雨と君と僕のラブストーリー

第1話

梅雨も終わって、さぁ、これから夏本番だ!と言う八月二日。

この日から、八月はずっと雨だった。

僕は、雨が嫌いだ。

薄暗いし、冷たいし、鞄や服だって濡れる。

なのに、何の悪戯か、一ヶ月間、この雨は止むことはなかった。


彼女の、心の中のような、冷たい雨が……。




雨が降り始めて一週間が過ぎ、僕はこの嫌いな雨にうんざりしていた。

サッカー部に所属している僕は、夏休み、毎日練習に行っても、体育館の隅でストレッチくらいしか出来ず、もやもやしていた。

「毎日よく降るよな…」

同じクラスで、一番気の合う、友達、磯田 巧(いそだ たくみ)が、僕の心を代弁するかのように、ボソっと愚痴をこぼした。

「なぁ。梅雨でもないのにな…」

巧の愚痴に、愚痴で返した。

「いくら弱小サッカー部でも、練習くらいはしたいよな」

僕らの高校のサッカー部は、毎年、地区予選の第一試合で大概負けていた。

僕は、小学校からサッカーをやり始めたが、もちろん、ドラマや映画のように、天才でもなければ、神童でもなかった。

只、サッカーが好きだった。

小学校からいつも負けるのには慣れていたけれど、練習すら出来ないと、サッカーをやってはいけないと誰かから言われている気がするほど、ストレスが溜まっていた。


そんな日が続いたある日のことだった。


彼女に出会ったのは…。


その日の部活のからの帰り道、普通に傘を差して、普通にいつもの道を通って、普通に家にたどり着く予定だった。

ふと、覗き込んだ家の真ん前にある、公園のベンチに目をとめる、その瞬間まで。


そこにはずぶ濡れの女の子が、びしょびしょになったベンチに、俯いて座っていた。


どうしたのだろう?

その子は傘も、鞄も、何も持っていなかった。

同じ高校生くらいには見えたが、制服は着ていなかった。

このあたりに私服校はない。

制服を家で着替えたのなら、傘くらい持っているはずだし、びしょ濡れのベンチに、そのまま腰掛けてしまうには、もったいないくらい、結構可愛い服装をしていた。


でも、何を置いても、その女の子は、実に悲し気に、寂し気に、切なげに泣いていた。

…のだろうか?

雨はかなり激しい。涙か、雨かなんて判別不可能だ。

でも、僕には、何故か、その頬に流れる雨の粒の中に涙を見つけることが出来たのだ。

それは質のいい水晶玉みたいで、とても綺麗な涙だった。

その水晶玉を、絶え間なく零し続ける、その女の子は、僕のここら辺にナイフで穴を開けた。


僕は、自分で言うのもなんだけど、結構薄情な奴だ。

出来れば、あまり他人と接したくないし、お節介を焼くなんてまっぴらごめんだ。

だから、涙の女の子を、気にはなったが、何を言えるわけじゃないし、向こうだって、誰にも触れて欲しくない日や、ことが色々ある。

そう思い、そのまま家に帰った。

血にまみれた、ここら辺を、ぞんざいに扱うように、気にならない振りをして。


激しい雨で、体まで濡れてしまったから、とりあえずシャワーを浴びて、頭をバスタオルで拭きながら、二階の自分の部屋に入り、ふとカーテンを開けた。


何となく窓の外を見渡していると、そこに見えたのは、もう軽く三十分は経っているのに、さっきの女の子がまだ、びしょ濡れのまま、ベンチに座っている様だった。


いくら僕が薄情だと言っても、三十分もこの雨に晒されれば、夏とは言え、風邪をひいてしまう。


そして、何より、悲し気で、寂し気で、切なげなあの表情を思い出し、どうしようもなく気になって、傘を、自分の分と、その彼女の分と、二本持って、公園へ急いだ。


後援に着くと、着いたは良いが、中々彼女の側に歩み寄ることが出来ない。

なんでって、その子に優しくする理由もないし、先も言ったが、触れられたくないことは誰にでもある。

けれど、そんなことを気にしている場合ではない。

早く傘を渡さないと、彼女が風邪をひいてしまう。



「はい」

と、僕はずぶ濡れの彼女に近づき、傘を差しだした。すると、彼女の頭上の雨が止んだ。

ゆっくりと顔を上げ、僕を見つめる女の子。

恐ろしく可愛い子だった。

その子に胸をこの雨のように激しく、さっき開いたここら辺の血の海のような、この胸を打たれた僕は、それ以上、言葉が浮かばなかった。

そんな僕に助け舟を出してくれたかのように、その子が口を開いた。


「ありがとう…」

その声は、脆く、儚く、今にも体ごと消えてしまいそうだった。

「なんで…こんなに濡れてるの?」

と、危うく声を裏返しそうになりながら、僕は聞いた。

そう聞かれて、女の子は、また俯いて、こう答えた。

「雨って悲しいでしょ?」

と、一言だけ。

「悲しいの?」

僕はオウム返しのように、聞いた。

「うん。悲しい。とても…」

彼女は本当に悲しそうだった。

「どうして悲しいの?」

他にも言葉はあったはずだ。でも、薄情で通してきた僕の人生で、誰かを慰める方法を、僕は身に着けてこなかった。

そして、何故だか、彼女の前では、僕はどうしても平常心を保てなかった。


そんな僕を包み込むように、彼女は答えた。


「この交差点で一週間前交通事故があったでしょ?…その事故でスリップしたトラックが恋人を跳ねてしまったの…」


そうか。そう言うことか…。やっと合点がいった。

確かあった。

一週間前、居眠り運転のトラックが、歩道に突っ込み、何人かが重軽傷を負った事故が。

そう話した彼女の瞳から流れた涙は、この強い雨より、ずっと大粒で激しかった。

僕は、その涙の美しさに、びしょ濡れのベンチの、彼女の隣に座り、彼女の頭上だけに気を付けて、彼女がこれ以上濡れないように、これ以上泣かないで済むように、そっと傘を差し続けた。


