第11話

 日付が変わるころ、桜台二小隊は任務を全うし、活動を終えた。

 火点建物は、防火造二階建住宅一棟全焼、東側同じく防火造二階建住宅半焼。和人たちが担当した西側の住宅は屋根を少々焦がしただけで、延焼しなかった。

 使用したホースを巻き取り、担ぎ、汗だくになりながらポンプ車まで引き揚げてきた和人は、六文字に「お疲れさまでした」と頭を下げた。

「なんの、おめえもよく頑張った。頭っから湯気ぇ上がってるで、風邪引くなよ」

 六文字は破顔した。

 防火衣を着ていない六文字の身体からも湯気が立ち上っていた。

 出動時の勢いこそなくなったものの、雪はまだ舞っている。風は心なしか弱くなったようだ。

 振り返ると、火元である木造二階建住宅が、焼け焦げた黒い柱を数本残しただけの姿でじっとこちらを見つめているようだった。

 終わった終わったあ、やったやったと叫びたい衝動を抑え、和人は安堵した。


「まんず、怪我しねくていがったいがった。身体冷やすなよ」

 和人の顔を見ると、白島はようやく頬を緩ませ、大きく頷いた。夏木田と楢岡もそれぞれホースを肩に担ぎ、やって来た。使用済みホースはポンプ車後方へ収納する。和人が二本、夏木田が二本、楢岡が一本。今回は合計五本のホースを使用したことになる。ホース一本が二十メートルであるから、距離にして百メートル分延長したということだ。

 身体は熱いが、気温は低い。路面では放水された水が所々凍っていた。活動の疲れか足が重く、ホース撤収の際、すわ栗沢の二の舞かという冷やりとした場面もあった。

「ほれ、吸え」

 六文字がタバコを勧めてくれた。

「いいんですか、ありがとうございます」

 すいませんって言われるかと思ったぜと六文字に言われ、和人は「六文字さんの気持ちにお礼を言ったのです、吸いませんよ。すいません」と答えた。

「ややこしい奴だ、初めから吸わないって言え」

 六文字は抑揚のない言い方をした。気分を害したかもしれなかった。

「でもよ、こんた時だからよ、吸えば意外と落ち着くんだや」

 和人は断り切れず、しぶしぶ一本を箱から抜いた。

 すかさず六文字がライターを突き出す。「すいません」と口をすぼめ煙草をくわえると、目の前のライターに火が点った。

 実はまったく吸ったことがないわけではない。高校生の時分にトライしたことがある。しかし煙が好きになれず、最初の二、三本を吸っただけで、あとは結局一か月経っても箱の中身は減らなかったのだ。それ以来、煙草に対する興味は失せていた。

 呼吸するのと同じリズムででゆっくりと吸ってみる。煙は抵抗なく喉を通った。

 今度はゆっくりと煙を吐き出す。身体の中が空っぽになってゆく感覚。続いてなんとも言えない安堵感が頭の中を満たした。

「な、まんざらでもねえべ」

 和人は六文字にゆっくりと頷いた。

 現場での活動を終え、帰署したからとて、すぐに休むことはできない。次の出動に備えて、ホースをはじめとする資器材を補充し整備しなくてはならないのだ。機関員の六文字は、使用した資器材、補充した資器材をチェックする作業を忙しそうに、しかし手早くこなしている。

 和人は背中にべっとりと張り付くシャツを気にしながら、夏木田と共に使用済みホース五本を、順次、水を張った水槽に放り込んだ。

「そうそう、桜台中隊の延焼阻止活動は素晴らしかったって大隊長が褒めていたぞ」

「本当っすか、中隊長」夏木田が身を乗り出した。

「ああ、褒賞の対象になるかもな」

「んだすかあ、やったな和人。おめえ、実習さ来て褒賞どご取るなんて、なかなかできねえど」

 和人は夏木田に肩をばん、と大きく一回叩かれた。

「そ、そうなんですか」

「当たり前だべ。そもそも火災出動すらできない奴らがいるんだや。それに、出動したからって、全部が全部延焼しているとは限らねえべ。おめは、運も持ってるってことだ」

「そ、そうっすかね」

「ああ、初めての褒賞が実務実習での出動だなんて、おめえは将来大物になるかも知れねえな」

「そ、そんな」褒められると悪い気はしない。自然に頬が緩んだ。

(褒賞かあ、飯島のヤツ、俺が取ったらどんな顔をするだろうな)

 同じ火災に出動していた飯島だ。素直に悔しがればかわいいが、ヤツはひねくれている。どんな顔をするのか楽しみだった。

「和人、身体が冷えねえうちにシャワー浴びてこい」

 白島だった。

「は、はい、い、いや、だ、大丈夫です、遠慮します」

「なしてよ」白島は怪訝な顔をした。

「いやあ、いつ何があるかわかんないですし」

 とは答えたが、二度とあんな思いはしたくないというのが本音だった。和人は白島から視線を逸らした。

「大丈夫だ。この時間だば滅多にねえべ。夏木田も行ってこいや」

 和人は頑なに拒んだ。

 夏木田はというと、「了解」と二つ返事で和人に背を向け、浴室を目指し、さっさとその場を後にした。

 シャワーは拒んだが、作業が終わると和人は、誰より早く更衣室に駆けこみ、汗を拭きとり着替えた。

 着替えてから、桜台中隊は資機材を整備、補充中のため、出動不能状態だと本部に連絡してあるのだから、ゆっくりシャワーを浴びていてよかったのだと知らされ、和人はがくりと項垂れた。

 活動報告書の作成を手伝おうとしたのだが、楢岡から「お前はいいから早く寝ろ」と追い立てられるように事務室を出された。シャワーの一件もあったので、これには素直に従った。時計は二時になろうとしていた。

 三十人分はゆうにあるだろう仮眠室のベッドのひとつには、既に六文字が寝息を立て横たわっていた。

 ベッドに入り、横になった途端、和人の身体は脱力した。五分とかからずに気を失った。


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