第24話 秘めるべき想い
拍手と歓声が鳴り止まぬ中で舞踏会の閉幕の辞を述べられたフィル様とアシュベリー夫妻が舞台を降りられると、その途端たちまちのうちに人だかりに飲まれていく、そのどさくさに紛れて誰にも捕まらないようヴィクター様は急ぎ足で私の手を引いて劇場の裏手に止めていた馬車に飛び乗りホテルに向かった。いつもの客室に戻ると、安堵のため息を吐かれたヴィクター様が穏やかな笑顔で私を側に抱き寄せる。
「疲れてはいないか?」
「はい、このくらいで疲れるような育ちではございませんので」
「ははは、それなら、もう少し付き合ってもらうよ。ルーシー嬢」
「ヴィクター様、なにを……?」
そう仰ると私の手を取り、背中に腕を回され、しっかりと抱き寄せ、そのまま気まぐれに足を運んで私を気ままにリードされる。
「舞踏会では君を独り占めにするつもりだったのだがな、まんまとあのずる賢いフィルにしてやられたよ」
それは二人の呼吸と鼓動が溶け合うささやかな旋律に乗せて舞う、足並みの揃わない不埒なワルツ。
煌めくシャンデリアの下、ヴィクター様のたくましい腕に抱かれ、密着させた胸のぬくもりと息遣いと鼓動を感じながら身体がふわりと宙を舞い、二人きりのスイートルームの景色が夢のように流れる。
このままでは、いけない。
足を止めようと思ってもヴィクター様に抱きしめられた身体が、心が、いうことをきかない。
このままずっと、ヴィクター様に抱かれていたい。ヴィクター様と一緒にいたい。
抑えきれない想いとヴィクター様の巧みなリードに支配されて、まるで操り人形にでもなったように不埒なワルツを踊り続ける。
ヴィクター様のお気持ちに応えて二人が結ばれることになっても、きっと社交界には受け入れてもらえるだろう。ブリジットやエドガー卿もそのために裏で手を回してくれている。
それでも、この想いは叶えられない。
ヴィクター様の今後を考えればそれは当然のこと。この時代に辺境伯と称されるほどのお方が平民と結ばれることにいかに困難が伴うか、それに、多くの貴族の子女をを望まぬ結婚へと導いた私がヴィクター様と結ばれることを望んで良いはずがない。
「ヴィクター様、そろそろ……」
「ああ…… すまない。夢中になりすぎてしまったようだ」
ゆっくりと部屋の中央で足を止めたヴィクター様が、そのまま私を抱きしめて琥珀の瞳に私を映す。
「ルーシー、私は君を―― んんっ!?」
「ちゅっ……」
それ以上は、ダメです。ヴィクター様。
失礼ではあるけれど、抱きしめられた私にできる唯一の方法でヴィクター様のお口を塞ぐ。
「はぁ…… ヴィクター様のお気持ちは通じております。ですが、そのお言葉を口にされてしまっては、もう、二度と、お側に居ることができなくなって、しまいます……」
「だが……」
少しづつ悲しげに曇っていくヴィクター様の表情に、胸に熱いものこみ上げ、まぶたから溢れてくる。
「ダメです。どうか、そのお気持ちは、胸の内に…… おしまい、下さい…… 私と、触れ合うのは…… 抑えがたい、情欲を、鎮めるため…… ただそれだけでなくては、なりません……」
「そうか…… ならば、そうさせてもらう」
ヴィクター様は静かに溜息を吐き、ゆっくりとまばたきをされると、いつも通りの優しくちょっと気難しそうなお顔に戻っていた。
「……ありがとうございます。……失礼いたしました。ご主人様に涙を見せるなんて、侍女失格ですね」
「いや、君は間違いなく最高の侍女だ。ルーシー」
「ヴィクター様……」
涙を拭うまぶたへの優しいキスの後、激しいキスで乾いた唇を奪われる。そして、ヴィクター様は満足気に微笑み、私を抱き上げて寝室へと向かわれ、私の身体をそっとベッドの上に下ろす。
