第31話 アヴァンチュール
まだ予熱の残る寸胴鍋をかき混ぜ、スープと一緒に底に沈んだ屑肉の溶け残りをすくい上げてオートミールを敷いた餌皿に注ぎいでスプーンで混ぜる。こうしてできた屑肉のポリッジがハギスのご飯だ。いつもはハギスの分だけだけど、今日は母に言われた通り二人分、食器棚から使っていないお皿をだして用意する。
母が真っ白で可愛いと評するハギスのガールフレンドの分だ。
大小二つのお皿を乗せたトレイを持って勝手口を開けると、待ち構えていたハギスが足元に擦り寄ってくる。ちょうど邪魔で蹴りやすい位置に陣取って絡みついてくるのはきっとわざとだろう。
「はいはい、邪魔ですよ」
つま先の位置でゴロンと転がって靴に頬ずりしてくるハギスを蹴らないように慎重に足を運び、いつも餌やりをしている水場の傍で腰を下ろす。
「ほら、ちょっとは我慢しなさい」
金色の瞳を輝かせてトレイに手を掛けようとするハギスのおでこを手のひらで優しくぽふぽふ叩くように撫でて制すると、目を閉じて折れた耳をぴょこんと後ろにやって大人しく座り込む。こういうところは可愛らしくて好きだ。きっとハギスの策略なんだろうけれど。
「聞きましたよ。彼女ができたんですって? そういうところはしっかりしているんですから」
「にゃー」
「はい、二人分のお食事を用意してきましたから、彼女さんを呼んできてくださいませ」
地面に二つの餌皿を並べ、勝手に食べないようにその上に蓋するようにトレイを乗せて言うと、ご飯に目がくぎ付けになっていたハギスが顔を上げて少し離れた庭木の方へ振り返り「にゃーん!」と一際大きな声で鳴く。
その先には木の根の陰から三角の耳をぴんと立てた真っ白な猫が顔を出し、左は翠玉、右は蒼玉のオッドアイの瞳をまん丸にしてこちらをじっと見つめていた。
なるほど。確かにきれいな子だ。
「こんにちは。ハギスがお世話になっております」
「……」
「お食事をご用意しましたよ。どうぞ一緒にお召し上がりください」
あまり見つめていては警戒を解いてくれないので、ゆっくりまばたきしてハギスの方に視線を移し、喉のあたりをくすぐるように撫でてやると、ハギスは彼女さんに「警戒しなくて大丈夫」と言うように喉を鳴らしながら甘え声を出す。
そうしてハギスと戯れているうちに、警戒を解いた彼女さんが庭木の根を乗り越えてゆっくりと近づいてくる。
真綿のように真っ白で柔らかな毛並みにすらりとした肢体、優雅でしなやかな身のこなしに合わせて揺れる長い尻尾。
「本当に女の子を見る目だけは確かですね。ハギス」
「うにゃぁ」
「始めまして。エドワーズ家の使用人を努めておりますルーシー・ミラーと申します」
ご挨拶に彼女さんの顔の位置より下に手を差し出すと、恐る恐る私の指先のにおいを確かめ、少し考えた後小さくぺろりと舐めた。
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
「みぃ」
可愛らしい声で返事をする彼女さんに正式なお名前をつけるのはフィル様におまかせするとして、今は仮に
白雪さんは私の手に頬ずりした後、ハギスに身体を擦り付けて身を寄せるように腰を下ろした。その隣でハギスが何故か得意気な顔をしてくるので少し腹が立つ。
確かにお似合いの二人ではあるけれど。
「仲睦まじいのはわかりましたから、お食事をどうぞ」
二人の前に餌皿を置くと、白雪さんはくんくんとにおいを嗅いでから少しずつ食べ始め、その間にハギスは餌皿に顔を突っ込んでガツガツ食べている。普段は嫌がる折れ耳をぴろぴろされるのにもお構いなしだ。白雪さんの方は指先でおでこにそっと触れると、ぴくっと耳を動かして私をちらりと見てからまた静かに食事を食べ始め、それからゆっくり背中を撫でても気にせずにお食事を続けている。
