第32話 言い訳

 カブリオレに座るシャーロットお嬢様の膝の上から動こうとしないハギスを無理やり抱きかかえて地面に離し、お嬢様の手を取って降りていただくと、馬を留めに行っていたフィル様が小走りに戻ってこられ、私たちの正面に立って瞳をまっすぐこちらに向けられる。


「ルーシー、心配をかけてしまって申し訳ない。でも、これには正当な事情があって僕の責任においてしたことだ。やましいことは何もないし、シャーロット嬢には何の落ち度も責任もないことを言っておくよ」

「いいえ! ルーシー、私が今ここにいるのは、私のわがままをフィル様が聞いてくださったからなの! 責められるべきは私だけです!」

「シャーリー、君は悪くない! 責められるべきは僕一人だ!」


 フィル様の言葉が終わるか終わらないかのタイミングでお嬢様が私の袖を引き、すがるような瞳で訴えられ、それを遮るようにフィル様が声を上げられる。


――パン、パン


「お二人とも、落ち着いてくださいませ」


 拍手を二回打ち鳴らし、お互いを気遣うように見つめ合っていたお二人の注意を私の方に向ける。こんな状態ではあまり叱る気も起きないけれど、きちんと叱らなければいけないのが私の責任だ。


「はじめに申し上げます。未婚の貴族の子女がカブリオレに同乗し、あまつさえご令嬢を単身でお屋敷に招くことに許される理由はございません。それにお嬢様、あるじのことはフィリップ様とお呼びくださいませ。ご主人様も、子爵のご令嬢を愛称で呼んで許される立場でないことはご承知の通りです」

「……はい、ルーシー。フィリップ様、ご無礼をお許しください」

「えーと…… 僕の方こそ、立場をわきまえず失礼いたしました。シャーロット嬢」


 俯き気味に急によそよそしく挨拶を交わすお二人に気付かれないよう静かに溜息を吐く。場違いで微笑ましい光景に叱らなければいけない気持ちはすっかりどこかに消え失せてしまったけれど、この状況を何とかしなければお二人の将来に関わってしまう。

 わざと怒っている風を装っても、フィル様の蒼白だったお顔に血色が戻り、表情もいくらか柔らかくなっている。きっと私の気持ちも見透かされているのだろう。


「よろしいですか? まずはフィリップ様。貴方は先代が早くに亡くなられたエドワーズ男爵家の嫡男として素養と才覚を認められ、早期に爵位を継承できるようグレンタレット辺境伯やアシュベリー伯爵やサーストン子爵をはじめとした多くの貴族の方々の支持の元で特別な待遇を受けて社交界で活動しておられます。その信頼を裏切ることは決して許されないことと努々お忘れなきよう申し上げます。 ……聞いておられますか?」


 お説教をしているうちに足元では空気を読まないハギスがごろごろと喉を鳴らしながら私の足首にじゃれ付きはじめ、神妙な面持ちで聞いていたお二人の視線が落ち着きなく私の目とハギスの間を行ったり来たりしている。


「いま大事なお話をしております。こちらに集中してくださいませ」

「……はい」


 バツの悪そうな顔をされるお二人に注意して、足元でゴロゴロ転がっているハギスを抱き上げて頭をぽんぽんと撫でる。


「次にシャーロットお嬢様。貴族とは古来より続く高貴な血統を守り、神の教えを守り、主君たる王家と国家を守り、領民を守る。という誇り高き騎士道精神を貫いて生きる存在です。そして、いずれその伴侶となるご令嬢は賢く、敬虔で、慈しみ深く、貞淑であらねばなりません。ですので、純潔であることは絶対で、それを疑われることすら許されません。社交界に出入りする御婦人方やご令嬢方達はうわさ話が大好きで、特に醜聞スキャンダルはまたたく間に広がります。もしそのようなことになれば良縁に恵まれなくなくなるどころか社交界に居場所すらなくなってしまいます。シャーロットお嬢様におかれましてはデビュタントを間近に控えた大切な時期を迎えられております。メリル家の将来のためにも、くれぐれも軽率な行動はお控えいただくよう申し上げます。 ……聞いておられますか?」

「はっ、はいっ!」


 お説教を続けると、今度は白雪さんがハギスの後を追ってやってきて私の足元に座り込み、私に捕まっているハギスを見上げてみゃーみゃーと鳴きはじめる。

 お二人の視線はもう白雪さんに釘付けだ。


「えーと、ルーシー、その子は……?」

「話を逸らさないでくださいませご主人様。この子のことは後ほどお話します」

「う…… うん」

「ハギス、少しの間白雪さんと大人しくしていなさい」


 白雪さんの隣にハギスを下ろし二匹の頭を順番に撫でると、お互いのにおいを確認し合うように頬ずりをしてから私たちの話に加わるような位置に大人しく並んで座り込む。

 人間同士が大事なお話をしていると加わりたくなるのが猫の習性だ。


「では、言い訳をお聞かせください。ご主人様」

「うん、現地視察でメリル領に赴いたとき、最初は教会に泊めてもらう予定だったんだけど、メリル子爵にご挨拶に行ったらご夫妻に気に入られちゃったみたいでお屋敷に滞在させてもらうことになって、そのお礼ということでシャーロット嬢のデビュタントの衣装をサラ・エドワーズの方でお世話させて欲しいと申し出たら、えーと、その、シャーロット嬢を連れて帰ることになって…… それで、この状況なんだ」