「僕、小沢 京平(おざわ きょうへい)。君の名前は?」

教えてはくれないかも知れない…と覚悟はしたが、聞いてみた。

「…初宮…初宮 雨音(はつみや あまね)」

「…初宮さん…。このままじゃ風邪ひくよ。はい。タオル」

と、京平は家から持って来たタオルを、雨音に手渡そうとした。しかし、

「良いの。誰にも涙…見られたくないから」

そう言って、雨音はタオルを受け取らなかった。

「でも、泣いてるの、僕、わかったよ?」

そう言うと、雨音は、驚いたように、ゆっくり首を持ち上げ、京平の顔を見た。

「あなたには…見えるの?」

「うん。見えたよ。さっき、ここを通りかかった時。泣いていたの見えたんだ。それで…」

言葉を続けようとした京平の目を見ながら、雨音は言葉を詰まらせたように、次々と涙を零した。

「あ…え、ごめ…」

その涙に驚き、懸命に言葉を探す京平だったが、こんな時に言葉は邪魔なもので、たったの一言も浮かんできてはくれなかった。


それでも、涙に暮れる雨音に、何か伝えたくて、どうにか助けてあげたくて、絞り出すように、京平は言った。


たった一言、


「泣かないで…」


と。


そして、そっと、またタオルを差し出した。


「良いの。濡れていたいの。私のことは気にしないで…」

雨音はそう言って、京平を遠ざけた。

「でも…、そのままじゃ本当に風邪…」


と、言いかけた時、雨音の口から思わぬ言葉が飛び出した。





「幽霊は、風邪なんかひかないよ」





突然、飛び出した”幽霊”と言う言葉に、京平は唯々、言葉を失った。

と言うより、冗談以外の何物でもないと思った。


「一週間前、事故に遭ったのは私の方。相手は、打撲で済んだの」

それまでゆっくりとした口調で話していた雨音が、普通のテンポで話し始めた。


「私は、幽霊じゃない。正確には生霊。体は病院で眠ってる」

「ちょ…ちょっと待って!生霊?そんなのいるはず…」


そう言って戸惑う京平を気にもとめず、雨音は続けた。


「一週間前、私たちは事故に遭って、私の体は意識不明の重体なの。でも、彼…一朗(いちろう)君は、事故に遭った三日後に新しい彼女を作って、私のお見舞いには一度も来てくれてないの」


「…」


ごくん…っ!


息を呑むとはこのことだろうか?


しかし、この雨に勝るとも劣らない雨音の大粒の涙の理由が、今、雨音の言う通りだとしたら、納得がいく。


「どうして…ここにいるの?」

そう京平が聞くと、雨音は少し驚いたように、

「本当に信じてくれるの?」

と、目を丸くした。


「だって…本当…なんでしょ?」


『冗談だと思った』

それが本当の気持ちだった。

けれど、

『雨音は嘘をついてはいない』

それも、信じることが出来た。


ならば、それを信じるのならば、雨音が生霊だと言うことも信じなければ、この後の話が進まない。

だから、京平は信じられないまま、信じてみることにした。


「この公園、一朗君に私が告白した場所なの。雨の中、傘で顔が見えないように、恥ずかしくて死にそうな想いで、告白した…。事故に遭った日も、こんな天気で…っ」

言葉を続けられないほど、雨音は悲しみに暮れていた。


「ゆっくりで良いよ」

そう言った、京平の言葉に甘えるように、少しの沈黙の後、雨音は続けた。


「また、私のこと思い出して、ここに来てくれれば良いのに…って、そう思って…。そうしたら、静かに死んでいけるのにな…」


頭上の雨が、京平の持っている傘で止んでいるから、雨音の頬を伝う涙は、鮮明に京平の心に刺さった。


「一朗君に…この雨が降って、降り続けて、あの日の告白を思い出してくれたらって思って、そして、ここに来てくれたらって、私がこの一週間、雨を降らし続けてるの…。そして…多分…一朗君がここに来てくれるまで、私はこの冷たい雨を降らし続ける…」


涙を、正に滝のように流しながら、言葉を続けようとする雨音に、


「ごめん。もう良いよ。もう聞かない」

京平が言うと、

「ありがと」

と、初めて雨音が笑った。


雨を降らし続けるのが愛なのか何なのか、わからないけれど、雨音の悲痛ともとれる言動に、心揺さぶられた京平を置いて、


「これ、タオル…。せっかく持ってきてくれたのに、ごめんね」


そう言うと、静かにベンチを立って、公園の脇にある細い道へ、消えるように、雨音はいなくなった。





次の日も、雨音が言う通り、八月とは思えないほど、冷め冷めした雨が降っていた。

部活の帰り道、例の公園の前をゆっくり歩いてみた京平。


(いた…)


