第9話

 騎士様の目を逃れてこそこそしながら戻った僕は、無事家に着くことが出来た。

 やりかけていた洗濯や残りの家事を済ませて、リクエストを貰っていたシチューを作った。

 中々美味しく出来たと思う。

 サラさんがくれた真っ白なエプロンが料理人の証のように思えて誇らしい。

 張り切りすぎてたくさん作ってしまったから、しばらくシチューを食べなければならなくなりそうなのが未熟なところだが、一人でも頑張って食べるから良し!


「ダーリンただいま! はああ、良い匂いね~」

「サラさん、おかえりなさい!」


 扉を勢いよく開けて部屋に入ってきたサラさんがまた飛びついてきたけれど回避した。

「中々やるわね!」と笑って、スキップをしながら部屋に着替えに行ったサラさんが戻ってくるまでに食事のセッティングを済ませた。


「ひとっ走りしたあとのご馳走。染みるわあ!」


 上品に食べているのに凄い勢いでシチューがなくなっていく。

 不思議だなあ、魔法みたいだ。


「走って帰ってきたんですか?」

「そうなの。ヒヒーンとね! ふふっ、詳しく聞きたい?」

「んー……今は遠慮しておきます」


 出会ってまだ日が浅い付き合いの中でも、こういう顔をしているときのサラさんに関わると疲れてしまうと学習している僕は笑顔で辞退した。


「そう? 聞いて損はないのになあ」


 顔にかかった髪を払うサラさんを見る。

 サラさんは「着ていて楽だから」と、しっとりとした艶のあるガウンを着ている。

 団子にしてまとめていた髪もおろしていてなんだか色っぽい。

 これが大人の色気かあ! と感心してしまった。


「なあに? ダーリンったらあたしに見惚れちゃって」

「はい。普段のキリッとしている時とはまた違う雰囲気で綺麗だなと思って」


 素直に思っていることを伝えると、サラさんが目を丸くした。


「まあ! ダーリンのそういうところ、罪作りねえ」


 そう言ってワインを飲み始める姿も格好いい。

 いいなあ、僕もワイングラスが似合う大人になりたい。


「ねえ、聞いてよ! 勇者がまた戻って来てね、それでね!」

「はいはい」


 せっかくの美女オーラが、いつものテンションで愚痴り始めたら消えてしまった。

 サラさんらしくていいけど勿体ない気もする。


「はあああ、もう嫌になるわ! 祖先ごと滅べ! って感じ!」

「それは大変でしたねー。……うん?」


 怒濤の愚痴を多少聞き流しながら聞いていたら、突然玄関の扉を荒々しく叩く音がした。


「え、何!?」


 ガンガンガンッ!! と遠慮なく叩く音が室内に響く。

 お客様……というより借金の取り立てに来た荒くれ者って感じだ。

 物凄く怖いのですが!


「あらあら。ダーリン、出てくれる? あたし、こわ~い」

「え!? あ、そうですね……はい、僕が行きます!」


 僕も怖いけれど、女性のサラさんに行かせて自分は隠れるなんてことは出来ないよね!


「では、行ってきます!」

「よろしく~」


 こんな状況なのに何故かにこにこと笑いながら手を振るサラさんに違和感を覚えつつも、玄関へと足を向けた。

 まだドンドンと扉を叩き続ける音は響いている。

 怖いなあ、もう!

 開けた途端に刺されるとかないよね!?


「はーい、どちら様ー!」


 半ばヤケクソになりながら扉を開けたら――。


「やっと出てきたな悪と……! ……シリル!?」

「……ベアトリクス様?」


 もう二度と見ることはないと思っていた姿が目の前に表れ、僕は固まった。

 ベアトリクス様の方も僕を見て固まっている。


「「…………」」


 ……ど、どうしよう?

 どうすればいいの!?

 ベアトリクス様はどうしてここに?

