど離れたところに宝石箱を置くと、ガラバーニュ卿は大きく深呼吸して額の汗を拭いた。

「まさか……武具ってのはその箱の中に入ってるのかい?」

 たとえば全身をおおう金属鎧や盾、それに長剣といった武具のフルセットなら、その重さは数十キロになるだろう。それをひとりで運んでいたのなら、ガラバーニュ卿の疲労も判らなくはない。だが、あの宝石箱に入るのは、せいぜいブリキの騎士の人形くらいのものだろう。いくら何でも小さすぎる。

「この箱を開ける前にな……これをはめておけ」

 ジャマリエールは箱を遠巻きに囲むように配置すると、どこからか取り出した一対の籠手をハルドールに投げ渡した。

「おっと」

 材質は判らないが、エッジの立った黒光りする軽い籠手で、手の甲の部分に、真珠に似た艶を放つ丸いパーツがついている。その表面をこつこつと叩き、ハルドールは軽く口笛を吹いた。

「……なかなか可愛いアイテムじゃないか。女の子へのプレゼントには不向きかもしれないけど」

 まるであつらえたように、今のハルドールの腕に馴染む。しかし、これが最強の武具だとしたらいささか拍子抜けだった。

「どうじゃ? ちゃんとはめたか、我が勇者?」

「ああ」

「それはくだんの武具をあつかうために必要なものじゃ」

「どういう意味かな?」

 もう髭はないというのに、顎を撫でる癖が抜けない。ひんやりとした籠手の感触に軽く首をすくめ、ハルドールは首を傾げた。

「それはいわば投げ縄じゃ。そして今から現れるのは悍馬じゃ。用意ができたのなら箱を開けるぞ? 心の準備はよいか?」

「……何をいってるのか判らないんだけど?」

「悍馬を御せねば蹴り殺されるだけじゃろ? 最強の武具を手にしたいのであれば、おぬしはそれに見合う強さを証明せねばならぬということじゃ。パンダ風情ではおぬしの力量を測るメジャーにもならなかったしのう」

 すでにジャマリエールは宝石箱に歩み寄り、その上から左手をかざしている。 じかに触れてもいないのに宝石箱がかたかたと揺れ始め、それを見た周囲の騎士たちが顔を青ざめさせていた。

 その様子に、ハルドールは目を細めた。

「……どうやらそいつに詰まってるのは女性の大好物じゃないらしいな」

「準備は万端のようじゃな。……では開けるぞ、我が勇者よ! 受け取るがよい!」

 右手の人差し指を額に押し当ててジャマリエールが叫ぶと、ばきんっ! と耳障りな金属音をともなって箱が開いた。

 と同時に、その中から白と黒の何かが飛び出してきた。

「!?」

 目で見て反応するより先に、肌をひりつかせる殺気に反応して、ハルドールは咄嗟に身をかわした。

「これはこれは……」

 目を細めて振り返ったハルドールの視線の先にいたのは、ふたりの女――どちらもビキニ同然の刺激的なコスチュームを身につけたグラマラスな美女たちだった。

 一方は痛々しいほどに白い肌と長い金の髪が印象的な豊満な美女。やや垂れ気味の目もとにともった双子星のような泣きぼくろが、何とも婀娜っぽく見える。

 そしてもうひとりはつやつやした小麦色の肌に情熱的な赤毛の、こちらはやや筋肉質な美女。よく輝く金色の瞳がしなやかなネコ科の猛獣を思わせた。

 男性目線での好みの差はあるにせよ、おおむね誰が見ても甲乙つけがたい、すこぶるつきの美女ふたりだった。どちらも耳の先端がややとがり気味だったから、もしかするとエルフなのかもしれない。

