第25話 円卓
ヴィクター様にあれこれと指示をしながら懇親会の準備をしている間にお昼が近づき、いつの間にか『円卓』と呼ばれるようになったこの会に一人一人と参加者の方々がお見えになられる。
すっかりお馴染みになったエドガー卿とリチャード卿、名門貴族から小さな領地を守る準貴族、どなたが呼ばれたのか庶民階級の人まで、ヴィクター様とご挨拶を交わされ、めいめいに食事やお酒を楽しまれたりカードゲームに興じたりしながらご歓談されている。
その中には……
「ルーシーちゃん。どうもお久しゅう。まいどおおきにして貰いまして感謝しとります。しばらくお見掛けせんうちにまたえらい別嬪さんにならはって……」
狐を思わせる面長に作り笑顔を貼り付けたような顔立ち、後ろで一本に括った黄色味の強い金髪、変わった訛りでお話しされるハンス・シモンズ氏は貿易商社バーネット商会の雇われ社長でサラ奥様の元婚約者だ。
「ようこそいらっしゃいませ、ハンスさん。ご機嫌麗しゅうございます」
「お嬢は元気しとりますか?」
「はい、お変わりなく。今は新たにブティックを立ち上げるためにしばらくロンドンにいらっしゃるご予定です」
「ほう、さよですか。ほなまた近いうちにご挨拶に行かせてもらいましょ」
サラ奥様をお嬢と呼べるのは、胡散臭いとしか言いようのないこの人しかいないだろう。
奥様の新しいブティックの住所をメモに記してお渡しすると、糸のように細い眼を少しだけ開き、にやりと笑って懐にしまわれ、「おおきに」と一礼して参加者様の輪の中に入って行かれる。
この会が開かれるのはもう何度目になるだろうか。最初はヴィクター様のお知り合いの大貴族の方々ばかりだったが、回を増すごとに出入りする面々もバラエティ豊かになっていき、その分給仕としての私の仕事も増えていく。
空いたお皿を下げ、新しい料理を並べ、お酒をお出しする。あわただしい時間が過ぎて宴もたけなわ。カードゲームに興じながらの話題は混乱の最中にある世界情勢に移り、リチャード卿の弁にも熱がこもり始める。
「クリミア、インドでの戦火に続いて今度はフランスと手を組んで清国に戦争を仕掛けようなどと! これ以上この国を彼らの好き勝手にさせる訳にはまいりません!」
「そうは言うもののリチャード卿、先の庶民院の解散総選挙ではパーマストン首相の多数派工作が功を奏し戦争支持派の勝利に終わった。清国との戦争の流れは止められはせんよ」
「続く戦争での損失は拡大するばかり、合衆国の台頭による物価の大暴落で我が国の経済は火の車。そこで此度の清国での事件だ。強硬派のパーマストン氏はこれを機に再び義なき戦争を起こして多額の戦後賠償と阿片貿易の拡大でひと儲けしようという肚だろうね。ついこの間までクリミアでやり合ってた露帝も何の利害もない合衆国もこの戦争に乗ろうっていうんだから、まったく業の深いものだ」
「ま、戦争するんは別としまして、清国に自由貿易を迫るんは時代の流れとして正当ではあります。東方貿易を独占しとりました東インド会社も破綻寸前。何のコネもない我々のような者が貿易を始めようとしましても、
「耳の痛い話ではあるが、東方貿易で第一に利益を得ているのはこの大英帝国だということをお忘れなきよう。財政難に陥っている我が国が東方での権益を失うことになれば国家の存亡にもかかわるぞ」
「ですが、これ以上騎士道精神に反して
「リチャード、少々言い過ぎだよ。だが、君の論も一理ある。我が国の今の状況はパーマストン子爵をはじめとした東方貿易に利権を持つ一部の貴族や上流階級が主導する東方政策の失敗と度重なる戦火によるものだからね。彼らの横暴のせいで騎士道精神を重んじる我々英国紳士が血に飢えた焼け太りのジョン・ブルに例えられるというのは不愉快極まりない」