 二人で見つめ合ったまま、しばらく無言の時間が流れた。


 それにしても――。


 やっぱりベアトリクス様は綺麗だなあ。

 月の光を浴びた銀髪がきらきらと輝いている。


「久しぶりだな」

「そうですね」


 ぽつりと零したベアトリクス様の言葉に頷いたけれど、そんなに久しぶりでもなかったよね?

 でも……。

 もっと長い間会わなかったこともあるけれど、確かに僕も『久しぶり』だと思った。

 それだけ会いたかったってことかな。

 久しぶり、と言ったベアトリクス様も同じ気持ちを持ってくれたのかな。


「……良い天気だな」

「でも、もう夜ですよ」


 僕が黙っているから気を使ったのか、またぽつりと零したベアトリクス様の言葉に笑った。

 やっぱりベアトリクス様は社交辞令の会話が苦手らしい。


「そうだった。良い、夜だな……」

「そうですね」

「良い、夜だ……」

「はい」


 あれ、この会話ってなんだか――。


「ふふ」

「あはは」


 どうやらベアトリクス様も同じことを考えていたようだ。


「あの時みたいでしたね」

「……そうだな」


 初めてベアトリクス様が僕と話をしてくれた、あの時と同じだ。


 二人で笑ったからか、扉を開けてからの緊張感が消えた。

 自警団にいるときのような、普段の空気になった。

 ようやく僕も普通に話が出来る。


「ベアトリクス様はどういったご用件で……あ、サラさんに用事が?」

「問う」


 僕の質問を無視するようにベアトリクス様が口を開いた。

 短い言葉だが強い声だった。


「は、はい」


 逆らうことを許さないような圧を感じ、思わず背筋を伸ばした。


「ここの家主とはどういった関係だ」

「え? サラさんとですか? えーっと……」


 重罪を裁くような雰囲気だったから構えていたのに、こんな質問がくるとは予想外だ。


「肉体関係、みたいな~?」

「!!!!」


 後ろからサラさんの声が聞こえてきたと思ったら、僕の背中にくっついてしな垂れかかってきた。

 サラさんのあごが僕の肩に刺さる。

 痛いのですが!

 くっつかないで!


 身体を離そうとしている時に、目を見開いているベアトリクス様を見て気づく。

 そういえばサラさん、今何を言った!?


「!! 違いますよ!? 肉体関係だなんて、何言って……!」

「シリルのご飯であたしの血肉――肉体の健康状態を保って貰っている関係、みたいな? 略して肉体関係」

「略し方に悪意があり過ぎです!」

「肉体、関係……」

「ベアトリクス様?」


 ベアトリクス様の握りしめた拳がぷるぷると震えている。

 え、どうしました!?

 拳が開いたと思ったら、その手は腰にあった剣を抜いて――。


「シリルを惑わず魔女め!! 私の剣のサビにしてくれるっ!! 成敗!!!!」

「ええええ!?」


 剣を振り上げたベアトリクス様に仰天する。

 魔物でもない、犯罪者でもない一般人にベアトリクス様が剣を抜くなんて絶対にありえない!

 どうしちゃったんですか!?


「ちょっ……リクス様!? 何をやっているんですか!」

「あっ! マルク様!」


 ああああ天の助けだ!

 ベアトリクス様を追いかけて来たのか、門の方からマルク様が駆け寄ってきた。


「止めるなマルク! 悪を討つ! これぞ騎士の役目だ!」


 マルク様はベアトリクス様を後ろから羽交い締めにして止めようとしている。


「洒落になりませんって! 剣は置きましょう! ね!?」

「心配するな! 殺しはしない! シリルを誑かす悪女を成敗するのだ!」

「誑かしたりしていませーん。ね? ダーリン」

「貴様……! シリルから離れろお!!」


 あ、あのクールなベアトリクス様が取り乱している……!