昨日の少女、雨音の姿を、ベンチに見つけた。


少し迷ったが、京平は家には帰らず、直接その公園に入り、昨日ように、雨音の頭上に傘を差しだした。


「あなたは…」


雨音は少し驚いたように、京平の顔を覗き込んだ。


「ダメよ。あなたが風邪をひいちゃう。私は濡れても良いから、その傘はあなたが差して」

と、京平の傘をつかんで京平の頭上に戻そうとした。しかし、

その手は、傘の取っ手をすり抜け、京平の頭上に戻すことは出来なかった。


その時、京平は、彼女が本当に生霊なんだと言うことを信じた。

と言うより、信じるほかなかった。


「君は本当に生霊なんだね…」

そう言うと、

「そうよ。だから、その傘は…」

続けようとする雨音の言葉を遮るように、

「女の子が濡れてるのに、放ってはおけないよ。せめて一緒に濡れてあげる」


そんな、京平の思わぬ言葉に、雨音はまた泣くのだった。

そして、京平は思った。


雨音が本当に生霊なのだとしたら、彼女の言う”一朗”は本当に、こんなに可愛い雨音を、見舞いにも来ないで、事故から三日で別の彼女を作り、こんな風に冷たい雨の中、雨音を待たせているのだとしたら、本当に最低な奴だ…と。

そう思うと、一朗と言う奴を、一発殴ってやりたくなった。


「雨は…やっぱり悲しい?」

京平は尋ねた。

「うん。一朗君が来てくれないと…私はいつまでも悲しい。でも、雨を降らし続けないと…、一朗君にこの想いが届かないかも知れないから…」

「雨を降らさなくても、僕は毎日ここに来るよ?」

「…ダメよ。約束なの。一ヶ月間、私は雨を降らし続けるって、約束したの」

「誰と?」

その問いに雨音が答えることはなかった。

「一朗って人、ここに君がいても、病院に来れば、わかるの?ちゃんと、彼氏が来たことを、君はわかることが出来るの?」

と、京平は言葉をつづけた。


「きっと…一朗君は病院には来てくれない。でも、ここなら…今の彼女も知らない、私と一朗君だけの場所だから…、来てくれるかも知れない。まだ、私を少しでも好きでいてくれてるなら…」


”来てくれるかも知れない”


その言葉は、薄っぺらな噓に聞こえた。


”好きでいてくれてるなら”


もっともっと、嘘に聞こえた。


きっと彼女もわかっているんだろう。


もう、ここに一朗が来てくれはしないことを。


なのに、雨音はこうして濡れながら、泣きながら、一朗を待っている。ひどい矛盾を覚えた。

「でも、君が目覚めて、一朗って人にもう一度会えば、気持ちも変わるんじゃない?戻ってきてくれるんじゃない?」

そう。なんで雨音は目覚めようともせず、もう一度、一朗と会わず、生霊なんかになって、こんな風に悲し気に、濡れていなければ、泣いていなければならないのか、京平にはわからなかった。


「そうよね。それが普通よね…。恋人の側に行ければ…そう思うのが普通よね」

そう言った雨音の体は、少し透けて見えるほど、弱々しかった。


「でも…私の体はもう目覚めないから…」

その言葉に、一瞬、ゾワっと背筋が毛羽だった。

「目覚めない?なんで?」

「私の命は、あと三週間。それが私の寿命なの」

「そんな…」


雨音に自分の傘を差しだしたまま、二人でずぶ濡れになって、京平は泣きそうになった。

雨音は、一人、病院に来ない一朗を、ほんの一縷の望みをかけて

この公園で毎日ずぶ濡れになって、待っている。

この子を、雨音を、一人にはしておけない。京平はそう思った。そして…、


「一朗が来るまで、僕が一緒に一朗を待っててあげるよ。一緒にこの公園で待とう」


ずぶ濡れになった京平の言葉に、下を向いたまま、雨音が少し震えた様に見えた。


「優しいのね…京平君は…。でもね、一朗君も優しいのよ?私は少しぶりっ子で、女の子からうざがられてたの。それで、いじめられてたのを、一朗君が助けてくれたの。その時から、私は一朗君が好きだった」

一朗をかばうかのように、ここで待つ理由を言い聞かせるように、雨音は言葉を連ねた。


「こうしてれば、雨には濡れないでしょ?涙、拭きなよ」

京平がハンカチで雨音の頬を触ろうとした瞬間、雨音は、

「触らないで!」

と激しく、それを拒んだ。


「ごめん。よく知りもしない男に触られるなんて嫌だよね…」

行き場のなくなったハンカチと自分の手に、一朗の存在を雨音の中に見た。


「…ごめんなさい…。違うの。あなたが嫌なんじゃない。…私に触れると、生気を私が吸い取ってしまうから…、あなたの寿命が縮んでしまうから。ごめんなさい。ハンカチ…嬉しかった」


生気を吸い取る…。また、雨音は悲しいことを言う。

そんな風に、人と、一朗と会うが為だけに、生霊になって、生気を、触れられたら吸い取ってしまうような存在になって、こうしていることが辛くないはずがない。


「本当はね…」

今にも泣きそうになっている京平に気付いたのか、それともなんの他意もなかったのか、それはわからないけれど、雨音は言葉を続けた。


「本当は…私の姿は誰にでも見えるの。でも、涙は一朗君にしか見えないはずだった…。だから、あなたに、泣いてるのがわかるって言われた時、本当に驚いた」


京平は、もっと驚いた。じゃあ、何故自分には雨音の涙が見えたのか、それにも意味があるのだろうか?

