第19話 本当の戦い4

 暗い暗い森の中を、数人の衛士たちに先導されながら進んで行く。


 唯一の光源である月明かりも、生い茂る木々やその枝葉によってほとんどが遮られ、たった数メートル先にいる衛士たちに付いて行くのも一苦労だった。


 日本にいた頃は、どんな時でもどこかに明かりがあり、日本で経験してきた真っ暗闇なんてものはまったくの偽物であったことを思い知らされる。


 こんな状態でも、前を歩いている衛士たちが迷うことはない。


 彼等曰く、戦闘面ではさすがに支障が出るが、少なくとも徒歩で進む分には特に問題はないらしい。


 いずれは俺たちもこれくらいできるようになっていないと苦労どころでは済まなくなるかもしれない。


 そんなことw考えているうちに、前方を歩いていた衛士たちが立ち止まった。どうやら牛人族の集落が近いらしい。


 ここからはより慎重に進んでいく必要がある。


 歩くペースを落とし、できる限り音を立てず、周囲の気配に意識を向けながら、先程よりも密集してこの先にある牛人の集落を目指す。


 ふと後方の人たちの様子が気になり後ろをチラリと見た。


 そこにいたのは3人の女子。俺は特に会話をしたことはないが、よく3人で行動しているのを見かける。もしかしたらこの世界の来る以前から知り合いなのかもしれない。


 3人はみな弓と少し小さめの直剣、及び軽めの革鎧を装備し、寄り添うようにして歩いている。


 両端にいる腰が引け気味な2人を中央の1人が先導するような形。暗さで表情は読み取れないが、これから起こる戦闘に対しての怯えか、それともただ単に暗いのが怖いのか。


 いずれにせよ頼りないことには違いなかった。


 今回の夜襲作戦。


 近接武器を用いた戦闘を主に行う人間を中心に構成される部隊が3つ、治癒魔法の扱える人間を中心の後方待機部隊が1つの計4部隊、各部隊10人前後が参加し、敵味方入り乱れて戦うことが予測され、かつ夜間ということもあり、遠距離武器または魔法での狙撃はほとんど役に立たない。