 信じられない光景に僕は呆然と立ち尽くしてしまう。


「私の可愛いシリルが! こんな女狐に……!」

「シリルに朝起こして貰って~。シリルお手製の朝食を食べて~。手作りのお弁当を持たせてくれて~。おやつもあって~。美味しい夕食と美少年の笑顔が待っている家に帰るのが幸せでーす!」

「おのれええええええっ!!!!」


 マルク様に剣を奪われたベアトリクス様が、僕の背後にいるサラさん目がけて飛びかかってきた。

 いくらなんでもサラさんに怪我をさせるようなことはないと思うけれど、ベアトリクス様を止めなければ……!

 でも、ひ弱な僕が立派な騎士のベアトリクス様を止められるだろうか!


「サラさん、逃げて――」

「勇者ああああ!! 赤い髪の可愛い子が襲われてるわ!!!!」

「!?」


 サラさんに姿を隠すように伝えようとしたのだが、その必要なかったようだ。

 ベアトリクス様の腕は、誰かによって掴まれていた。


 僕の前で綺麗な金髪が揺れる。

 あ、彼は――。


「やっぱり来たわね、勇者様! ナイス~!」

「アリアは!?」

「勇者、様?」


 研究所の場所を教えてくれた、あの迷子の金髪美形の彼とサラさんの会話を聞いて頭が真っ白になった。

 今、勇者様って言った?

 出稼ぎに来ているって言っていたこの人……勇者様なの!!!?

 確かに信じられないくらい強かったし、美形だ。


「? 君は……」

「! ゆ、勇者様だとは知らず、失礼しました!」


 魔王だとか、困った勇者様だとか、好き勝手言ったこともすみませんでした!


『また会ったな、美少年』

「え? この声……」


 声の元を辿ると、やはり勇者様の腰にある凄そうな剣だった。


「あ。そうか、聖剣!」


 どこかで勇者様が持つ聖剣は言葉を発すると聞いたことがある。

 今まで聞こえた女の人の声は聖剣だったのか!


「アリアじゃ、ない……?」

「アリア? あ、もしかしてお嫁さんですか?」

「帰り、たいっ」


 もう何度見ただろう……。

 またまた金髪の彼――勇者様は泣き出してしまった。


「ええ、勇者のくせに泣いてるんですけど~」


 呆れたように笑うサラさんに勇者様が詰め寄る。


「転移魔法は?」

「まだまだまだまだまだまだですね」


 すると突然勇者様は物凄く笑顔になった。

 誰もが見惚れる「完璧な笑顔」だが……無言の圧が凄い!

 怖い!

 サラさんも顔をそらして見ないようにしている。

 これは絶対に目を合わせてはいけないやつです。


「もう出よう。王都」

「え!?」


 勇者様は門の方へと去って行った。

 王都を出るって言っていましたけど……。


「ルーク様! 見つけましたわ! 城にお戻りくださ……」

「先に出発するから。魔王は倒しておくから」

「ちょ……え……お待ちくださいませ! まだです! もう少々堪えてくださいませ! ジュード! ルーク様を止めてー!」


 踊り子風の露出が多い格好の綺麗な女の子が現れたと思ったら、勇者様を必死に追いかけて行った。

 ……何だったんだ?

 突っ立って見送る僕にサラさんが囁く。


「あの勇者ね、早く王都を出たいのよ。さっさと魔王を倒して故郷で待っている幼馴染みの嫁のところに帰りたいのに、出発の準備やパーティーで足止めされていてね」

「そうだったんですか……」


『勇者』ってもっと華々しいものだと思っていたけれど、好きな人のそばにいられないなんて可哀想だな。

 僕達のために魔王と戦ってくれるのに、困った勇者様だなんて思って申し訳なかった。

 勇者様、ごめんなさい。


「シリルと共に暮らす……羨ま、しい……」

「こっちも泣いてるし」

「!」


 サラさんの視線の先では、ベアトリクス様が地面に両手をついて泣いていた。


「ベアトリクス様が……泣いてる!」


 取り乱しているベアトリクス様を見た時も衝撃が走ったが、今はもっと驚いている。

 大変だ……!

 早く泣き止んで、元気になって貰わないと!

 お菓子はないけれど……!

