第21話 宴の始まり
ブリジットに手伝ってもらい着替えと化粧を終えてロビーへ降りると、立ち話をされていたお二人が目を見合わせて小さく感嘆の声を上げられる。
「お待たせいたしました」
気にしないようにドレスの裾を持ち上げ、片足を引いてお辞儀をすると、ヴィクター様が私の前に進み出て片膝を付いて跪かれ、琥珀色の瞳に私の姿を映して手を差し伸べられる。
「本当に美しい……! 今宵、貴女をエスコートできることを光栄に存じます。ルーシー・ミラー嬢」
いい加減になさってください。ヴィクター様。
「……こちらこそ、よろしくお願いいたします。ヴィクター・クロムウェル閣下」
差し出されたヴィクター様の手を取ると、手の甲にキスをされ、唇の触れた部分から全身に電流が走り、不意に胸が高鳴ってしまう。
早く立ち上がっていただくように抗議の意味も込めて、その手をぎゅっと握りしめて力いっぱい引き上げると、ヴィクター様は愉快そうに笑い、もう一度手の甲にキスをしてゆっくりと立ち上がられる。
「やはり、よくお似合いだね。ルーシーさん」
ドレスのことを言っておられるのか、私たち二人のことを言っておられるのか、このにやにや笑いはきっと両方の意味だろう。
「……ありがとうございます。エドガー卿」
「あら? 私にも何かお言葉があるのではなくて?」
「ははは、もちろん、今夜の君もとびきり綺麗だよ。ブリジット嬢」
「まぁ、お調子のよろしいことで。今日はルーシーに免じて許してさしあげますわ」
エドガー卿は不機嫌な素振りでそっぽを向くブリジットの頬にキスし、手を取ってアプローチに停めてあるアシュベリー家の紋章の付いた馬車の方に目をやる。
「ご両人もこちらへ。馬車を待たせておりますので」
立ち並ぶガス灯の灯りと軒を連ねる建物の窓から漏れる光が煌めき、行き交う人々の喧騒で華やかに賑わう帝都の大通りを馬車で進むこと十分あまり。滞在先のホテルからさほど離れていない劇場やホテルやパブなど様々な商業施設が集まる区画の中ほどにある一軒の劇場の前に馬車が停められる。
「さ、着きましたよ。丁度良い頃合いのようですね」
劇場のエントランスから大通りまで伸びた赤いカーペットの上を通る人はもう疎らになっていて、開け放たれた大きな扉からは、まばゆい光と豪華に着飾った参加者たちのざわめきが溢れている。
ヴィクター様の手を取ってカーペットに降り、先に馬車を降りたアシュベリー夫妻に続いて劇場の扉をくぐる。
「アシュベリー伯爵ご夫妻と辺境伯ヴィクター・クロムウェル閣下のご来場です!」
受付係の声がホールに響き、貴賓席へ向かってホールの中央を歩く私達に参加者全員の視線が集まる。
まずは、にこやかに愛想を振り撒きながら先導するアシュベリー夫妻。
続いて、上質なツィードのコートに身を包み威風堂々と歩くひときわ長身のヴィクター様と、ひと目で特別な衣装だとわかる純白のドレスを着た私。
貴賓席へつくと、舞台の上では楽団が音合わせのため銘々の楽器を鳴らし、参加者たちのざわめきも最高潮に達し、舞台上に目を向けると、いつの間にか現れた燕尾服にシルクハットを被った紳士が背を向けて立っている。
紳士がふわりと片手を上げると、楽器の音がピタリと止む。
そして、参加者の方へ振り返り、ライムライトの光を受けながら両腕を広げ顔を上げる。
「
華やかな少年のアルトの声が響き渡り、ホールに静寂が訪れると、ピエロのメイクをしたその少年が満面の笑みを浮かべ、帽子を取ってうやうやしく道化じみたお辞儀をする。
「
その瞬間、ホールに大きな歓声と拍手が沸き起こる。
「温かい拍手とご声援をありがとうございます。今宵の宴は日々の糧を得るために懸命に生きる方々への支援と救済を目的に、私とアシュベリー伯爵が共同で企画しました。贅と趣向を凝らした宴ではありますが、皆様から頂いた参加費は運営経費と私へのわずかばかりのお小遣いを差し引いた利益の全額が教会に寄付され、孤児院の運営や毎朝の炊き出しの費用に当てられることになりますので、気兼ねされることなく存分にお楽しみいただければ幸いです。それでは、主催者であるアシュベリー伯爵からご挨拶を」
