第二章 めぐる思惑

第15話 春の訪れ

 フィル様がオックスフォードに入学されて二年が経ち、庭の薔薇が満開に咲き誇る頃、十六歳になられたフィル様は天才ギフテッドの待遇を受けて早々に大学の卒業を認められ、多くの貴族たちの後押しを受けながら幾つかの条件付きではあるけれど異例の若さで男爵位を賜ることとなった。

 社交界におかれては華やかな容姿と明るく社交的で鷹揚な性格を買われて夜会や舞踏会の司会を任される機会が多くなり、今や上流階級の女性たちから絶大な人気を得るちょっとした有名人だ。

 学業を終えられてエドワーズ邸に戻られた最近は爵位の継承にかかる多額の費用を稼ぐため、お時間のある時は邸宅のブティックで家業のお手伝いをされている。はじめの頃は冷やかしのお客様が押し寄せて商売にならず、今はサラ奥様が招待した特別なお客様に対して直接おもてなしするようになって、その才能をいかんなく発揮されている。


 エドワーズ邸、壁の一面が鏡張りになっているブティックの特別展示室。デコルテの大きく開いたドレスで着飾ったご令嬢が宝飾品のキャビネットからペンダントの一つを手に取り、フィル様に見せつけるように大きな胸の谷間に乗せて甘い声で問いかけられる。


「フィリップ様ぁ、このペンダント、デザインは素敵なんですけど、私の胸の前では少々頼りないのではないかと心配で、見てくださいませんかぁ?」


 フィル様が爵位を賜る条件の一つが婚約相手を決めることで、フィル様はその条件を呑むことを非常に嫌がっておられたが、とんでもないことにサラ奥様はわざとその噂を社交界に流して上客の獲得に利用している。

 つまり、ここはお客様のご令嬢にとって若き男爵フィリップ・エドワーズ卿とのお見合いの場という訳だ。


「えーと、そうですね。お嬢様がつけられるのでしたら、華やかなお顔と豊かなバストに見合う、もう一回りか大きな石の方が見栄えがしますね。それに、お肌の血色がよろしいので、赤い石がよくお似合いになると思います。ガーネットか、少しお高くなりますが、ルビーのような…… 試されますか?」

「はい! もちろんですぅ」


 サラ奥様が招待されるのはなぜか行き遅れ寸前のかなり際どいご令嬢たちばかりで、容姿端麗で前途有望なこの美少年を誘惑しようと、なりふり構わずあの手この手を駆使してくる。

 こちらのご令嬢も例に違わず、ご年配の侍女さんが手に汗握り心配そうに見つめる中、フィル様に大きな胸を見せつけ猫撫で声で擦り寄っている。

 このようなことをされれば、女性とほとんど触れ合う機会のない一般的な貴族のご令息なら簡単に籠絡されてしまうかも知れないが、サラ奥様の策略どおり女性への免疫を身に着けたフィル様は動じることなく一定の距離を保って接客をこなされる。


「ルーシー、持ってきてくれる?」

「畏まりました」


 鍵付きのキャビネットからペンダントを二つ取り出し、手のひらに乗せてご令嬢にお見せすると、溜息とともに大きく開いた青い瞳に赤い石を映しだし、キラキラと煌きだす。


「んー、こっちかな。少し、失礼しますね」


 フィル様はご令嬢の顔とペンダントを交互に見て、大きなルビーの付いたペンダントを手に取ってご令嬢の首の後に手を回してチェーンを留め、うっとりと心ここに在らずのご令嬢の瞳を覗き込む。


「……うん、よくお似合いです。どうですか?」

「えっ…… まぁ! 本当、素敵!」


 はっと気づいたご令嬢は指し示される鏡を見て大げさに声を上げられる。


「このルビーは東方で産出された高品質な源石を熟練の職人が磨き上げた最高級品で、それほど大きくはありませんが、台となる銀の装飾がピジョンブラッドの深い赤の存在感を引き立てるようにデザインされています」

