第58話 可愛い仮妻と◯◯式⑥

 落ち込んで悟りを開くかどうかの瀬戸際でバスは目的地へと到着した。どうやら、今回は助かったようだ。



「着いたね、ゆう♪」


「そうだな……」


「降りよ♪」


「そうだな……」



 出発前はあんなに恥ずかしそうに取り乱していたのに、現在は俺が受け入れた為か、絶好調である。代わりに俺の気分は現在進行形で下降している。


 そんな状態の中、由季は俺の右腕を自分の物であるとでも言うように、ぎゅっと凶悪な谷間に挟み込む。


 素晴らしい感触が右腕を覆う中、由季は肩の部分に鼻を近付けてすんすんと匂いを嗅ぎ始めた。


 だが、由季はつまらなそうな顔をして鼻を離す。



「私と同じ匂いがする」


「そりゃ、同じ洗濯機で洗ってるからだろ」


「むぅ……」



 だが、諦めてはいないようで首元に鼻を近付けてきた。そこで、すんすんと匂いを嗅がれると何ともむず痒い感触が……。



「生ゆう……はぁ……」


「前までの俺はテレビ越しか」


「違うよ、パンツ越し……」


「そこ恥じらって言うところじゃないからね?」


「そんなことよりも早く歩いて。私は連結電車に引っ張られる役なんだから」


「はいはい」



 と言っても、行き交う人が多い中で由季が俺の隣や後ろを歩くのは不安で仕方ない。もし、由季が痴漢とかされたら、そいつの顔面を崩壊するまで殴り兼ねない。つまり、前に持っていくべきだ。



「ちょっと失礼」


「なに? わっ!」



 俺は由季の谷間から腕を引っこ抜くと背後に回り込む。左手で太腿を持ち右手で背中を支える様にして持ち上げた。俗に言うお姫様抱っこだ。


 しかし、持ち運びには支障は来たさないと思うが……。



「重くなったか?」


「仕方ないでしょ? ゆうが私の胸を大きくするんだから……」



 確かに先程、感じていた感触からして一理ある。だったら、俺が言うことは一つだ。



「もっと重くして良いよ」


「えっち」


「それを言う由季は変態だな」


「そうだね。えっちと変態で良いコンビネーション」


「嫌なコンビネーションだな……」



 そんな軽口を言いながら俺は歩みを進める。周りにお姫様抱っこをしながら歩いている家族やカップルがいないので沢山の視線を感じるが今更である。


 この沢山の視線なら、由季は瞬時に怯えるのかもしれない。だが、俺の首に腕を回して、直接鼻を首元に擦り付けて匂いを嗅ぐのに夢中になっている為、気付くことはない。



「そんなに良い匂いなのか?」


「良い匂いじゃなくて安心できる匂い……。少し、おやすみ……」


「ここで、寝るのか?」


「くぅ……」


「全く……」



 本当に寝たようで、首に回していた由季の腕の力が抜けた。すると、由季の重さがダイレクトに伝わって来て、俺の腕の負担が増す。


 だけど、その重さが心地良い。


 思えば、由季は滅多に外に出ないから疲れやすいのかもしれない。だから、今は少しだけ寝かせて上げよう。



「おやすみ……」



 俺はそっと由季の額にキスを落とすとゆっくりと歩き始めた。


 その光景を見ていたカップルや夫婦は羨ましいと思い、真似し始めるのだが、彼女の重さに上手く持ち上がらなかったり、彼の優しいキスの仕方が下手ということがあったりと、あちこちで喧嘩が勃発するのだが、由季の寝顔に夢中になっている悠は気付くことはなかった。



 **** ****



 ゆっくりと歩いてから40分ほど経つと、由季は徐に瞼を開けた。



「おはよう……」


「もう少しで着くよ」


「そっか。じゃあ、おやすみ」


「二度寝は許さん」


「嘘だぴょん」



 そうして由季は再び、俺の首に腕を回す。だが、今回は匂いを嗅ごうとはせず、じーっと俺の顔を覗き込んでくる。




「どうした?」


「ゆうを見てるとやっぱり好きだなって思うの」


「知ってる。そうじゃなきゃ、おぶられて寝ることなんて出来ないだろ」


「違いないね。じゃあ、ゆうは私を見てどう思う?」



 そう言われたので俺は由季の顔を覗き込む。寝顔とは違い、見ていることが相手にバレているのはなんともむず痒い。だけど、何を思ったかは分かった。



「俺は由季を見てると幸せにしたくなる」


「どういうこと?」


「世界一幸せな笑顔を浮かべさせたい。俺と付き合って心の底から幸せだって感じさせたい」


「つまり?」


「愛して愛して愛し尽くして、ふにゃふにゃな由季にしたい」


「なぁ……」


「その為なら何だってやる。子供もいっぱい作って、たくさん思い出作って、俺がいないとダメな人間にしてやる」


「ゆう……そんなことされたら私、本当に駄目人間になっちゃう……」


「ところで気付いたんだけど」


「こんな時になに?」


「どうやら俺、好きになった人にはとことん尽くすタイプみたい」



 その時、由季は思った。悠に駄目人間にされる日が来るのは時間の問題だということに。だが、悠も気付かなかった。別の方面での駄目人間になっていく未来の妻のことを。

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