第22話 リチャード・サーストンからの依頼

 カドリールの演奏が終わってしばらくの歓談の時間の後、司会を務めるフィル様が舞台に上がり、次の曲目を案内されると、会場がわっと歓声に包まれる。大陸で大流行しているヨハン・シュトラウス2世のヴェニーズワルツ『皇帝円舞曲』だ。

 ヴィクター様はそれを聞くなり私の手を取って黙ったまま視線を合わせ、私の方も小さくお辞儀を返してそれに応える。二人手を取りあってフロアの中央に進み出ると、静まり返る中でその場の全員の注目を集める。


「ははは、不満そうだな。ルーシー」

「ヴィクター様のお誘いを受けて不満に思うはずがございません。 ……ですが、お互いに立場がございますので、少々ご自重いただければありがたく存じます」


 ヴィクター様はあたりを見回して愉快そうに笑い、非難の視線を送る私の瞳をのぞき込まれる。お人の悪いことに当然私の心中を見通されたうえで仰っているのだろう。


 演奏がはじまり、ヴィクター様の遠慮のないリードに身を任せ、優雅に華やかに加速していく旋律にステップを乗せてヴェニーズワルツを舞うと、頭上に輝くシャンデリアが回り、きらびやかな衣装を身にまとった人々で賑わうフロアの景色が流れる。

 そんな中で、フィル様は壁際で待ちぼうけのご令嬢ににこやかに話掛けられ、エドガー卿はそわそわと機会を伺う紳士の肩を叩き、ブリジットは参加者の一人ひとりにご挨拶して周っている。演奏が終わると大きな拍手が沸き起こり、活気に満ちたフロアは一層の熱気に包まれていく。


 ヴェニーズワルツを踊り終えて私を抱きかかえようとするヴィクター様から逃がれるようにフロアを後にして、ゆったりとしたメヌエットを聞きながら呼吸を整えていると、挨拶回りを終えたブリジットが上機嫌に声を掛けてきて「こちらをどうぞ」とヴィクター様にカードの束を渡される。


「うふふ、クロムウェル閣下は相変わらずの大人気でいらっしゃいますわ。カードの中に気になるご令嬢がいらっしゃいましたら、どうぞ誘ってあげてくださいませ。どんな娘かはルーシーに聞けばわかりますので」

「ああ、そうするよ。わざわざ有り難う。アシュベリー婦人」

「いいえ、主催者として当然のことですので。それでは、よろしくお願いいたします」


 返事を待たずにふわりとお辞儀をして去っていくブリジットを見送った後、カードの束からヴィクター様に釣り合うご令嬢を数人選んでフロアに居るその人を探し出してヴィクター様にお教えしていると、サーストン子爵がご挨拶に来られ、ヴィクター様と少しお話をされる。


「――閣下、ルーシー嬢をお誘いしても?」

「ああ、構わないよ。では、私も招待客としての勤めを果たしてくるとしよう。我が姫君の護衛は任せた。リチャード卿」

「ははは、お任せください」


 笑いながら「行ってくるよ」と背中で手を振るヴィクター様が去っていくと、サーストン子爵がお辞儀をして手を伸べられる。


「ルーシー嬢。このリチャード・サーストンに束の間のお時間を共にしていただけませんか?」

「はい、喜んで。リチャード卿。貴方からお誘いいただけるなんて、珍しいこともあるものですね」


 よく知った間柄とはいえ、私がこうしてドレスを着て社交界に出入りするのをよく思っておられないサーストン子爵からのお誘いは初めてだ。

 スカートの裾を持ち上げてお辞儀を返し、サーストン子爵の手を取ってフロアの空いたスペースに進み出る。


「妻以外の女性とワルツを踊る機会はあまりないので君とうまく踊れるかわからないが、お手柔らかに頼むよ」

「ふふ、私は何も心配しておりませんよ。目のご不自由な奥様を優しくリードされているところを何度も拝見しておりますので」

「そう言ってもらえれば私の方も安心だ」


 背中に手を添えられるのに合わせてサーストン子爵に身体を近づけて腰を寄せると、サーストン子爵は少し距離を取るように半歩後ろに下がられ、ワルツの演奏が始まると視線を合わせて小さく頷き、ゆっくりと歩幅を測るように最初の一歩を踏み出される。


