第35話 怪我のち保健室

「もう、そんなに心配しなくてもよかったですのに。このくらい、放っておけば治りますよ」


 放課後、心愛を連れて保健室に向かう。軽い捻挫で、彼女の膝が軽く変色していることに気付いたからだ。


「膝の色を変色させてよくいうよ、放置してると後遺症の可能性もあるぞ。つーかこういうのって、心愛の方が口うるさいタイプじゃなかったか?」


 普段、こういう案件でお小言をいただくのは俺の方だ。それなのに、今は立場が逆転してしまっている。


「えっと、それは……その、恥ずかしいじゃないですか。体育の授業でドジやって怪我しちゃったなんて知られたら!」


 俺に理由を詮索されるのが嫌だった、とかだろうな。


 怪我のことは黙っておいて、知らない振りをするつもりだったのだろう。大した怪我ではないのは確かなようだし。


「まあ、保険室で見てもらうにこしたことはないだろ。無料だぞ?」


「そんな貧乏臭い考えで、保険室を利用するのはどうかと」


「スーパーでお買い得商品を探すお前に言われたくないんだが?」


「私のは生活の知恵と言ってください。この知恵が御飯のおかずを少しでも豪華なものに変えるんです」


「俺のも同じことだろう。ほら、入るぞ」


 保健室の扉を開けて中に入ると、中で事務作業をしていた白衣姿の童顔教師が、こちらに視線を向けてきた。


「あ、いらっしゃーい。ええっと、沢渡くんに白雪さん、珍しいお客さんだね」


 満面の笑顔を浮かべながら、甘ったるいロリ声で喋りかけてきたのは、我が月ヶ丘つきがおか高校の養護教諭である、花守はなもりへるし先生だ。


「今日は一日暇してたんだ、お客さんがきてくれて助かったよ。ゆっくりしていってね」


「保険室に客がこないということは、生徒の健康被害がなかったということですよね? いいことなのでは」


「んー、でも、普段は用がなくても遊びにきてくれる子も多いし。そういえば、今日は授業をサボりにくる子もいなかったな~。沢渡くんも最近真面目みたいだね」


「……悠、サボってたんですか?」


 心愛が睨んでくる。


「まあ、そういう時代もあったってことで、最近は真面目だからいいじゃないか」


「私が監視するようになってよかったです。放ってたら卒業できてたかも怪しいですね」


 さすがにそんなことはないと思うけど……。


「で、なんの用なの? 怪我? 熱? 仮病? ベッドなら貸すよ?」


「放課後わざわざ仮病で寝にくる生徒なんていないでしょ。心愛が怪我したんです。俺は引率」


 心愛が椅子に座り、花守先生に膝を見せる。


「ああ、これかー。軽い捻挫みたいだねー。ちょっと待っててねー」


 花守先生が冷却スプレーを持ってきて患部に当てた。その後、包帯を巻き始める。


「さすが保健室の先生、手慣れてますね」


「でしょー? ふふーん。まあ、もっと早くやろうと思えばやれるけど」


 俺の言葉に、得意気にそう返してくる花守先生。


 この先生は、ちょっと褒めるとすぐドヤってくるから面白かったりする。そして可愛い。


「酷いようなら氷で冷やした方がいいんだけど、このくらいなら多分大丈夫でしょ。お風呂は入ってもいいけど、今日は長湯しちゃダメだからね」


「ほら、やっぱり大したことなかったじゃないですか。悠は大袈裟です」


「ううん、ちゃんと見せにきてくれた方がいいから、沢渡くんの判断は正しいよ。油断大敵、気の緩みが危機に繋がったりとかよくあることだしね~。よし、と。はい、白雪さん大丈夫だよ」


「ありがとうございます、花守先生」


 心愛が椅子から立ち上がって、軽く頭を下げる。


「いえいえ、また怪我したらどうぞ~。怪我しなくても、遊びにきてね~」


 二人で保健室から出ると、そのまま玄関で靴を履き替えて帰路につく。


 保健室に寄り道をしても、外はまだまだ明るかった。最近はもう随分と日も長い。


「で、これからどうする? どこか寄って帰るか? まあ一応怪我してるわけだし、さっさと帰った方がいい気もするけど」


「そうですね、でしたら悠の家でゲームというのはどうでしょうか。この間遊ばせてもらったレースゲームやりましょう」


「構わないが、また負けまくっても怒り出すなよ。とりあえず、心愛はカーブを曲がる時、自分の身体も傾けてしまう癖をどうにかした方がいいぞ」


「イメトレしてきましたから、もう大丈夫です」


「本当にイメトレで直るものなのか……?」


「直りますよ。始まる前から精神攻撃を仕掛けるなんて、ゲームの持ち主のくせに大人気ないですね」


「いや、そういうつもりじゃなかったんだが。というか圧勝する相手に、わざわざ精神攻撃を仕掛ける理由はないだろう」


「ふん、余裕こいてられるのも今のうちだけですよ」


 ――と、そこで、互いに目が合って笑い出す。


 本気で罵り合ってるわけではないのだ。気兼ねなくふざけあってるだけ。


 この掛け合いを知り合いに見られたらなんか恥ずかしい気もするが、幸いなことに今俺たちの周囲に見知った顔はなかった。


「戻るのは嫌で、進むのも怖い。だから、今がいい。止まってしまいたい。このままでもいいかなって、そんなことを思ってしまうこともありますよね」


「うん? なんの話だ?」


「なんでもないです。ちょっとだけ、素直になってみただけですから」

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