その戸惑いを感じ取ったのか、

「心配しなくても大丈夫よ。あなたはきっと、とても心が綺麗な人なのね。だから、私の涙が見えたんだわ」



心が綺麗?この薄情者の僕が?



そもそも、京平は、なんでこんなに雨音に惹かれたのか…?

それが一番の謎だった。

例え、雨音が恐ろしく可愛いからって、京平は薄情な人間かも知れないが、決して面食いではない。もしも、薄情を良いように言うなら、自分の周りの人の中身をよく知った上で、付き合う人を見極めている、と言えるだろう。

そんな京平が、ちょっと泣いていたからって、雨で濡れていたからって、少し寒そうだったからって、最初こそ二本傘を持って行ったが、今日は自分の傘を差しだして、雨音どころか、自分までずぶ濡れだ。

つい昨日、知り合った女の子に、こんなに心を打たれて、まるで恋だ。


恋?


イヤ、まて。

そうだ。京平は、自他ともに認める結構薄情な男だ。

中学生の時、『好きだ』と言ってくれた女子に、『僕は好きじゃない』とだけ言って、その場を立ち去った。

しばらく、その噂が流れ、男子からも、女子からも、”嫌な奴”だと言われた。


自分ではごく普通で、何の他意もなかった。『好きじゃない』んだから仕方ない。好きじゃない相手に、長ったらしく、傷つけないように、と断る理由を並べる義理もない。


そんな考え方を、世間は”薄情”と呼ぶらしい。

けれど、それも別に気にしなかった。自分は自分らしくいただけで、その自分を見て、『好きだ』と言ったはずの人が、自分らしく答えた自分のことを、”嫌な奴”として、噂を流したのだ。


こっちから言わせれば、どっちが”嫌な奴”かわからない。

まぁ、そんなことがあったから、自分が”薄情”だと自覚したのだが。


しかし、雨音はそんな京平のことを『優しい』と言ってくれた。

そして、京平は、今、初めて自分以外に…イヤ、自分以上に薄情な奴の存在を知った。


一朗、お前は一体何をしているんだ。こんなに可愛い彼女が事故に遭い、それをまるでなかったことのように、三日と言う短い、短過ぎる間に新しい彼女を作り、見舞いにも来ず、こうして、毎日ずぶ濡れになって、二人の思い出の場所で、彼女がお前を待っていると言うのに…。


「僕の心が綺麗?そうかな?僕は薄情な奴だってみんなから言われるよ?」

「そうなの?でも、私にはとても優しくしてくれる。私はそれだけで嬉しい…」

そう言うと、雨音はまた下を向き、膝に、一朗にしか見えないはずの涙を、京平の前で零すのだった。


それから、一週間、京平は雨音の元に現れ、わざと傘を一本だけ持って、雨音の頭上の雨をはらい、自分は、もともとずぶ濡れになっている雨音の真似をするように、ずぶ濡れになって雨音の話を聞いた。


雨音の話の内容はほとんどが一朗のことだった。


「一朗君はね、とてもモテる人なの。私なんかが付き合えたのが奇跡だったくらい」

「そう?初宮さんはとっても可愛いと思うけど。誰だって好きになるよ」

「ふふっ。ありがとう」

こんな風に、涙を枯らすことはなかったが、雨音は、日々、少しずつ笑うようになった。


「でもね、私、本当に女子から嫌われてたの。でも、どれも本当の自分だったんだよ?なんでありのままの自分でいることが許されないのか、私にはわからなかった」

そう言って泣く雨音に、自分を重ねる京平。


「僕も」


そう言って、京平は、中学の時のことを初めて”愚痴”として、雨音に話した。

「そっか。悲しいね…」

そう言って、雨音はまた涙を流した。

話しておいて、京平は、それを後悔した。

別に、同情されたことに腹が立ったわけでも、雨音が言うように、それが悲しかった訳でもない。

只、自分の話で、雨音を泣かせてしまったことに後悔したのだ。


「そんなに泣かないで。僕は、そんなショックを受けたわけじゃないんだ。初宮さんの話がわかるってそれだけだよ」

「わかってる。でもね、涙が出ちゃうの。一朗君を想うと。一朗君はこんな女子みんなから嫌われてる私を助けてくれただけじゃなくて、好きになってくれたの。本当に嬉しかったのよ」


(なんだ…。僕への涙じゃなくて、一朗への涙か…)


京平は、なんだかそれが異常に悲しかった。まるで自分が雨音に恋をしているかのような気がしてきた。


それは、雨音に会って、二日目、思ったことだった。


(ないない!)