「気に入ったわ! これ、いただけるかしら?」

「ありがとうございます。お値段は、十五ポンド、と言いたいところですが、お父上にはお世話になっているので、十二ポンドにしておきますね」


 フィル様の言葉にご令嬢はぴょんと飛び跳ね、侍女さんの顔がみるみる青ざめていく。


「まぁ! ありがとうございますぅ。やっぱり、フィリップ様はお優しくていらっしゃいますわ」

「お、お嬢様!」

「うるさいわね。パパには私からお願いするから、静かにしていて頂戴。 ……ごめんなさいね。うちの侍女が失礼をいたしまして、お気を悪くなさらないでくださいませ」

「いえ、大きなお買い物ですので、よくご相談ください。今日はお持ち帰りいただいて、折り合わなければ後日お代を受け取りにお伺いした時にお返しいただければ結構ですよ」

「おほほ、お気遣いには感謝いたしますが、見栄っ張りのお父様がそのようなみっともない真似をするはずがありませんわ」

「あはは、それは頼もしいです。それでは、こちらにサインをお願いします。お父上にもお手紙を書いておきますので、少しお待ち下さいね」


 書類にサインを終え、上機嫌で鏡を見るご令嬢と浮かない顔でご令嬢を見る侍女さんを横目に、フィル様は執務机の引き出しを開けてレターセットを取り出し、さらさらと便箋にペンを走らせる。その間に蝋燭に火をつけて封蝋を削って匙に乗せて炙り、それが溶け切るうちに手紙を書き上げられる。

「はい」と手渡された便箋を折り畳んで封筒に入れて封を捺し、フィル様にお返しする。


「お待たせしました。こちらをお父上にお渡しください」


 侍女さんに手紙を手渡しながら、ご令嬢に気づかれないよう「侍女さんを責めないよう書いていますので」と小さく耳打ちされると、侍女さんは安堵したように溜め息をつく。


 その後、お二人が馬車に乗り込んで門を抜けられるまで見送り、ほっと一息ついているうちに次のお客様の馬車が到着し、エントランスに停められた馬車から降りられるご令嬢に手を差し伸べてエスコートされる。

 ボリュームのあるブロンドの巻き髪に青い瞳、ピンク色のドレスはたくさんのリボンとレースとコサージュで装飾され、幾重にも重なるフリルの付いたスカートをクリノリンでたっぷり膨らませた姿は遠目にメルヘンの世界のお姫様を連想させるが、厚塗りのお化粧にごまかせない年齢を感じさせる。恐らく私より年上だろう。

 続いて降りられるご令嬢の母親も娘に負けず劣らずの豪奢なメルヘンファッションで、手を差し伸べられるフィル様の笑顔が微かに引きつる。


「いらっしゃいませ。あはは、おとぎの国からいらっしゃったのかと思いました」

「まぁ、フィリップ様ったら」

「こんにちは、ラングトン子爵婦人。そしてお姫様。フィリップ・エドワーズです」

「こんにちは、未来のエドワーズ男爵様。今日はお招きいただき光栄にございます」

「ラングトン子爵トーマス・フォレットの長女、メアリー・フォレットです。以後よろしくお願いいたします。私の王子様」


 今度のお客様も一筋縄ではいかなさそうだ。


「どうぞこちらへ、特別展示室へご案内します」


 メアリー嬢は展示室へご案内しているときからずっとフィル様にぴったりと寄り添い、ご希望を伺いドレスを選んでいるフィル様を潤んだ瞳でじっと見つめられている。


「フィリップ様……」

「はい、なんでしょうか?」

「いいえ、素敵なお名前だと思いまして……」

「あはは、ありがとうございます。このドレスはいかがですか? 清楚で上品で、きっとよくお似合いになられますよ」


 メアリー嬢の言葉を軽く躱し、落ち着いた緑を基調としたシンプルで上品なデザインのドレスを選び、目の前に広げられる。


「ちょっと地味じゃないかしら? メアリーにはもっと私の娘にふさわしい豪華なドレスが似合うと思うのだけれど」

「えーと…… お嬢様のご容姿でしたら、ドレスを控えめにした方が紳士の目からは可憐に映るかと思います」

「ママ! フィリップ様が選んでくださったのよ。絶対間違いありませんわ。でも、確かに、もうちょっと可愛くて華やかな方が良いかも……」

「んー、そうですね。もう少しお嬢様のイメージに合うように、コサージュとレースを足してアクセサリーを合わせてみましょうか」


 フィル様はそう言いながらアクセサリーを展示しているキャビネットの前にメルヘン母娘を案内すると、二人共おもちゃを前にした子供のようにはしゃぎながら次から次へとアクセサリーを選ばれる。


