第43話 可愛い仮妻と旅行⑤

「えっと、あの、それは……」



 まさか、由季の想いに応えたいと思った数十分後に夜のお誘いを受けるなんて思いもしなかった。



「ゆう……」



 その張本人である由季は熱に浮かされた表情で俺を見つめてくる。



「ぅ……」



 俺は突然の脱童貞チャンスに震えてならない。


 いつかは、すると思っていた大好きな人由季との初めて。


 それは夢物語のような出来事だと、心のどこかで勝手に思い込んでいた。



「私を安心させる為に……貰って下さい」


「由季……」



 けれど、やっぱり現実だった。由季はこの旅行期間中で俺と一線を超える気でいる。それは生涯のパートナーにすると言っているのと同義だ。



「俺は……」


「でも、嫌なら私は待つから……」



 その悲しげな由季の表情を見て、俺は初めてあった時から今まで見てきた由季の表情が走馬灯のように脳裏に流れた。


 何の興味を示さなかった表情

 初めて俺に興味を示した時の表情

 クスリと笑った時に見せる可愛げな表情

 酷いことを言ってしまった後に見せる悲しげな表情

 イタズラに引っ掛かった時にぷんぷんと怒る表情

 ハグしている時に見せる幸せそうに緩む表情

 キスしている時に見せる真っ赤に染まった表情


 その一つ一つの表情が俺にとっては全てが愛おしい。一緒にいて飽きなくて、ずっと一緒にいたいと思える愛しの彼女。


 そんな彼女が求めてくれるのだ。


 ……覚悟を決めるしかないじゃないか。



「……俺に由季の初めてをくれますか?」


「え……」



 由季は夢でも見ているんじゃないかと頬を抓るが、痛みで反射的に手を離した。そして、ぶわりと涙を滲ませ、力強く抱き付いてくる。



「……はい。ゆうに私の全部あげます……。だから、私にゆうを全部下さい……」


「……あぁ。全部あげるよ……」


「「んっ……」」



 そうして、俺と由季は昂る感情をキスという行為で抑え付け合った。



 **** ****



 やっと気分が落ち着いてきたところで俺は思い出した。由季とする約束はしたものの肝心なものがない。



「買っていくか、あれ……」


「……だ、大丈夫だよ。あれは……」


「え……まさか持って……」


「持ってないよ!」



 心外だと頬を膨らませるが、次第に由季の表情は真っ赤に染まっていく。そして、これから何か重大な発表をするかのようにそれは放たれた。



「初めてはその……直接が良い……」


「それって、な……」


「ダメ!……そういうことは言わなくて良いの」



 由季に口を塞がれて続きの言葉が出なかった。確かに、今のは配慮が足りなかった。反省しよう。



「分かった……」


「よし、じゃあ戻ろ?」


「そ、そうだな」



 俺と由季は店の裏側から抜け出す為に店の角を曲がった。


 その先には……何やら動揺している由佳さんと透さんの二人が立っていた。その二人を見た由季から感情が消え失せた。


 それはもう、初めて会った時以上の感情の無さである。



「由季ちゃん……? 私は何も見ていなかったわ〜」


「これはどう考えても誤魔化せるものじゃないよね?」


「透君? 私は何も見ていないからそもそも……」


「二人とも……」


「「はい!」」



 逃れようとした由佳さんだったが、由季の底冷えする声に当てられ、失敗に終わった。



「当分、口聞かないから」


「そんな……私は由季ちゃんと……」


「何か?」


「……何でもないわ」



 流石にこれ以上は分が悪いと悟った由佳さんは渋々、引き下がった。



「行きましょう、透君」


「そ、そうだね」



 まるで子分を引き連れて行くように由佳さんは透さんを連れて去って行った。


 それを見届けた由季はと言えば、力が抜けて、俺の方に体を預けてきた。



「うぅぅ〜〜〜〜」



 どうやら、二人に今し方のやり取りを聞かれていたのが相当に応えていたようだ。



「絶対に弄られる……。むっつりだって言われるもん……」


「大丈夫だよ。むっつりなんて可愛いもんじゃないか」


「ド変態のゆうとは違うもん」


「ぐふっ……」



 敵味方問わず、的確に抉りに来た由季の攻撃を受けて、俺は崩れ落ちた。

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