熱弁をふるうリチャード卿に賛同される方、異論を唱えられる方がいる中で、エドガー卿はいつもと変わらない緩い笑顔で身振り手振りを交えながら、それでも英国紳士らしい確かな意志を示してこの場を取り持たれる。
「リチャード卿、たとえ義が君にあろうとも、言葉だけでは何も変えられないぞ。この状況で君は何をする? 勇気ある者に勝利の女神は微笑むだろう」
そして、静かに議論を見守っていたヴィクター様がリチャード卿に鋭い視線を送り、問いかけられる。
重い沈黙に包まれる中、ヴィクター様の視線に射貫かれてたじろぐリチャード卿は目を伏せ、しばらく逡巡された後、顔を上げてまっすぐに視線を返される。
「……わかりました、閣下。こうなりましては、私自らが直接清国に赴き交渉に介入します」
「リチャード卿……! 本気かね!?」
「ははは……! いいね、リチャード。それでこそだ!」
決意のこもったリチャード卿の言葉にざわめきが広がり、エドガー卿が高笑いを上げる。
「失礼いたします。立場をわきまえぬ発言を、よろしいでしょうか?」
「ああ、珍しいこともあるものだ。なんだね? ルーシー」
「ありがとうございます。閣下」
戸惑い、緊張感が取り巻く中、不意に沸き起こる胸騒ぎに突き動かされるように一歩進み出てヴィクター様に許可をいただき一礼すると、この場で初めて発言する私に好奇の目が集まり。しんと静まり返る。
「リチャード卿の奥様は目がご不自由でいらっしゃいます。ですので、もしリチャード卿が清国に渡られるのであれば、奥様をお連れになることはもちろんですが、こちらにお一人で残されることも大変ご心配に存じます」
言い終えた後、もう一度一礼して静かに息を吐くと、リチャード卿の肩の力が抜けて場の空気が少し緩む。
「ルーシーさん、妻へのお気遣いに感謝します。ですが……」
「その役目、私に負わせてもらうよ」
少し潤んだ瞳で私に目を向けられるリチャード卿の言葉を遮るように、エドガー卿が口を挟まれる。
「頭の固い君が交渉に介入してはまとまる話もまとまらなくなるからね。そういう仕事は大陸の貴族とも親交の深い私の領分だよ」
「エドガー…… 君という奴は……」
「というわけで、あの辣腕で強硬派のパーマストン氏とやり合う厄介な仕事は君に任せるから、そこのところはよろしく。君は規律にうるさくおせっかいで煙たがられてはいるが、保守派の重鎮からも若く力をもたない貴族からも幅広く信頼が厚い。彼らに頼れば強硬派に圧力をかけられるだけの勢力は築けるだろう」
「うぐっ…… 一言多いっ! がっ、感謝する! エドガー卿!」
「決まりだね。ルーシーさん、私が清国に旅立つあいだ、ブリジットと娘たちを任せたよ」
「本当に、よろしいのですか? エドガー卿」
「ええ、もちろん。ご存知の通り、これが英国貴族のありようですから」
「……かしこまりました。エドワーズ家にはそのように取り計らっていただきます」
「どちらも厄介な仕事になることは確実ですなぁ ま、お二人とも英国の未来と
「リチャード卿、エドガー卿、君たちの意志と勇気に最大限の敬意を表し、グレンタレット辺境伯の名において出来得る限りの力を貸そう。賛同者は拍手を!」
ヴィクター様のよく通る威厳に満ちた声が響き渡るとともに、わぁっと拍手と歓声が沸き起こる。
胸騒ぎ。そして、予感。
私の知っている歴史が、少しずつ変わろうとしている。
それが良いことなのか悪いことなのか、まだわからない。
いまはただ、ヴィクター様やこの場にいる皆様とともに、志高く高潔な二人の騎士に拍手を送るだけだ。
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