 サーストン子爵は私の歩幅ぴったりに足を運ばれ、呼吸まで揃えるようにリードされて穏やかに流れるワルツの旋律に自然とステップが乗り身体が回る。


「遅くなってしまいましたが、エドワーズ家への数々のご配慮に感謝申し上げます」

「ああ、フィリップ君はまだ若いが、才能や人柄や経験を鑑みれば貴族としての素養は十分だからね。 ……まぁ、ご令嬢方に大人気の彼を独身のままで居させることと、あの御婦人が男爵の家督を預かっていることの危うさを考えれば、皆を納得させられる条件を達成させた上で早めに爵位を継がせるのが良いだろうという判断も理由の一つだ」

「……ご理解いたします。今日は私に何かお話があるのでしょうか?」


 首を傾げて苦笑するサーストン子爵に問いかけると、小さく頷かれる。


「そうだね。クロムウェル閣下のことだ。まずは、君に感謝を」

「感謝、ですか。失礼ながら、心当たりがございませんが……」

「ああ、君と閣下の関係について詮索したり咎めたりする気はないので、予め言っておくよ。詳しくは話せないが、閣下は近く、この国の将来にとって重要な役割を担うことになられる。感謝はそのことに対してだ。自領の内政に専念されていた閣下が帝都での公務に就かれたのは、君の存在が大きいだろうからね」

「私は侍女としての務めを果たしているだけでして、不本意ながら今ここでドレスを着て閣下のエスコートを受けているのもアシュベリー夫妻のご意向によるものです」

「はは、最近は昔に比べて随分愛想が良くなったと思っていたが、そういうところは相変わらずだね。 ……そして、今度は私からのお願いだ」

「はい、お願いとは?」

「端的にいうと閣下に|イングランド≪こちら≫の有力貴族のご令嬢と縁を結ばれるように仕向けてほしい。閣下はスコットランドではいくつもの爵位を継ぐ辺境伯と呼ばれるまでのご身分であらせられるが、それ故に政敵が増えればよそ者扱いは免れないだろう。今後、閣下が憂慮なくご活動されるにはこちらの貴族と強いつながりを持たれるのが手っ取り早いということだ」

「おっしゃる通りに思います。閣下へは私からもずっとそのように働きかけているのですが、なかなかご決断なさるご様子がなくて困っております」

「……もし、必要ならば君にも私の方から良い縁談を紹介しよう。君ならばジェントリやヤンガー・サンとでも釣り合うだろうからね」

「お気遣いに感謝いたします。でも、今はまだ、私には役割が残っていますので」

「そうか。だが、結婚は早いに越したことはない。年上の妻を娶った私が言うのも難だがね。君に憧れる若者も結構いるようだ。その気になったらいつでも相談してほしい」

「はい、お気遣いありがとうございます。リチャード卿」

「こちらこそ、君と話ができてよかった。楽しいひと時をありがとう」


 お互いに一定の距離を保つように足を運び、間合いを測るように言葉を交わすうちにワルツ演奏が終わり、繋いだ手を離して改めて向かい合ってお互いにお辞儀をする。


「ひとつ。そのドレスも素敵だが、君にはエプロン姿の方がよく似合っている。 ……ああ、これは、単にそう思っただけで皮肉などではないからね」

「ふふふ、そうですね。私自身もそう思います」


 バツの悪さを取り繕うように苦笑するサーストン子爵に笑顔を返すと、「頼んだよ」と言い残して奥様の待つ席へ戻って行かれた。

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