 このため彼女等、特にあの端の2人に関しては参加しないという選択肢もあった。


 しかし、あの中央の1人が作戦参加を表明。それに続く形で他2人も志願し、俺と同じ部隊に所属する運びとなった。


 俺の防御主体の戦い方と相性は悪くはないとは思うが、せめて味方への誤射だけはないようにと祈るばかりだ。


 そして彼女らの更に後方を、ここからは見えないがおそらく歩いている1人、カケルという男。


 ジンガの村を出発する少し前の話し合いにおいて、非協力的な発言をした彼だが、その言葉通り戦闘にだけは参加してくれるらしい。


 その実力は未知数だが、戦うのに十分なだけの肉体は既に備えているように思える。


 また衛士隊の業務もサボることはなく、その不良然とした雰囲気とは対照的に勤勉な印象を受けた。こちらの方は戦力として期待してもいいかもしれない。


 そんなことを考えているうちに前方の衛士たちが立ち止まった。目的の位置まで辿り着いたらしい。


 このことを本隊、隊長が率いている部隊に伝えるために、伝令役である兵士が1人部隊から離脱し、本隊が待機しているであろう場所まで向かった。


 俺たちは本隊からの合図があるまでここで待機となる。


 風もなく、周囲に小動物等の気配もない。周囲からは時折誰かが身じろぎをする以外の音が一切しなくなった。


 これから起こるであろう戦いは、ひと月ほど前の護衛任務の際の戦闘とは比にならないほど激しく、過酷なものとなるだろう。


 殺すか殺されるか。一瞬の迷いが命取りとなる。


 ならば人間性は今は不要か。


 意識を平時とは完全に切り替える。どこか全身を覆っていた何か重苦しいものが外れたような心地がした。


 その後も無言で待機する時間が続く。


 緊張でつい動いてしまいそうになる体を抑えつけるようにしている者。泰然自若とした様子で腕を組んでいる者。


 みなこの手持ち無沙汰な時間をそれぞれ過ごしていた。


 すると突然前方数メートル上空、牛人の集落の真上と推測される位置に向かって、複数の赤い光を放つ玉が昇っていくのが見えた。


 本隊の人間の行使した火の魔法、それが集落のちょうど真上付近まで到達した瞬間、それぞれが一気に膨張した。攻撃開始の合図だ。


 周囲の光量が跳ね上がり、昼間ほどではないが、より遠くのものまで目ではっきりと捉えることができるようになる。


 前にいた衛士たちが一斉に集落に駆け出した。俺もそれに続くように走り始める。


 集落を取り囲むように設置されている木製の柵を飛び越え、一番近い、木の幹や枝、枯れ草などを束ねるようにして作られた竪穴住居ような造りの建物へと侵入していく。


 中までは十分に光が届いてはいないが、物音に反応して起き上がり始めていた数体の牛人たちの首に、衛士たちが問答無用で剣を振り下ろすのが見えた。


 俺も衛士たちに倣い、槍に体重を乗せ、四つん這いで逃げようとしていた1体の牛人の首を後ろから刺し貫く。


 硬い骨の感触と、そしてそれを貫通して肉を裂いていく感覚が槍から伝わってくる。


 牛人の胴体の作りが人間と同じものかどうか分からなかったため、とりあえず首を狙ったが、槍の刃を消耗させないためにもできれば骨で守られていない場所を攻撃すべきか。


 俺は槍をすぐさま引き抜き次の標的を探した。


 逃げ惑う者。恐怖で動けなくなっている者。阿鼻叫喚の建物内を俺たちは蹂躙していく。


 子供だと思われる個体以外を殺し尽くした後、次の建物へと向かい、そこでも先程の惨劇の再現をする。


 2つ目の建物内の掃討が終わり外へと出ると、他の建物内にいたであろう牛人たちが表に出てきており、他の仲間たちとの戦闘が始まっていた。


 甲高い金属音と雄叫びがそこかしこから聞こえてくる。


 牛人たちはみな殺気立った様子で、手に持った剣をその怒りに任せて叩きつけるようして攻撃をしている。


 俺はまず手近なところから加勢に入った。


 完全に目の前の敵しか見えなくなっている1体の牛人の背後から、人間であれば心臓があるはずの位置へと槍を突き刺す。


 ゆっくりと崩れ落ちていく身体。顔だけがこちらを向き、その瞳が恨みがみましく俺を睨みつけていた。


 どうやら今の箇所はちゃんと急所らしい。


 倒れ伏した牛人の背を踏み付けながら槍を引き抜き、次の標的を探そうとした、その時、突如周囲に雷鳴のような轟音が鳴り響いた。


 思わず立ち止まって耳を塞ぎ、音の出所を探す。


 敵味方に関わらず、この集落内の全ての視線がそこに集まっていく。


 その巨体を視界に収めた瞬間、全身に鳥肌が立った。


 自身の身の丈ほどの巨大な金属剣を携え、直立している巨大な牛人の姿に、一斉に雄叫びを上げ始める他の牛人たちと、逆に浮足立つ味方たち。


「狼狽えるな!予定通りあいつは俺たちが引き受ける!」


 隊長を含む本隊の人間3人があの巨大な牛人の周りを取り囲んだ。隊長の檄によって味方たちはなんとか冷静さを取り戻したものの、牛人たちの勢いに押されかけている。


 隊長のあの予定通りという言葉。動揺した味方を落ち着かせるための虚勢のようにも聞こえた。


 果たしてたった3人であの怪物を抑えられるのだろうか。


 しかしそれでも今は任せるしかない。俺は一旦あの3人のことは意識から排除し、周囲の敵の掃討に加わる。


 交戦している味方の援護とは名ばかりの、ただ目の前の相手に気を取られている牛人の背後に回り、その急所に槍を突き刺すだけの卑怯と罵られても仕方のないような方法で、しかし確実に敵の数を減らしていく。