フィル様の紹介を受け、ブリジットの手を取って舞台に上がったエドガー卿が芝居がかった動作でポケットから小さな銅貨を取り出して参加者に掲げて見せ、わざとらしく不満そうな素振りを見せるフィル様に「ご苦労様」と渡されると参加者の中から小さな笑いが起こる。
「あー、こほん。皆様、我がアシュベリー伯爵家主催の舞踏会へお集まりいただき、誠にありがとうございます。アシュベリー伯爵エドガー・アシュベリーと妻のブリジットです」
舞台に上がられたエドガー卿とブリジットが揃ってお辞儀をすると再び拍手が沸き起こり、エドガー卿はホールを見渡してにこりと笑う。
「淑女の皆様におかれましては、ご機嫌麗しゅうございます。この場に集うは容姿様々なれど、皆一様に騎士道精神を胸に秘めた連合王国が誇る紳士達であります。例えダンスのお相手の見た目や家柄や懐具合がお気に召さずとも、悪いところには片目を瞑り、暫しの時間を我慢して笑顔でお付き合いいただければとお願い申し上げます。そしてもし、気になるお相手がいらっしゃるならば、受付でお渡ししたカードにお名前をおしたためいただき、こっそりと妻にお渡しくださいましたら、きっと幸福なひとときが訪れることでしょう」
女性陣の小さな拍手の後、エドガー卿は背筋を正し、にやけ顔を引き締める。
「紳士諸君におかれては、我が志に賛同のうえ、少々お高い参加費を奮発してもらい感謝しています。華やかな宴の場ではありますが、伝統と格式ある連合王国の社交界であることをお忘れなきよう、紳士として襟を正してお楽しみください。もし、目に余る振る舞いをした者には我が盟友であるサーストン子爵からありがたいお言葉を頂戴することになりますので、羽目を外したいときは覚悟するようにお願い申し上げます」
そう言い終わってにやにや笑うエドガー卿から視線を向けられたサーストン子爵は鋭い視線で睨み返し、周囲に聞こえるように「説教するならまずは貴様からだな」と溜息を吐くと周囲から笑いが漏れる。
「そして、今日はなんと、特別な招待客として噂のカップルであるグレンタレット辺境伯ヴィクター・クロムウェル閣下と、エドワーズ家の侍女でマダム・サラの専属モデルであるルーシー・ミラー嬢のにご参加いただいています」
不本意な紹介を受け、参加者に向かってヴィクター様と揃ってお辞儀をすると、女性陣の黄色い歓声がホールに響く。
「では、長々とお話するのも難なので、私からのご挨拶は以上にしておきましょう。どうぞ今宵の宴をお楽しみください」
暖かな拍手に包まれる中、エドガー卿はフィル様に「後はお任せするよ」と囁き、ブリジットの手をとって舞台を降りられる。
「ちなみにですが、クロムウェル閣下がお召しのコートの一揃えは閣下のために我が母サラ・エドワーズがデザインしたもので、グレンタレット領で織られた上質のツィード生地で仕立てられています。そして、僕の侍女であるルーシーのドレスはブリジット・アシュベリー婦人のデビュタントの衣装としてサラが特別にデザインしたもので、サラのファッションがこの社交界で認められるきっかけとなった記念すべきドレスです。どちらも一見の価値のある逸品ですので、お目に留めていただければ幸いです。さて、本日の曲目は定番のものから大陸で流行している最新曲まで取り入れていますので、その点もお楽しみいただけるかと思います。お配りした曲目リストに目を通してみると…… あれ? ワルツが多いような気がしますが、きっと気の所為でしょう。最初の曲はカドリールです。顔馴染みの方も初対面の方も、紳士の皆様の方からお誘い合って組を作ってくださいね。それでは、舞踏会の始まりです!」
フィル様が勢い良く右手を掲げると、楽団のファンファーレが鳴り響き、ざわめきとともに参加者たちが一斉に動き始める。
「では、私達も行こうか」
差し伸べられるヴィクター様の手をとって揃ってフロアの中央へ進み出て、同じく中央に出てこられたアシュベリー夫妻と向き合ってお辞儀をする。
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