と自分に言い聞かせる京平。


だって、雨音は一朗が大好きなんだ。こんな風に生霊になってまで。雨を降らし、こんなに雨に濡れてまで…。


只、思った。こんな風に自分に一朗のことを話して、雨音が少しでも元気になってくれるなら。もしも、涙を止められるのなら、それで良い、と。


そう。もしも、一朗のことを忘れて、生霊なんかじゃなくなって、もう一度、生き返ることが出来るなら。それが何より良い、と。


雨音が痛みを自分にぶつける事で、雨音が少しでも楽になるなら、それを受け止めよう。

受け止めたい。受け止められる。雨音の為なら、それが出来る。

そう、強く思った。


その時、京平はその強い想いが”恋”だ、と言うことに気付かずにいた。後で気が付けば、誰から見たって、京平は雨音に恋をしていたのに。本当に、誰にも真似出来ない形の恋をしていたのに…。


「初宮さん」

静かに、でも、囂々たる雨音(あまおと)の中、ちゃんと雨音に届くように、京平は雨音に言った。

「僕に何が出来る?どうすれば、初宮さんの雨を止められるの?」

「……」

何も言わない雨音。

「こうして、生霊の初宮さんを見つけて、その…一朗にしか見えないはずの涙を見つけられた僕に、何か…出来ることはないのかな?」

雨か、涙か、どちらが濡らしているのかわからない、雨音の長い睫毛に雫がぽとりと落ちた。

「あなたは、本当に心が綺麗ね。こんな人は初めて…」


そう言うと、答えらしきことは何も言わず、また大粒の涙を零し、俯いてしまった。

違う。そうじゃない。

そう。京平は思っていた。泣かせたいんじゃない。笑って欲しいんだ。

その為に唇を、薄情と言われたこの唇を、一生懸命動かして、一週間、過ごしてきた。

そんな想いに反して、日々、量(かさ)を増す雨音の涙に、自分の無力さを痛感する京平だった。




そんな風に話ながら、また、一週間が過ぎた。





「来ないね。一朗君…」

(まだ、待ってるんだ…)

口に出しそうになって、慌ててひっこめた。

「きっと来るよ。初宮さんが昏睡状態になったのがショックで彼女なんか作ったんじゃないかな?」

「…そうかな?」

(そんなはずないじゃないか)

また、つい本音を言いかける。


一朗はもう来ない。彼女を作ったのだって、最初から雨音をそんなに好きじゃなかったからだ…と。

それでも、そんなことを言ったら、雨音はまた大粒の涙を零すだろう。

それだけは、絶対に避けたい。


「昨日より、今日の方が雨、強いね。日に日に雨が強くなる。初宮さんの心を映し出しているみたいだ」

そう。日に日に雨は強くなっていた。

毎日毎日、雨音の涙も零れ落ち、京平はその瞳にも傘を差してあげたい気持ちでいっぱいだった。


「寒くないの?」

ふと、雨音が京平の心配をした。

「寒くないよ?どうして?」

「だって、こんなに濡れてるのに…。私は寒くないけど、あなたはこんな冷たい雨、普通痛いくらいのはずでしょ?話し相手になってくれるのは嬉しいけど、傘、二本持ってくればいいのに…」


何故だろう?言われてみれば、この公園を過ぎ去る人たちは、肌寒そうに、服を重ね着したり、大袈裟な人は、コートまで着ている。

そんな中、京平は半そでで充分だった。


「良いんだ。こうして他方が初宮さんの気持ちがわかる気がする。初宮さんの心は、僕の体より何倍も寒いでしょ?」


自分は、こんなクサイことを言えるような人間だったのか…。

と、京平は自分でこっぱずかしくなった。


「…本当に、あったかい人…。一朗君、来るよね?」

「うん。来るよ」


そう言った後、二人は黙り込んでしまった。

京平たちはどう映っているのだろうか?

一人は傘を差してもらっているのに、ずぶ濡れ。

もう一人は、ずぶ濡れなのに、自分の傘を差していない。

もう二週間もこんな二人が公園のベンチに座って、話をしている。

変な噂が立ってもおかしくない。


実際、道行く人は、怪訝そうに、二人を見て公園を通り過ぎて行く。


「じゃあ、今日はもう行くね。毎日、私の話を聞いてくれてありがとう…」


そう言うと、また公園の奥の細い道へと雨音は消えていく。

そして、傘を差したままずぶ濡れになった京平は少し、雨音を見送るように、佇んでから、家へ帰る。


その日、家には、共働きでいつも遅くなる京平の両親が、リビングで気難しい顔をして、テーブルに座り、京平を待ち構えていた。


ガチャリ…。


とリビングの扉を開けると、唐突に母親が言った。

「京平、あんた、病院行かない?」

と。

「へ?なんで?」

ポカンとして、京平は母親は尋ねた。

「だって、あんた、どんどん痩せてるし、顔色も悪いわよ?ねぇ、お父さん」

「あぁ。ご近所の人の話だと、毎日”一人”で傘持ってるのに、ずぶ濡れになって、公園のベンチに座ってるって言うじゃないか」

(え?だって、初宮さんは、涙は人には見えないけど、姿は見えるって…)

そう口に出そうとして、慌てて言葉を呑み込んだ。

「イヤ、別に。ちょっと色々あって、あの公園に通ってるだけ。なんも心配しなくて良いから」

「でも!」

と、母親の声が大きくなるのとほっぼ同時に、京平はもう自分の部屋に戻っていた。


(初宮さんの姿…みんな見えてないのかな?僕…痩せてんのかな?)