「まだ、お仕事が残っております……」
そうだ、ヴィクター様にお着替えを済ませていただいて、身体をお清めして、お休みになられた後は明日の準備を……
「今の君の仕事は私を満足させることだろう?」
穏やかに耳に響く低音の声と、子供を寝かしつけるように頭を優しく撫でる大きな手が、まるで心までとろけさせるように心地よく、ささやかな罪悪感に苛まれながら柔らかなベッドに身を預ける。
「……仰せのとおりに」
朝になって目を覚ますと、カーテンを通す薄明かりの中でヴィクター様は子供のように私の胸に頬を寄せて穏やかに寝息を立てられている。
「おはようございます」
ヴィクター様の赤みの強い金色の髪に手ぐしを通すように優しく頭を撫で、起こさないように囁く。歳の差も身分の差も意味をなさないわずかな時間がとても愛おしく感じるのは、きっと私の胸で眠る随分と大きな男の子のせいだ。
そうしてしばらく穏やかな時間をすごしていると、男の子はもぞもぞと頭を動かし、ギュッと私を抱きしめてくる。こういうところばかりはフィル様と一緒だ。
「おはようございます。ヴィクター様」
「んん…… おはよう。ルーシー」
目を覚まされても私を強く抱きしめたまま離そうとされず、もぞもぞと私の身体の感触を楽しまれる。
「……もう朝ですよ。ご自重なさって下さい」
「今でも十分に自重しているつもりだが?」
「存じ上げたうえで申しております」
「ははは、これは手厳しい」
それを諌めると、私の顔を見て悪戯っぽく笑われる。
「こうしていると、永遠の朝を望んでしまいそうだ……」
「ダメです。起きてくださいませ」
私も、気持ちは同じです。
「ルーシー、目覚めのキスをもらえるかな?」
「畏まりました」
ヴィクター様の瞳を見つめ、目を閉じ、乾いた唇を湿らせてその唇に軽く触れる。このまま抱きしめられて、全てを奪われてしまいたい。
でも、ヴィクター様は私が意思を示さない限り最後の一線は超えられないだろう。高鳴る鼓動と溢れ出してしまいそうな気持ちを抑えながらゆっくりと唇を離すと、二人の朝の時間が動き始める。
今日のご公務はお休みで、定例となっている午後からのお茶会の準備のため、軽い朝食の後馬車を出して二人で朝市へ買い出しに出かける。最初の頃は賑やかに人でごった返す朝市に戸惑われていたヴィクター様も、今ではすっかりその様子にも慣れて二人で市に並ぶ色々な物を見て回るのを楽しまれ、遠慮する私から奪い取るように自ら荷物持ちを買って出られている。
朝市での買い物が済んだ後は精肉店でお肉とヴィクター様の好物であるハギスの材料を購入し、その後はサラ奥様行きつけのお菓子屋さんで焼き菓子などを大量に調達する。
そうしてホテルに戻りお茶会に供する食事を作っている間、ヴィクター様はいつものようにのんびりとくつろいで買い集めた新聞に目を通され、そのうちに読むものも無くなられて「何か手伝えることはないか?」とキッチンに立つ私にお尋ねに来られる。
正直に言えば大人しくしていていただきたいものだけど、そういう訳にもいかず食器出しや配膳などをお手伝いしていただくと、キッチンとお部屋を行ったり来たりしながら私にちょっかいを出してこられたり目を離した隙につまみ食いをされたり、自由気ままに過ごされる。
ヴィクター様はお話になることはないけれど、奥様が生きておられた頃もこうして過ごされていたのだろう。
それはきっと、お二人にとってとても幸せな日々だったに違いない。
今の私がそうだから。
胸が締め付けられる思いを隠し、少し楽しそうに準備をすすめるヴィクター様の背中を見つめる。
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