第33話 胸騒ぎ

「まぁ、エドワーズ家ではケイトさんもルーシーも同じ食卓なのですね」


 母の案内でダイニングホールに入り、六人掛けのテーブルに四つ揃えられたテーブルセッティングを見て不思議そうに首を傾げるシャーロットお嬢様に母が人差し指をピンと立てて少し得意気に応える。


「そうですの。お家の方々も使用人も同じ食卓で夕食をとるのが先代のアーサー卿が決めたエドワーズ家の鉄の掟なのです」


 父から聞いたお話では先々代の奥様、つまりアーサー卿のお母上が亡くなり、エドワーズ家の最後の一人となってしまったアーサー卿の孤独な食卓を気に病んだ母の強い希望で始まった習慣で、家出してエドワーズ家に来られた当時の温かな家庭を知らなかったサラ奥様のためにアーサー卿がエドワーズ家の掟としたらしい。

 とは言え、フィル様とシャーロットお嬢様のお二人だけで食事をとらせるわけにはいかないので私たちが同じ食卓を囲むのは仕方のないことだ。


「そう! 僕たちは家族だからね。シャーロット嬢、お席へどうぞ」


 母がさりげなく主の傍らの、将来のエドワーズ男爵夫人の位置となる席へシャーロットお嬢様を案内すると、フィル様がゆるい笑顔でそう言いながら椅子を引いて迎え入れる。

 この人たちは相変わらず私の心配などお構いなしだ。


「……お待たせいたしました。お食事のご用意ができました」

「わぁ! 今日のメニューはまた一段と美味しそう!」

「うふふ、お久しぶりにフィリップ様が帰ってこられるので腕によりを掛けましたの。張り切ってちょっと作り過ぎてしまいましたから、シャーロットお嬢様にも召し上がっていただけて嬉しゅう存じます」

「ケイトさん、何から何までお世話になってしまい申し訳ございません……」

「それはもったいないお言葉です。エドワーズ家のハウスキーパーである私にとって貴族の子たちに尽くすのは当然のことですわ」

「ご主人様、お祈りを」


 母と私も席につき、フィル様に冷ややかな視線を送ると、苦笑を返してフィリップ様が頷く。それに合わせて全員が指を組んで目をつむり、フィル様が唱える祈りの言葉を繰り返す。四人の「アーメン」が揃ったところで、つかの間の静寂を破って「さぁ、食べよう!」とフィル様の明るい声がダイニングホールに響き、楽しい夕食が始まる。

 一緒に食事をするとは言え、私は一足早く食事を終えて給仕に回るのが常だ。母も私と同じタイミングで食事を終えて、シャーロットお嬢様にエドワーズ家の歴史やフィル様が幼かった頃のほほえましいエピソード等を話し始める。それはまるで将来のエドワーズ男爵夫人に教え聞かせるように。


 シャーロット嬢は時に楽しそうに、時に興味深げにそれを聴きながらしきりにフィル様に視線を向けられ、そのたびにフィル様は照れ笑いを浮かべている。

 このお二人の将来に何も邪魔するものはない。私にできることは、このままお二人が今日のような危うい橋を渡らないように見守ることだけだろう。


 だけどなぜだろうか、胸騒ぎがする。


 食事を終えてしばらくの団欒を楽しんだ後、フィル様は明日ヴィクター様への報告の資料を作らないといけないからとお一人執務室に戻られ、私はシャーロットお嬢様のご希望で一緒に夜を過ごすことになり、そのことを聞いた母は上機嫌にフィル様の寝室に向かわれていた。


 客間のレースカーテン越しの月光と蝋燭の幽かな光がベッドの端に座るシャーロットお嬢様の透けるように真白で均整の取れた肢体を薄闇に浮かび上がらせる。

 すらりと伸べた細い腕をとり、熱いお湯で絞った清潔な布で拭きあげ、もう片方の腕、両足、背中と次第に体の中心に向かっていく。私に身を任せうっとりと目を瞑る少女の敏感な部分に触れるたびに薄い吐息が漏れ聞こえ、一拭きごとに罪の意識が心をなぞる。