なんだか、言い表しようのないざわめきが、京平の背中を走った。




次の日、京平は、巧に率直に聞いた。

「なぁ、僕、この二週間くらいで痩せた?」

「ん?」

購買でお昼に勝ったパンをほおばりながら、その質問は簡単だ、と言わんばかりに、巧は即答した。

「痩せた。顔色もわりぃし、しかもなんでこの寒いのに半袖な訳?」

「だって…、八月だぜ?普通半袖じゃん」

「”普通”はな?でも、この異常気象が続いて、先週の最高気温、平均で十度くらいだぜ?寒いだろ?」

「十度?!そんな低いの?!」

そう言われて、よくよく周りの生徒たちを見渡すと、みんあブレザーを着たり、シャツの上からセーターを着ている。

半袖なんかでいるのは、本当に自分くらいだ。


この異常気象も、僕自身の異常も、思いつくのはたった一つだった。

そう。初宮 雨音、その人の顔だけが浮かんだ。





両親に病院に行くことを薦められたり、巧に変だと言われたり、今年の八月が異常気象だと認識したりして、また一週間が過ぎた頃、京平は、聞きたくなかったが、雨音に聞かずにはいられなかった。


八月二十九日


いつものように、すっかり寒さも忘れ、傘を一本だけ携えて、京平は公園へ向かった。


「初宮さん、こんにちは」

そっと雨音の頭上をいつも通り、傘で覆うと、雨音は、潤んだ瞳で、そっと京平を見上げた。

「…」

何も返さない雨音に、京平は覚悟した。

「今日は、初宮さんに聞きたいことがあるんだ」

「そうよ」

まだ、京平は何も聞いていない。

「僕、まだ何も言ってないよ?」

「体は生きてるけど、私は霊。あなたが何を聞きたいかくらいわかるわ」

「じゃあ…」

この会話で京平が何を聞きたいか、雨音が京平の何を悟ったか、それがわかる人がいたら素晴らしい想像力だ。

「そうよ。私は、あなたの生気を吸い取ってこうしてここにいるの。生霊でいるのは簡単だけど、誰かと接したり、話をしたりし続けるには、何もしない生霊とは、比べ物にならないくらい力が必要なの」

「そっか…」

「怒らないの?私、あなたの寿命を使って一朗君を待ってるのよ?」

「…怒れないよ。そんな風に泣かれたら」

「…っ」


その京平の言葉に、大粒の涙を零し、雨音は両手で顔を覆った。


「ごめんなさい!わかってるの。もう一朗君は来ないって。でも…一人は悲しい。この雨みたいに私は悲しい…!」


今日は特に大雨だ。

車が通るたび、激しい水しぶきが公園の垣根に降り注いだ。

雨音の心を映し出しているようだ。

…イヤ、映し出しているのだ。

雨音が言っていた、雨音の寿命まで後四日。


京平はある提案をする。


その提案は、一か八かの賭けだった。




「ねぇ、初宮さん、一朗の家に行って見ない?そして、自分が生霊だってことを告白するんだ。初宮さんはあと四日しか生霊でいられないんでしょ?だったら、行って見ない?」

「でも…」

「信じてるんでしょ?一朗を」

「怖い…怖いの…。一朗君がもう私を忘れてるんじゃないかって…!」

「行って見なきゃ、わからないよ。僕も、一緒についていくから。ね?」

「…ん…うん」


雨音は、一大決心で、京平の提案を受け入れた。


それは、今日まで、京平に黙って、京平の生気を吸い取って、生霊として、一朗が来てくれるはずなどないと、何処かで気付いていたにも関わらず、この世界にしがみついていた自分の勝手さを、京平が責めなかったことに対する雨音なりの謝罪だった。


「一朗には、初宮さんの姿、見せられるんだよね?」


一朗の家に向かう途中、京平は雨音に確かめた。

それは、京平の近所の人たちが言っていたと言う、公園で京平が一人でいた、と言うことへの信憑性に対する不安だった。


いくら、雨音の気持ちを痛いほど知っていると言っても、こればかりは、本人が伝えなければ、何の説得力もない。


「大丈夫。私の姿が京平君の周りの人たちに見えなかったのは、京平君の生気を吸うのを出来るだけ抑えてたからだから」

「じゃあ、今日も僕の生気を吸えば…」

「ううん。大丈夫」

意外だった。その言葉を、京平は予想もしていなかった。今日ほどたくさん生気を吸い取られる日はないだろう…。

そう覚悟していたからだ。


「どうして?」

つい、思ったままの質問を京平は口に出した。

「今日みたいな日を最初から覚悟はしていたの。唯…怖くて出来なかっただけで…。今日の為に力を溜めてあったの」

(だからか…)

京平は、なんだか今日は少し半袖でいることに、肌寒さを感じていた。

そして、次に雨音が言うであろう言葉も予想出来た。


「謝らなくて良いからね」

「え?」

雨音は、瞳孔を丸くして、京平に聞き返した。

「どうして?私の考えてることがわかるの?霊でもないのに…」

「あはは。わかるよ。生霊でも人間でしょ?考えは」

三週間、ずっと流れ続けている涙が、京平の心を覗き込むような時には、ある時は、一朗の話をしてる時より、大粒になるのを京平は気付いていた。

「今日まで一朗のところに行かなかった分、俺の生気を吸ってたのをあやまりたいんでしょ?」

「…」

雨音はもう言い訳は出来なかった。京平は何もかもお見通しだ。


「…だからかな?」

「え?」

突然の不意を突いたような、雨音の口から出た言葉の行き先が見えない。

「だから…あなたが、優しくて、心が綺麗だから、私の涙が見えたのかな?」

その雨音の言葉に、照れくささを通り越して、京平は笑った。

「そうかもね。僕、自分が思ってたより、少し優しかったのかもね」

そう言うと、つられて、雨音も少し微笑んだ。涙を流したまま。



「この辺」

京平の高校からも遠くない、閑静な住宅街。その中に一朗の家があった。


「この辺をいつも一朗君と途中まで帰った。だから、きっと、この辺を今日も通るはず…」

両手を前でグッと握って、爪を食い込ませながら、、雨音は言った。


いつものように、ここまで傘一本で来た二人だったが、いきなり雨音が来ただけでなく、京平のような見知らぬ男が一緒では、一朗も本音を言えないだろう…と、京平は少し離れて傘を差し、雨音を見守ることにした。