 

「あ! サラさん、シチュー持ってきていいですか!」

「え? いいけど?」


 慌てて部屋に戻り、シチューを入れたお皿を持って出た。

 まだ地面に座り込んでいるベアトリクス様の前に膝をつく。


「ベアトリクス様。泣かないでください。元気な――いつもの強くて気高くて美しいベアトリクス様が僕は大好きです!!」


 やっぱり僕にはこんなことしか出来ないけれど……。


「これでも食べて元気を出してください」

「…………」


 僕が差し出したシチューをジーっと見ていたベアトリクス様だったが、少しすると受け取り、スプーンを口に運んでくれた。


「……美味しい」


 ベアトリクス様がぽつりと呟く。


「そうだ。君はあの時も私のことが好きだと言ってくれた」

「! そ、それは……」


 あの時というのは僕がうっかり告白してしまった時の事だろう。

 確かにあの時も、ベアトリクス様に元気になって欲しくて勢いで想いを告げてしまった。


「あの時の私は、自分に失望していた。勇者に全く歯が立たない、情けない自分が嫌いだった。だからそんな自分を君に好きだと言って貰うのは忍びなく――」


 ベアトリクス様の目から涙がぽろぽろと零れる。

 ああ、泣かないで……!


「情けなくなんてないです! 僕を助けてくれたのは勇者様じゃない、ベアトリクス様です! 世界一綺麗で格好良くて強くて、大好きです!!」


 勇者様は凄いけれど、僕にとっての一番はベアトリクス様なんだ。

 失望なんてしないで欲しい。

 いつもみたいに輝いていて欲しい。


「シリル……」


 そっとシチューのお皿を置いたベアトリクス様が、飛びつくようにして僕を抱きしめた。


「ベアトリクス様!?」

「シリル、君の私に対する好意はまだ継続中だろうか」

「え?」

「私も君を慕っている」


 ベアトリクス様が僕を慕っている?

 どういう意味だ?

 慕うというのは……弟的な意味で?

 もしくは懐いてくる犬が可愛い、という感じ?


「シリル?」


 身体を離したベアトリクス様が顔を覗き込んでくるが、僕は何も言えない。


「その、君を……慕っている」

「…………」

「君を……慕って……」


 ベアトリクス様の顔がどんどん赤くなっていくのを見ながら、僕は頭を必死に動かすけれど、やっぱりどういう意味か分からない。


「君を慕って……。だから、君が好きで……っ。くっ、マルク笑うな!!!!」

「あはははは!」


 あれ、この感じも前にあったような?


「シリル! もう勘弁してやれ! リクス様はお前を男として好いているってことだよ!」

「え……ええええ!?」


 お腹を抱えて笑っているマルク様の言葉を理解した瞬間、思わず叫んだ。

 ベアトリクス様がひ弱なこの僕を、男として好き!?

 そんな!

 まさか!

 嘘だと思ってベアトリクス様の顔を見ると、目が合った瞬間にベアトリクス様の顔が更に赤くなった。

 耳まで赤い。

 それを見た瞬間、僕の顔まで熱くなった。

 ベアトリクス様は僕が好き――それが本当なんだと分かったから。


『君の私に対する好意はまだ継続中だろうか』


「継続しているに決まっているじゃないですか!」


 やめろと言われてもやめられない。

 さっきの問いに、叫ぶように答える。

 失礼かなと迷ったけれど、今度は僕の方からベアトリクス様を抱きしめた。

 王都では誰よりも強くて格好いいベアトリクス様だけれど、抱きしめると確かに女性で、良い匂いで柔らかくて……そして暖かかった。






 抱き合う二人を見守る外野では――。


「はあ……。あたしも誰か『大好き!』って言ってくれないかなあ。大好きじゃなくても、『嫌いじゃない』くらいでもいいんだけどなあ」

「あなたのような人、オレは嫌いじゃないですよ」

「!! じゃあ結婚しよ!」

「あ、オレ、新婚です」

「世の中クソ」

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