 そうして少しずつだが、こちらが押し始めているように見えた。


 本格的な戦闘が始まるより前に敵戦力を削っておくためにわざわざ夜中の奇襲なんて手段をとったのだから、当然といえば当然。そうなってもらわなければ困るというものだ。


 ただ、俺たちのそんな思惑を、簡単に打ち砕いてくる存在がそこにはいた。


 遠くから伝わってくる地響きと金属同士のぶつかり合う音。そして味方の悲鳴。


 荒ぶるその姿に触発されているのか、数的に劣勢であるにも関わらず、敵の牛人たちの気迫は強まるばかり。


 こちらの方が形勢が不利であるという可能性を念頭に置きつつも、1体、また1体と敵を沈めながら、俺はあの巨大な牛人の様子に注意を向けていた。


 ふと俺とあの巨大な牛人のちょうど中間地点付近で戦っている春風たちの姿が見えた。


 どうやら押されているらしい。それも単純な力負けをしているような様子で敵1体に対して2人で相手をしているような状態だった。


 他の衛士たちにはそんな様子はない。


 そもそも味方の衛士たちの大半はまともな装備をしていなかった。


 彼らは俺たち向こうの世界から来た人間のうち、戦闘に参加しない者から装備を借りてこの戦場に来ている。中には防具を身に着けていない者すらいる。


 それでも牛人とは1対1で十分戦えているところから見ると、未だ俺たち向こうの世界から来た人間と元からこちらの世界の人間である彼らとでは身体能力、戦闘技術共に劣っているらしい。


 加勢に行くべきかどうか。その判断を下すためにひとまず首を振って周囲の状況を確認する。俺が抜けたことでここら一帯の形勢が不利になっては意味がない。


 そうして背後を確認した瞬間、建物付近で2体の牛人、それもそこら辺にある柵の一部を引き抜いたんであろう丸太を手に持った、非戦闘員であることが明らかな敵に苦戦している例の女子3人組が視界に入った。


 負傷した1人を庇うようにしながらもじりじりと建物の壁際へと追い詰められていっている。


 俺はすぐさま援護に向かった。


 素早く近づき、敵の片方を背後から槍で貫く。もう慣れたものだ。


 力なく倒れていく相方の姿に、もう片方の牛人は俺を視界に捉え、吠える。


 俺は一旦距離をとり、槍を構え直す過程で滴る血を払う。


 牛人はすぐに距離を詰めてきた。


 手に持った丸太を上段に構えながら、突撃してくる牛人。ちょうど俺がその丸太の届く範囲に入った瞬間に力いっぱいに丸太を振り下ろしてくる。


 それを俺は足捌きだけで躱しながら、振り下ろされる腕、その手首の辺りに槍の刃先を合わせて滑らせるように動かし、そのまま距離をとった。


 空を切った丸太はそのままの勢いで地面に叩きつけられ、小さな穴を穿つ。そしてその丸太を支えている腕からは血が滴っている。


 その傷はかなり深そうではあったが特に気にならないのか、俺を睨みつける牛人はすぐさま先程と同じように、今度は雄叫びを上げながら突進してきた。


 今度は牛人の接近が先程よりも1歩早いタイミングで回避行動へと移る。


 牛人はそれを視線では追うが、すぐには止まることはできない。それでも必死に身体を制御しようとしているところを、俺は流れるままに槍を操り、その首筋に槍の刃を滑らせた。


 一瞬交錯する2つの影。俺は勢いのまま再び距離をとる。


 そうして牛人の方へ身体を向けた時、牛人は首から血を噴き出しながら崩れ落ちていた。


 人間であれば頸動脈のある位置。やはり胴体部分は見た目だけでなく内側も人と同じか?