「ふふ、いい子ですね」
食事が終わり水場で餌皿をすすいだ後、いつも私が休憩やお昼寝に使っている庭園が見渡せる木陰のベンチに移動すると二人も仲良くついてくる。ベンチの上においている使い古した馬の鞭の先に破れた手袋をくくりつけた特性猫じゃらしを手に持つと、ハギスが「早く遊んで」とばかりに興奮して足元に絡みついてくるので、その鼻先で猫じゃらしの先をひらひらさせて、飛びつこうとしたところで捕まらないようにひょいと引き上げる。
ハギスの両手は空を切り、視線は猫じゃらしの先端を追ってくるりと身軽に身体を反転させた。
「それでは訓練のお時間ですよ」
「にゃおーん」
いつもこうしているとフィル様や年少のメイドさんたちがやってきて面白がって一緒にしたがるけれど、これはハギス隊長の狩りの訓練であって別に遊んでいるわけではない。
ということにしている。
ベンチに腰掛けて猫じゃらしを地面を這わせてぴたっと止め、少し揺らして気を引くと、ハギスはそれにつられて手足を縮めて身体を伏せ、耳を前に向け、目をまんまるにして獲物を狙う。
今日は彼女の前だからか普段よりやる気満々だ。
そのままネズミが這うようにハギスから遠ざけていき、腕を一杯に伸ばしたところでぴょこんと先端をはねさせる。
その瞬間、ハギスは全身のバネを使い放った矢のように飛び出し、見事に獲物を捕まえた。
そんなふうにしばらく猫じゃらしを操っていると、白雪さんがベンチに上がって広げたドレスのスカートに乗り、私の太ももに寄りかかるように座ってハギスを見守りはじめた。
もうすっかり私にも慣れたようで、背中を撫でると手を胸の下に折りたたんで香箱に座り、今にも眠りそうに目をゆっくり細める。
しばらくすると猫じゃらしに飽きたハギスもベンチに上がって白雪さんに身を寄せて同じように香箱を作ってまどろみ始めた。
そうして穏やかな時間が過ぎる。
私は社交界に身を置くよりもこうしてのんびり過ごす方が性に合っているのかもしれない。
その時、ハギスがぱっと顔を上げて正門の方に飛び出した。
きっとフィル様が帰ってこられたのだろう。白雪さんを地面に下ろしてハギスの後をついていくと、軽快な蹄鉄の足音とともにフィル様のカブリオレが正門をくぐったところだった。
手前側には緩い笑顔で馬を止めてカブリオレから降りようとするフィル様、奥側にはつばの大きなボンネットを被ったエプロンドレスの女性。
あれは……?
エドワーズ領内の人にとってはフィル様のカブリオレに同乗する侍女は私しかいないと知っているので疑問には思わないだろうけれど、私はここにいて彼女の居住まいは庶民のものではない。
「ただいま、ハギス。お出迎えご苦労様」
駆け寄ってくるハギスに挨拶をするフィル様の横をすり抜け、ハギスはカブリオレを駆け上がって彼女の膝に飛び込んだ。
「まぁ! ハギスさん、お久しぶりです。お元気にしていらっしゃいましたか?」
やっぱり、フィル様が今朝まで滞在していたメリル子爵家の長女、シャーロット・メリル嬢だ。
「おかえりなさいませ。ご主人様。そして、いらっしゃいませ。シャーロットお嬢様」
「ええっ!? ルーシー? 戻ってくるのは明日のはずじゃあ……?」
お二人をお出迎えする私の顔を見るなり、フィル様の顔が青ざめていく。
「予定が変わりました。それよりも、この事情をご説明していただきます」
「あは、は…… ただいま、ルーシー。えーと、これは、その……」
「先に馬を留めてきてくださいませ。お話はその後です」
「はい……」
「ルーシー! これには訳が……!」
「お嬢様も、すぐに降りてくださいませ」
「はい……」
さて、この状況はどうしたものか……
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