 少女の全身を清め終えたところで、少女は静かに溜息を吐き、ゆっくりと目を開いて私に視線を合わせた。


「ねぇ、ルーシーは、恋したことある?」

「そのようなことは…… いえ、そうですね。 ……ありますよ」


 答えてはいけない質問に一瞬はぐらかそうかと思ったけれど、シャーロットお嬢様の真剣な眼差しがそうはさせなかった。


「それは今も? その方とは、ご結婚はなさらないの?」

「お嬢様、申し訳ございませんが、これ以上はお答えすることはできません」

「あっ…… ごめんなさい。言いづらいことを聞いてしまって……」


 座ったまま両腕を広げるシャーロットお嬢様の求めに応じてハグをすると、ぎゅっと抱きしめられてそのままベッドに引き倒される。

 薄衣越しに重なり合う少女の肌はしっとりと微熱を帯び、少し早い鼓動と呼吸のリズムが気持ちを伝えるように重なって。柔らかな頬が頬に触れる。

 お嬢様の身体に体重をかけないようにベッドに肘を立てて体をひねり、並んでベッドに横たわると今度はお嬢様が私の上に覆いかぶさって再びぎゅっと抱きしめられる。


「大きくなられましたね。シャーロットお嬢様」


 あの頃と同じように絹のようなブロンドの髪を指で梳いて後頭部を撫でると、あの頃と同じように首筋に顔を埋めて頬ずりをされ、その愛おしさに胸がチクリと痛む。


「私は…… きっとフィル様に恋をしているのだと思います。子供のころにフィル様のことをルーシーから聞いて、きっと、その人が私の王子様なんだって思ってた。それで、この間初めて出会って、予感が確信に変わったの」


 お嬢様が私を抱いていた腕をほどき、ベッドについて上体を起こされ、私に視線を合わせる。その潤んだ瞳は揺れる蝋燭の炎を映して輝き、頬は紅を差したように赤らんでいる。


「フィル様のお顔、お姿、その声、その笑顔、触れる指先…… 私は、フィル様に心を奪われてしまいました。フィル様のお隣にいるときも、一人の時も、こうして、ルーシーに抱き締められて一緒に眠るときも、きっと今夜の夢の中でも、私の心はフィル様でいっぱいです。 ……でも」

「……でも、どうかなさいましたか?」

 そうお答えする私の頬を、お嬢様は両手で包むように撫でて儚げに微笑まれた。


「フィル様のお心は、きっとルーシーでいっぱいなのでしょうね。私のような妹が欲しかったなんて仰って、それでいてルーシーのお話をなさるときはいつも目を輝かせて頬を少し赤らめて、本当に素敵な笑顔をお見せになるの。私がルーシーにフィル様のお話をする時と同じ顔…… そのお顔を見るとルーシーのことがとても憎くて、妬ましくて……」


 震え、掠れる声でゆっくりとお話しされながら、お嬢様のひんやりした両の指先が私の頬をつまみ、顎を撫で、首筋に添えられる。


「……ごめんなさい。ルーシー」

「いいえ。お辛い気持ちは痛いほどにご理解いたします。私も叶わぬ恋に、今も心を囚われておりますから」


 はっと見開かれた瞳の中の炎は零れ落ちる大粒の涙とともに消えて、どちらともなく抱き締め合う。


「二つ、申し上げますね」

「ふた、つ……?」


 私の胸に顔を埋めて嗚咽を漏らすお嬢様が顔を上げ不思議そうに首を傾げられる。

 その仕草に泣き虫だった昔のお嬢様を思い出して、胸に温かい気持ちがこみ上げ、思わず頬に口づけしてしまう。


「はい、一つ目は、お二人は家柄もお人柄も、それにご容姿も、私の目からよくお似合いだと思います。そして、この私がお似合いだと言うことは、神様からも大英帝国からも祝福されるお二人であるということです」

「お似合い、ですか……」


 あやすように頭を撫でながら黙ってうなずくと、潤んだ瞳をぱちくりさせる。


「二つ目は、私とは違ってお嬢様の恋は叶わぬものではありません。フィル様が私に好意を寄せられていることは存じ上げておりますが、私とは決して結ばれないことも理解されております。それに、人の心は変わるものです。この先私は今より歳を重ね、お嬢様は大人になられ今以上にお美しくなられることでしょう。その時、フィル様が私かお嬢様かどちらを選ばれるかは明白だと思います。たとえ心が変わらなくても、エドワーズ男爵のお立場がそうはさせないでしょう」

「それって……?」

「はい、シャーロットお嬢様。お幸せになってください」

「ありがとう、ルーシー……」


 お嬢様はそのまま私を押し倒すように抱き着き、私の胸元を暖かい涙で濡らすうちに静かに眠ってしまわれた。


 明日はフィル様がヴィクター様にメリル領の再建計画を発表される日だ。

 ヴィクター様の度量、フィル様の才覚、シャーロットお嬢様の想い、全ては上手くいくはずだ。

 だけどまだ、胸騒ぎは鎮まらない。

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