第9話
まだ目途は立たねえんだすか」
ああ、と白島は思い出したように顔を上げ、周囲を見回す。時計を見る。
「よく見てみろ、さっきのあんちゃんも言ってたが、建物が密集しているからヤバい。既に隣の建物にも移っているしな。延焼防止にはもう少しかかるだろう。延焼防止の意味、わかるよな」
延焼防止とは、有炎現象がなくなることですと答え、もう一度燃えている建物を見る。
炎は隣の家にも移っていた。昔ながらの家という感じで、木造だった。二階部分に燃え移っている。和人はすぐに状況を把握できない自分の目に落胆する。
隊員らが慌ただしく動いているのを見て、和人は、ひょっとして飯島がいないかと目で追った。
(桜台中隊が最先着していたら、んで、俺が間に合っていたら、あそこにいたんだよな)
和人はしかし、住宅内に進入している隊員の中のひとりになれなかったことを至極残念に思いながらも、心のどこかで安堵していた。
(ま、今、あの中さ俺がいでも、足手まといは免れねえしな)
と、今ひとつ自信が持てていないのが、その理由だった。
副本部長からも無理はするなと言われているし、と自分に都合がいいように状況を判断している。
「よし、そろそろ行くべ、楢岡たちと合流する」
「はいっ」
辿るべきホースはどれかと和人は下を向いた。
「げ、中隊長、道路、凍ってます」
「ん、ああ、しかたねえべ」白島は意に介した風もない。
「放水しているんだや。この寒みいのに水を撒いてるんだで。凍っても不思議でねえべよ」
いやそういう意味じゃなくて、と言いかけたが、「行くど」と背を向けられては従うしかなかった。どうにもスッキリしないものが腹に残る。
「このホースだからな」
白島が足で押さえたホースのつなぎ目には、〈桜台〉と書かれていた。なしてわかるのだ。
「桜台中隊長から桜台二小隊長」
白島は無線機で小隊長を呼び出した。送受信機が襟元についているので、遠くから見ると、おっさんが小首を傾げている図式になる。気持ちのいいものではない。
「なにっ?」
何かアクシデントがあったのか。白島の顔が曇った。
「和人、急ぐど。一人、怪我したらしい」
白島は小首を傾げながら早足になった。
楢岡と夏木田が筒先担当を交代しようとしていたところ、後方でホースを補助していた栗沢が、凍った路面に足を取られ、変な格好で転倒したのだという。
転び方が悪かったらしく、栗沢は、介助されなければ立ち上がることもできなかった。現場は、炎を噴き出している住宅近く。二十メートルほど手前だった。
「なんと(し)するすか」楢岡は白島と栗沢とを交互に見比べる。
夏木田は筒先を構えたままだ。
「なんとするもなんも、まず救急隊だべ。それは戻る途中で呼んだ。もうすぐ来るべがら、待ってれ。ナツ、ちょこっと看てやれ。おめえも救急隊員だべ」
夏木田は救急隊員の研修も終えていて、ポンプ隊員と救急隊員とを兼務している。救急隊に休暇などで欠員が生じた場合、代役として乗車しているのだ。
夏木田は筒先を楢岡と交代し「どれどれ」と栗沢の長靴を脱がせる。それから手袋を外し、足首を触った。
「わりっす、役に立だねくて。つっ」栗沢が顔をしかめる。足の痛みが辛いらしい。
「骨折してっかもな。下手に動かさねえほうがいいな」
夏木田は栗沢にそう言ってから、白島の顔を見た。
白島は小さく頷き「んだが。よし、まずは任務続行だ。和人、夏木田さついて行け」とはっきり言った。
え、お、俺っすかと和人は固まった。あまりに自然に言われたものだから、聞き間違えたかと思った。
皆の視線を浴びる。
「いいんすか」楢岡が心配そうな顔をした。
「今の意味、わかるか、和人」夏木田が和人の顔をのぞきこむ。
「な、なにがすか」
和人は答えたくなかった。不安の波が一気に押し寄せてきたからだ。
(俺は、お、お客さんだべ、何かあったら大変なんだすや。まだ俺は死にたくねえ)
思ってはいても口には出せなかった。
「おめえが栗沢の代わりをするってことだ」
聞いてしまった。
「へ」和人の喉がごくりと鳴った。
「おめえも消防官の端くれだろう。来い、一緒にやるぞ」
「えええっ」
おおよその見当はついていたとはいっても、面と向かって現実を突き付けられると、不安の渦は、身体じゅうから溢れた。和人は頭の中が真っ白になった。
「お、来た来た」
和人は、やって来た恩人らに恐縮しながらお辞儀をして出迎えた。
「お、若者よ、元気そうだな。無事合流できたんだな」
井上救急隊長は、あっけらかんとした表情で近寄って来た。後ろに堀井もいる。
井上はすぐに視線を栗沢に移し、しゃがみこんだ。堀井と共に栗沢の観察を始める。観察しながら白島に「任せろ」と目配せをする。
白島も「頼む」と頷いてから振り返り、「よし、行くぞっ、和人、夏木田の補助だ、後ろさつけっ」と気合を入れた。
「準備いいか」夏木田が和人に声をかけた。
和人は反射的に「はい」と返事をし、夏木田の後方へ回る。ホースを掴み、脇に抱えた。白島が先頭、続いて筒先を持った夏田、和人、最後尾に楢岡という体制で、桜台二小隊は再び火災現場へ向かう。
風が唸った。
上空では、魔物が降臨してきそうな、寂しげな、それでいて威圧のある風の音がこれでもかといわんばかりに逆巻いていた。
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