第20話 親友

 ロビーに向かわれるヴィクター様とエドガー卿を見送り、扉を閉めて室内へ振り返ると、ブリジットは執事さんに運ばせたトランクケースの中を確認し、こちらを見て満足気に微笑む。こういうときは決まって何か良からぬことを考えているのがブリジットだ。


「やっと二人きりになれたわね。ルーシー。こうしてお話するのは何年ぶりになるかしら?」

「ブリジットがアシュベリー家に嫁がれて以来ですので、もう八年近くになります。お子様方はお元気ですか?」

「ええ、みんな元気すぎて毎日大騒ぎよ。長女は誰に似たんだか気が強くてわがまま放題で、いつも弟たちやメイドを泣かせているわ」


 ブリジットは少し嬉しそうにはにかみながら両手を広げて眉をひそめ首を傾げる。出会ったときは気が強くてわがまま放題だったご令嬢が、今ではすっかり優しく面倒見の良い母になっている。


「ふふ、きっとお母上にそっくりな素敵なレディになられますよ」

「おほほ、それは当然よ。ねぇ、ルーシー。もし暇ができたら、子どもたちの家庭教師をお願いできないかしら?」

「そう、ですね。今お約束することはできませんが、フィリップ様が爵位を継がれれば侍女の立場から身を引くことになりますので、その時はアシュベリー家にお世話になるかもしれません」

「あっそ。つれない返事は昔っから、期待しないで待っておくわ。うふふ、と、こ、ろ、で……」

「……はい、なんでしょう?」


 ブリジットが頬に片手を添え、目を細めて口角を上げる。この顔は、何か良くないことを企んでいるに違いない。


「貴女とクロムウェル閣下との関係に進展はあったのかしら?」


 やっぱり、思ったとおりだ。


「……私は閣下に依頼されてお仕えしているだけの関係で、それ以上でもそれ以下でもございません」

「ふ〜ん。本当にそうかしら? 少なくとも、閣下の方は貴女に特別な思いを抱かれているように見えるわ。貴女ならとっくに気付いているはずだけど」


 ブリジットは心を読むように、そのキラキラと煌く青い瞳に私を映す。


「閣下は…… ただ、私の侍女としての働きを買ってくださっているだけです」


 ブリジットの視線に耐えられなくなり、視線を逸らしてしまう。想定はしていたけれど、こうして聞かれて答えに窮してしまうのは、自分自身に後ろ暗いことがあるせいだ。


「ま、そういうことにしておいてあげる。で、貴女の気持ちはどうなの?」

「ブリジット。これ以上私を困らせないでくださいませ」


 私の気持ちを見透かしながらも面白がって追求をやめないブリジットにだんだん腹が立ってきて、愉快気に微笑みを浮かべる白い頬をぷにぷにと指先でつつくと、更に高笑いを見せる。


「おほほ、亡き奥様を想い孤独に耐える辺境伯と社交界に尽くして行き遅れた侍女との恋物語ロマンスがどんな結末を迎えるのか、社交界のみんなが待ち焦がれているわ。今更二人の身分の違いを咎める人なんていないわよ」


 二人の関係が醜聞スキャンダルにならないのはブリジットがこうして噂を流しているおかげだ。


「はぁ…… もう、どのように申し上げれば良いのかわかりません」

「いい加減、意地を張らず自分の気持ちに素直になりなさい。例えどんなことがあっても、私は最後まで貴女の味方だから」

「……ありがとうございます」

「当たり前じゃない。私たちは親友でしょ」


 だからこそ、この恋物語ロマンスは悲劇で終えなければならない。それはヴィクター様のためであり、エドワーズ家のためであり、私のためでもある。

 そう自分に言い聞かせながら再びハグを交わすと、ブリジットは私に頬を寄せ、後頭部を撫でてくれる。


「それじゃ、エプロンを取って服を脱ぎなさい」

「はい、少々お待ちくださいませ」


 離れ際にそう言いながらエプロンのリボンをするりと解くブリジットの言葉に従ってエプロンの肩紐を抜き、ドレスのボタンを外して床に落とす。


「へ〜、変わった下着をつけてるのね。マダムのデザインかしら?」


 ドレスとエプロンを畳んでいる間、ブリジットは興味深々の目で舐めるように、本来ならこの時代には存在しないはずのブラジャーとショーツを着けた私の姿を眺めている。


「そうですね。ドレスの下に着ける、もっと機能的な下着があれば。と私がアイデアを出してサラ奥様にデザインしていただきました」


 この時代の下着は色々と心許ないうえに、そもそもサラ奥様がデザインされるドレスには着けられない。

 未来の知識を持ち込むことは時代の流れにどんな影響が出るのかわからないのであまり良くないことと思いつつも、我慢できずにサラ奥様にお願いして作っていただいた次第だ。


「ふ〜ん。なるほど、良く出来ているわね。私の分もマダムに注文しておいてもらえるかしら?」

「畏まりました」

「……それで、閣下には気に入っていただけたの?」


 ブリジットが頬に片手を添え、目を細めて口角を上げる。


「ブリジット! ご冗談が過ぎます!」

「んふふ、はいはい」


 ブリジットは怒る私に適当に返事をしながらトランクからコルセットを取り出して背後に回り、ブラジャーの上から胸を揉んだり、お腹をつまんだり、ショーツ越しにお尻をつついたりしてからコルセットをウェストに巻いて紐を通していく。


「さーて、体型は変わっていないでしょうね」

「はい、奥様の言いつけもありますので」

「はぁ…… 私の方はもう四人も産んじゃったから、さすがに昔のままというわけにはいかないわ」

「今のブリジットも、女性らしくてお綺麗ですよ」

「それは、嫌味かしら?」


 むすっと声を落としたブリジットがコルセットを締める手に力を込める。


「んっ…… そのようなことはございません」

「……これで良し。ドレスを持ってくるから少し待ってなさい」


 ブリジットは紐を結び終えて背中をぽんと叩き、トランクから純白のドレスを出して広げて見せる。


「そのドレスは……!」


 大胆な曲線で構成された、可憐で高潔な白百合を思わせる優美なドレスに身を包んだ。憎らしいほど自信に満ちた笑顔のブリジットの姿。あの日の光景が鮮やかに蘇る。


「そ。私がデビュタントの時にマダムに誂えて貰ったドレスよ。あのときは貴女に着せ付けてもらったわね。覚えてる?」

「はい、もちろんです。あの日のことを忘れるはずがございません。 ……でも、そのような大切なものを、よろしいのですか?」

「私にはもう着られないから。それに、このドレスを今度は貴女に着せ付けられるんだから、こんなに嬉しいことはないわ」


 愛おしそうに、懐かしそうに、そのドレスを抱きしめながらブリジットはそう言って、「はい、どうぞ」と素っ気なく私に差し出してくれた。

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