「つまり、お人好しのメリル夫妻を言葉巧みにたらしこんで体よくお嬢様を連れ攫ってこられたということですね」

「えーと…… ルーシー、それはちょっと言い方が悪くないかな」

「違いますか?」

「いや、だいたいその通りかな……」


 困ったことにフィル様のお言葉に偽りがないのなら、ご夫妻はフィル様をメリル家に迎え入れるためにお嬢様を単身でエドワーズ家に来られることを許可され、フィル様もそれを承知のうえでお嬢様をここに連れてこられたことになる。

 問題はフィル様がどういう了見でそうなさったのかが分からないことだ。


「お嬢様は先ほど自分のわがままのせいだとおっしゃっていましたね。お聞かせ願いますか?」

「はい、メリル家の現在の経済状況はルーシーもご存じですね?」


 私の問いかけに、お嬢様の碧玉エメラルドの瞳に覚悟の炎が灯る。


「……はい、存じ上げております」

「現在のメリル領は古き伝統を守るメリル家の方針によって産業の近代化が遅れ、領民は不自由な生活と貧困に苦しんでいる状況です。メリル家は領民を救うために多くの財を投じましたが、それももう限界に達しています。私はメリル家の長女として領民を救えるだけの富と権力を持つ有力な貴族の家に嫁がねばなりません。ですが、領民の生活を思えば、今のメリル家にはデビュタントの衣装を揃える贅沢すら許されないのです。このことを手紙にしたためてメイド伝手に届けてもらい、フィリップ様が私のお願いを聞いてくださったおかげで私はここにいるのです」

「……そうでしたか。よくわかりました。つらいお話をありがとうございます」


 薄らと涙に濡れ、きらきらと輝く碧玉エメラルドの瞳が私を捕らえる。それは恋する少女ではなく、誇り高い貴族令嬢の瞳だ。

 メリル家の状況と子爵夫妻の思惑、それにお嬢様のご覚悟を考えれば、フィル様がお嬢様をここに連れてこられたことにも納得できるけれど……


「あら!? あらあら、これはこれは!」


 突然の声に全員の目が一斉にそちらに向けられた。

 勝手口から出てきた母が小走りにお二人の元へ駆けつけ、慣れた仕草でスカートのすそを持ち上げて片足を引いてお辞儀をし、シャーロットお嬢様も同じように優雅な仕草でお辞儀を返される。


「いらっしゃいませ、シャーロットお嬢様。ようこそエドワーズ邸へ。おかえりなさいませ、フィリップ様。お二人とも長旅ご苦労様でした」

「ただいま、ケイト。お出迎えありがとう」

「ご機嫌麗しゅうございます。ケイトさん」

「この状況は…… うふふ、もしかしてメリル領からお二人だけでこちらまで帰ってらっしゃったのですか?」

「えーと、実は事情があって……」

「それは、とても大切な事情ですか?」


 母が穏やかな表情でフィル様の目を見詰めて問いかけると、フィル様は真剣な眼差しを返して黙ったまま頷く。


「ルーシーはお話を聞いたのね?」

「はい、お叱りして事情を伺ったところです」

「それでは私からは何もお聞きしません。シャーロットお嬢様はエドワーズ家のハウスキーパーである私が侍女兼お目付け役として責任をもって預からせていただきます。 ……良いわね? ルーシー」

「はぁ…… 今からでは陽が沈むまでにメリル領に戻れませんし、メリル夫妻とご主人様の合意を違えてしまっては両者の面目が立ちません。決して容認することはできませんが、こうなってしまっては致し方のないことと思います」


「ケイトさん! ルーシー! ありがとうございます!」

「二人とも、ありがとう。えーと、それで……」

「かわいい……」


 と、事態がひと段落着いたところでお二人の視線が足元でじゃれ合っている二匹の猫に向けられる。


「ハギスのガールフレンドです」

「まぁ! そうなのですね! はじめまして。メリル子爵家の長女、シャーロット・メリルと申します。真っ白で毛並みが艶々で、左右の目の色が青と緑で違うのですね。すごくお綺麗です」

「はじめまして、小さなレディ。次期エドワーズ男爵のフィリップ・エドワーズです」


 うやうやしく貴族流の挨拶をするお二人を白雪さんは不思議そうに眺め、すぐに興味を失って毛づくろいを始める。


「この子のお名前はなんとおっしゃるのかしら?」

「お名前はまだありません。私は仮に白雪さんと呼んでおりますが」

「私はシロちゃんと呼んでおりますわ」

「ふーん、じゃあ、僕たちで付けちゃおう。ね、シャーリー」

「そうですね。フィル様」

「こほん…… フィリップ様、お嬢様、まだ反省が足りないようですね」


 睨みつける私にしまったと愛想笑いを浮かべるお二人を母が穏やかな笑顔で見守る。

 こうしてハギスのガールフレンドの名前は正式にシフォンと名づけられた。


「それでは、シャーロットお嬢様、お部屋をご用意いたしますので、どうぞこちらへいらしてくださいませ」

「はい、よろしくお願いいたします。ケイトさん」

「ルーシー、荷物と資料の整理を手伝ってくれるかな? 明日はヴィクター様に調査結果とメリル領の領地改革案を伝えなきゃいけないから」

「かしこまりました」


 陽は西に大きく傾き始め、屋敷に戻るシャーロットお嬢様と母を見送った後、フィル様と一緒にカブリオレの荷台からたくさんの荷物を下ろした。


「ルーシー、今日はごめんなさい。それに、ありがとう」

「ご主人様、立派になられましたね。シャーロットお嬢様も。私は教育係としてお二人を誇りに思います」

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