傘を持たせてあげたくても、雨音は傘を持てない。ずぶ濡れのまま一朗に会うしかない。


そして――――。







「キャハハ!一朗君、冗談好きだね!」

突然、ある家の角から、”一朗”とい名前を呼ぶ女の子の声が聴こえた。

雨音と京平の鼓動が高鳴る。


ザーザーと降り注ぐ雨の中、一朗が雨音の視界に入って来た。

そして、一朗の視界にも雨音が映った。

すると―――。


「…!あっ雨音?!」

一朗がわかりやすく驚いた。雨音は最初、喜びからだと思い、

「一朗君…私…」

と、続けようとした瞬間、

「お前!なんでここにいんだよ!死んだんじゃないのかよ!」

「!」

雨音は言葉を失った。

「気味わりぃ!行くぞ!瑞樹!」

そう言うと、瑞樹と呼ばれた女の子の手をつかみ、一朗が逃げようとした。

その時、


バキッ!!!!


と、もの凄い勢いで、京平が一朗に殴り掛かった。

「一朗君!」

瑞樹が一朗に駆け寄った。

「お前!死ね!!」

雨音の姿を探した。しかし、雨音の姿は何処にもなかった。

「ちくしょう!!」

そう叫ぶと、京平は公園へダッシュした。

その後ろ姿を、訳がわからない…と言った表情で見ている一朗を置き去りに、京平は雨音の後を追いかけた。




「初宮さん!!」

そこには、公園で体を二つ折りにして、へたり込み、泣きじゃくる雨音がいた。

「初宮さん!!」

慌てて雨音を抱き締めようとした時、

「やめて!私に触らないで!」

と雨音が叫んだ。

”自分に障ったら、生気を吸い取ってしまう”

その言葉を思い出した。

だが、もう今更だ、と京平が雨音に触れようとした瞬間、

「私は…!これ以上あなたを好きになったら…!一朗君より好きになっちゃう!!」

「それ、ダメなの?!」

「ダメよ!!」

京平は知らない。

雨音が約束した”一ヶ月のルール”を。


そう。雨音は、生霊となった時、一番最初に来てくれるであろう一朗が自分を抱き締めてくれた瞬間、一気に生気を吸い取り、一緒に連れて行くつもりでいたのだ。


「私は…!一ヶ月間雨を降らし続けてもらう代わりに、自分が一番大切な人を連れて行かなきゃいけない約束だったの!」


そう泣き叫ぶ雨音をよそに、京平は冷静だった。


「なら、僕を連れて行けば良い。もしも、初…雨音の一番大切な人になれたんなら、それで良い」


その京平の言葉に、雨音は初めて涙を止めた。


「僕は雨が嫌いだった。薄暗いし、冷たいし、鞄も服も濡れちゃうし…。でも、今は…どんな天気より、一生雨でも構わないくらい雨が好きだよ。雨音に会えるから。こうして雨音に会えたから…」


雨音の心が今までにないくらい痛んだ。


こんなに、こんなにも自分を想ってくれる人の寿命を奪ってまで、もう自分を忘れていると、何処かで気付いていた一朗を天秤にかけていたのだから。


そんな雨音の心を見透かすように、京平は言った。


「そんなに自分を責める必要はないよ。人はそんなに強くないんだから」


「…強くないんじゃない。私は弱いの。女子にちょっと冷たくされたからって…、一朗君がちょっと優しくしてくれたからって、それを勘違いして、立ち向かおうともせず、自分で頑張ろうともせず、逃げて、甘えて…!だから…だからこんな風になったんだわ!」


そう言って泣きじゃくる雨音に、これ以上何を言っても、自分を責めることを止められない、そう思った京平は…、



ギュッ……。



ずっと触れられなかった、触れることを許されなかった雨音を抱き締めた。


そこには確かにぬくもりがあった。


確かに、雨音の心があった。


冷え切った心が温かくなっていく感覚があった。


「一緒に行こう」


一言だけ言った。


けれど…。


「…京平君…」


京平の腕の中で、ぐしゃぐしゃと顔を擦り、大きく深呼吸をした。



「ううん。大丈夫。私はもう一人で逝ける」


そう言うと、一ヶ月間見せることの出来なかった精一杯の笑顔で、雨音は笑った。

その笑顔は、京平が今まで見て来た泣き顔より、痛かった。

その小さな胸で、抱え込んだ一ヶ月。


どんなにひどい裏切られ方をされた人でも、どんなに温かく愛おしい人でも、どちらも連れては逝かないと、雨音は決めた。

自分は地獄に堕ちても構わない。


雨音は、最後にそう決断した。


壊れそうな、でも、涙の無い、とびっきりの笑顔で。






ピ―――――――――。


冷たい機会が、雨音の死を両親に伝えた。

「雨音!嫌!起きて!起きて!」

雨音の母、寛子(ひろこ)が泣き叫んだ。

「寛子…、ゆっくり眠らせてあげよう」

雨音の父は、悲しい気持ちを抑え、雨音の死を受け入れようとしていた。


一ヶ月間、寒い寒い雨に覆われた空のように、雨音は十七年間、寂しかった。


友達は、誰も来ていなかった。

”女子に嫌われてるの”