「それじゃ、ルーシー。試着室にご案内して、着付けをお願い」

「畏まりました。メアリーお嬢様、こちらへどうぞ」


 試着室へご案内し、着て来られたドレスを脱ぐのをお手伝いし、巨大なクリノリンを外して「失礼します」とコルセットを一回り分きつく締め直すと小さな呻き声が上がる。


「背筋を伸ばして、細く浅く息をなさると少し楽になりますよ」

「うく…… もう少し手加減できないの?」

「ドレスのサイズに合わせなければなりませんので、ご容赦ください。我慢できないようでしたらドレスのウェストを調整することもできますが、いかがなさいますか?」

「……我慢します」


 ドレスに合わせた小さなクリノリンをお着けすると少し不満げな表情を見せられるが、気にすることなくドレスを着ていただき、背中の紐を調整しながら締め上げる。

 スカートを整え、アクセサリーをつけて試着室を出ると、満面の笑みのフィル様と、まるで別人を見るように驚くご婦人に出迎えられる。


「あぁ! やっぱり、よくお似合いです」

「そ、そうですか?」

「はい、僕の目に狂いはありません」

「ママは、どう?」

「よく似合ってるわ。別人かと思っちゃった」


 フィル様の言葉を受け、メアリー嬢は真剣な表情で体勢を変えながら鏡を見てご自身の姿を確認され、ご婦人は呆気に取られた表情を見せられる。その姿にはメルヘンの国のお姫様ではなく、子爵令嬢と呼ぶにふさわしい気品が垣間見える。


「メアリーお嬢様、僕とワルツを踊っていただけませんか?」

「まぁ、フィリップ様ったら……」


 フィル様は跪いて夢見心地のメアリー嬢の手を取り、ゆっくりとステップを踏んでリードしながら展示室を一周する。


「気に入っていただけましたか?」

「はいっ! もちろんです! ねぇ、ママ?」

「えっ、ええ、そうね。おいくらになるかしら?」

「ルーシー、お伝えして」

「ドレスとアクセサリー三点で占めてこれだけになります」


 フィル様の指示を受けて伝票に品目と値段、合計金額を記入し、お二人がダンスを楽しまれている様子を眺めているご婦人にお渡しすると、メルヘンの国から現実の世界に引き戻されたようにうっとりとした顔が一瞬で真顔に戻る。


「……大きな額ですので割賦にいたしましょうか?」

「はぁ…… そうしてくださると助かるわ」

「お買上げありがとうございます」


 そうして、足取り軽いメアリー嬢と肩を落とすご婦人が馬車に乗りお帰りになるのを見送り、展示室に戻って後片付けを済ます。


「あぁ、やっと終わった……」

「お疲れ様です。今日もよく働かれましたね。一日の売上記録更新ですよ」

「シーズンも近づいてるからね。今のうちにお金を稼がなくちゃいけないとはいえ、女の子を騙してるみたいで心が痛むよ」

「ふふ、楽しそうにお仕事なさってるではありませんか」

「うーん、楽しいことは楽しいんだけどね」

「お気に召されたご令嬢はいらっしゃいましたか?」

「今、目の前に……」


 フィル様が私の手を引き、腰に腕を回して抱き寄せ、ブルー・グレーの瞳に私の瞳を写す。


「ご主人様」


 唇を寄せるフィル様の額にこつんと額を当てると、「あいた」と小さく声を上げて愛想笑いを浮かべながら私を開放される。


「あー、ごめんごめん。謝るからそんなに怒らないで」

「怒ってなどおりません。呆れているのです」

「こんなにルーシーのこと想ってるのに……」


 少し成長されたフィル様は、少しダメな紳士になられていた。それでも、図太いほどに肝が座り、大胆で計算高いこの性格は、これから激動の時代を迎えるこの国の貴族にふさわしいのかもしれない。


 ――コン、コン、コン、コン


「フィリップ様、メリル子爵婦人とご令嬢のシャーロットお嬢様がお見えになられています」


 乾いたノックの音に続き、ドア越しに母の声が響く。メリル子爵家はフィル様がパブリックスクールに入られていた頃にシャーロットお嬢様の家庭教師兼侍女として仕えていた家だ。


「メリル家というとは、ルーシーに用事かな?」


 おそらくそうではあるだろうけれど、母娘でフィル様を尋ねられることには少し引っかかる。


「判断いたしかねます」

「なんだろうね。ケイトさん、お通しして」

「畏まりました」


 フィル様が母へ指示を出すと、返事の後しばらくして再びノックの音が響き、静かにドアが開かれた。

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