「…………」

 誰もいないテーブルのそばに歩み寄った赤毛の女は、まだ七分ほど中身の残っているワインのジョッキを手に取ると、匂いを確認してから無言でそれを飲み干した。

「ここ……どこかしらぁ……? 見覚えのない場所だけど――」

 一方の金髪の女は、不安そうな視線であたりをきょろきょろ見回している。

「……気をつけるがよい、我が勇者」

 ケチャをともなってハルドールのそばにやってきたジャマリエールが、美女たちを見て低い声でいった。

「判っておるとは思うが、あれらはただの女ではないぞ?」

「ああ。おかげで俺はこの先死ぬまで悩むことになりそうだよ。赤毛の彼女と金髪の彼女、どっちが美人かってね」

 そんなハルドールの軽口に反応したのか、赤毛の手からジョッキが消えた。

「!」

 目にもとまらぬモーションから猛スピードで投じられたジョッキを、ハルドールは咄嗟に右の拳ではじいて逸らした。常人なら今のをまともに顔面に食らって間違いなく重傷、運が悪ければ即死だったかもしれない。

「……きみとは初対面のはずなんだけど、ずいぶんアグレッシブなごあいさつだな」

 ハルドールはさり気なくジャマリエールたちをかばう位置に立ち、ぷらぷらと拳を振った。

「――ひょっとして、俺は前世できみによほどひどいことでもしたのかな? たとえばノックもなしにきみの寝室に入ろうとしたとか、きみのドレスの裾を踏んづけたとか、さもなければ――」

 ハルドールの問いに対する返答は、さっきのジョッキ以上の速さで飛来する無数のナイフとフォークだった。

「取り押さえよ! 手加減はいらぬぞ!」

 ハルドールがすべての凶器を拳で叩き落としている間に、ジャマリエールの命を受けた騎士たちが、丸腰の美女ふたりにいっせいに槍で突きかかった。

「……わたしたちもナメられたもんだね」

 冷ややかに呟いた赤毛がその場で旋回した瞬間、槍はことごとくへし折られ、騎士たちは派手に吹き飛ばされていた。ワーパンダ相手に無様をさらした彼らを基準にするなら、こちらの美女は明らかにパンダ以上――むしろくらべるのが馬鹿馬鹿しくなるほどの強さだった。

「……いい蹴りだ。速くて鋭くて、おまけにシルエットがいい。いつまででも眺めていたいくらいだよ」

「たわけ!」

 赤毛の美女の脚線美に注目しているハルドールの尻に、ジャマリエールの小さな拳がぼすっとめり込む。

「オヤジみたいなことをゆっておる場合か!」

「いや、忘れてない? 俺だって健康な成人男性なんだぜ?」

「あのね、あのね、クロちゃん」

 呻く騎士たちを尻目に、それまで何かを捜すかのようにあたりを見回していた金髪の美女は、テーブルの上の料理をつまみ食いしている赤毛の美女にいった。

「どうもこの近くにはいないみたいなのよ~。どうしよ~?」

「そんなのいわれなくても判ってるよ、シロ。……早く捜しにいこう」

「我が勇者!」

 ジャマリエールがふたりを指さしてわめいた。

「――あのふたりを逃がすでない! ブン殴ってでも捕えるのじゃ! 少しくらい荒っぽくやっても死んだりせぬゆえ、勇者の勇者たるところをわらわに見せてみよ! でなくば最強の武具は手に入らぬぞ!」

 少女魔王の言葉が終わらないうちに、赤毛と金髪の美女ふたりは走り出していた。まだリタイアしていなかった騎士たちがその逃走を防ごうと立ちはだかったが、予想通りというべきか、まるで相手にならない。文字通りの鎧袖一触で蹴散らされ、あとにはただ怪我人たちの苦痛の声だけが残るありさまだった。

「ああっ……! わ、我が栄光あるグリエバルト神殿騎士団が、午前中に続いてまたもや壊滅するとはっ!」

 ガラバーニュ卿が頭をかかえてがっくりと膝をついた。

「やれやれ……あれなら馬防柵のほうがまだ役に立つんじゃないか?」

「じゃからおぬしは何を悠長なことをゆっておる!?」

「そうはいうけどね、だったら最初から彼女たちを箱から出さなければよかったんじゃないのかな、我が愛しの魔王陛下?」

 ジャマリエールとケチャを助け起こしたハルドールは、少女たちの服を軽く払ってほこりを落とすと、二、三度その場で屈伸した。

「基本、去る者は追わず……ことにそれが女性なら、未練がましく追いかけないのが俺のポリシーなんだけどさ」

「!?」

 城壁上の通路を騎士たちを薙ぎ倒しながら走っていた美女の目の前に、ハルドールは一瞬で回り込んだ。

                                ――つづく

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