その言葉は嘘ではなかったのだろう。

きっと、学校で一人寂しく休み時間を過ごし、お昼も一人で食べていたに違いない。


そんな雨音に好かれた一朗は、たまたま一朗だっただけに過ぎないのだろう。

もしかして、誰か別の人が雨音を助けていたら、雨音はその人を好きになったかも知れない。


雨音はそれほどまでに、寂しかったのだ。きっと一人ぼっちでいたのだろう。だから、一朗のような奴でも素敵に見えて、格好良く見えて、優しく感じてしまったのかも知れない。

それは仕方のないことかも知れない。誰だって一人ぼっちは寂しい。一人でも良いから、自分を認めてくれる人が欲しい。

雨音は、そう思ったのだろ。



京平が病院に来ることはなかった。思い返してみれば、何処の病院に入院しているのか、聞きそびれて…聞けないでいた。


眠っている雨音を見たら、京平は雨音と同じくらい悲しくなるはずだ。


『一朗が来てくれることはない』

そう言った、病院での雨音の姿を、京平は見たくなかった。

悲しいだろう。寂しいだろう。切ないだろう。


あの公園で、ずっと流し続けていた涙が、その証だ。


それでも…。





九月二日。

東京は、一ヶ月ぶりに雨が止み、空は晴れ渡った。



朝起きて、晴れていることに気付いた京平は慌てて公園へ向かった。しかし、そこにはもう誰もいなかった。

頭を抱えて、京平は泣き叫んだ。

その涙の瞳に、虹が架かった。

すると、空に架かった虹がシンクロして、聴こえた…気がした。



「ありがとう。京平君。私は本当に悲しかった。けれど、あなたに会えて、最後に笑えた。一ヶ月間、愛おしいこの気持ち、一朗君にも抱いたことはなかった。この胸の鼓動、温もり、教えてくれて、本当に、本当にありがとう…」


そんな、雨音の声が…。



「馬鹿か…雨音…。自分で勝手に現れて、勝手に消えやがって…。僕はどうすりゃ良いんだよ…」

答えはない。

そんな悲しみはもう雨にはならなかった。

もしかして、京平の命の代わりに、雨音はその答えを持って行ってしまったのかも知れない。


二人の幼い恋は、晴れやかな九月の秋の空に、そっと消えて行った。



けれど、恐らく、天国へ逝ったであろう、雨音の心にも、この世界に残された京平の心にも、この一ヶ月の雨の日々は、永遠に消えることはないだろう。

そっと、誰かを愛する心を、雨音は京平に教えて行ったのかも知れない。


”薄情”だと言われていた京平は、あの一ヶ月の間に、すっかり人格が変わり、人の心を大切にするようになった。

傷つけた『好きじゃない』発言も、今は、悪かった、と素直に思えるようになった。

自分に好意を持ってくれる人がいるだけでも奇跡だ。

それを雨音に教わった。

雨音は結局裏切られてしまったけれど、一朗への恋心は確かにあったのだろう。

それに、最後には一朗に勝った(まさった)自分の価値を、京平は誇らしく思えた。


唯、時々思う。連れて行って欲しかった、と。


京平が、雨音のことを忘れるまで…イヤ、想い出に出来るまで、多分相当時間がかかるだろう。

もしかしたら、雨音が京平の心に開けた穴は一生埋めることは出来ないかも知れない。

それほど、あの一ヶ月は京平の人生を大きく変えた。


八月ではなくても、雨が降る度、京平はあの公園に足を運ぶ。

そして、いるはずのない雨音の姿を探しては、フッと笑いが込み上げる。

雨音がよく見せていたように、泣きながら。


京平は雨音が持って行ってしまった”答え”を今日も探す日々だ。

容易く言ってしまえば、京平は、只、雨音が好きだった。

それだけだ。


あんなに嫌いだった雨も、降る度、ふと流れる涙と共に、笑顔に変わる。


薄暗い空。

冷たい空気。

鞄や服を濡らす雫。


そんな雨が大嫌いだった京平だったが、もしも願いが叶うなら、また一ヶ月くらい雨が降り続いて、雨音がちゃんと天国で生きていることを教えてはくれないだろうか…と思ってしまう。


でも、降らなくて良いのかも知れない。

それは、雨音が苦しんでいない証拠だろうから。

誰より、人を好きになる、そんな気持ちを教えてくれた雨音だ。

雨音以外の誰かを好きになったら、それが進めると言うことに繋がるだろう。

忘れる必要はない。

胸の痛みは、きっと誰かの痛みに寄り添うことに役立ってくれるだろう。

何より大切で、京平に欠けていたものだ。


雨音は京平に何度も言った。


『あなたは、優しいのね。心が綺麗なんだわ』

と。


そんな風に言われたのは、初めてだった京平は、自分の中にいた、もう一人の自分を、雨音が見つけてくれたのだと思った。


今は、今は…まだ辛いかも知れない。

一緒に逝きたかった。そんな想いが消えないかも知れない。

それでも、雨音は京平を好きだから、好きになったから、一緒に逝くことを拒んだ。

その高校生とは思えない深い愛が、二人に芽生えたのは確かだ。



君の所に行くまで、どうか幸せに。


冷たい雨に、君が濡れていませんように。


雨と君と僕のラブストーリーは、きっとハッピーエンドだ。

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雨と君と僕のラブストーリー @m-amiya

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