 そんなことを考えながら、3人組の方を向き近寄る。他の2人に庇われていた1人の右手首、そこが大きく腫れていた。


 そのせいか武器を持っていない。加えて彼女の腰に携えた鞘は空っぽで、その役割を果たしていなかった。


「あ、ありがとう…」


 手首を抑えながらお礼の言葉を告げられる。他の2人も安堵した様子だったが、そのうち1人の表情は少し歪んでいるようにも見えた。


「どうした?」


 顔を歪めていた彼女にそう尋ねたが、何でもない、と短く返すのみ。


 どこか怪我でもしているのではないかと思ったが、見たところ特に外傷はない。ともすれば内側に何か問題があるのかとも思ったが、いずれにせよ俺に怪我を癒す力はない。


「お前ら、医療部隊の待機場所は把握してるな?」


「う、うん」


「この集落を出る援護はする。それから先は自分たちでなんとかしてくれ」


「…わかった」


 少し不安そうな表情を浮かべる彼女たちだったが、今この状況で戦える俺が抜けるわけにはいかない。


 そうして4人で集落の外へと向かう。その間、3人のうちの1人がどこか上の空で顔を歪めていたのが気になった。


 3人を集落の外へ送り届けた後、戦場へと戻ってきて見た光景に、俺は焦りを覚えた。


 敵味方双方の数が拮抗し始めている。俺が少し抜けた程度でここまで戦況が変化するとは考え辛い。戦場の内からと外からでは見えるものがこんなにも違うということだろうか。


 しかし結論に至るまでの時間はない。俺は急ぎ味方の加勢に入った。


 春風たちの状況が気になる。戦いの中で隙をみてなんとか確認をしてみると、相変わらず苦戦を強いられてはいるものの、とりあえずいつもの3人の無事な姿が見えた。


 それと同時に、彼らが身を置いている状況に戦慄する。


 暴れ狂う巨人。その目の前で彼らは戦っていた。


 こんなことをしている場合ではない。俺は交戦している者たちの横を縫うように突っ切って春風たちのもとへと急ぐ。


 そんな折、横から誰かが吠えるような声がした。


「…!」


 声の方へと向くと、1体の牛人が剣を大きく掲げながら目の前にまで迫って来ていた。


 咄嗟に槍でその振り下ろされる剣を防ぐ。


「…チッ!」


 苛立ちから思わず舌打ちが出た。


 じりじりと敵の剣が槍を押し返してくる。やはり単純な力勝負では勝てそうにない。


 槍を支える腕と踏ん張っていた足に籠めていた力を同時に一気に抜き、身体を横に流す。


 つんのめる牛人の横を、その首筋に槍の刃を入れながら通り過ぎ、そのまま再び春風たちへ向かって走る。


 ようやく春風たちの戦っている辺りまで来た時、その惨状を見て言葉を失った。


 力なく横たわる衛士たち。そのうちのいくつかは人としての形を失ってしまっている。


 建物、木の柵や住居などの倒壊によって散らばった瓦礫の数々。


 まるでこの場所だけが自然災害にでも遭ったかのような景色が広がっていた。


 そして今もこの惨状を生み出した元凶は、とある1人の衛士、ズタボロの姿、至る所が欠けてひび割れた剣でそれでも果敢に戦う男に、右手に持った巨大な剣を叩きつけていた。


 衛士の男はその一撃をまともに受けないよう必死に躱し、時にはいなしながらなんとかまだ立っている。


 俺は一度自分の周囲の状況を確認する。


 接近してくる敵はいないか。やられてしまいそうな者はいないか。


 問題はないと判断し、俺は目の前の怪物の観察へと全力を注ぐ。


 体長はだいたい俺の倍。他の牛人たちと違い、筋骨隆々としたその体躯。腕ですら俺の胴体並の太さに隆起し、その腕で振るわれる剣は刃の部分だけで既に俺の身長を超えていた。


 理不尽にも程がある。思わず出そうになる悪態をぐっと腹に押し込み、今度は奴の動きに注視する。


 攻撃は基本的に単調。その圧倒的な膂力に任せて剣と、剣を持たない左腕を振るう。


 たったそれだけ。だが、それだけあれば全て事足りる。


 そしてその長大なリーチは衛士の男を一切近づけさせず、一方的な攻勢を可能にしていた。


「玄治!?何してんだ!?」


 俺に気付いたのか、どこかから声が聞こえる。


 反応を返している暇はない。敵との圧倒的な個体としての差を少しでも埋めるために手を抜くことは許されない。


 衛士の男の身体が宙を舞った。


 巨人の一撃に、剣は砕け散り、その身体は両断されかけていた。


 ドシャリと着地し地を転がっていく衛士の男。やがてそれは止まり、そこらに転がっている骸の1つとなる。


 その様子を見届けた巨人の瞳がこちらを向いた。


 大きく息を吸う巨人。その直後、特大の咆哮が俺の身体を襲った。


 大気が大きく揺れ、身体がビリビリと痺れるような感覚。後退りそうになる足を必死に抑えながら、ふと頭の中を過った疑念を理性で押し潰す。


 大きく息を吸い、胸の内に溜まった不要なものを全て吐息と共に吐き出す。


 俺は巨人を見据え、一歩、また一歩と歩を進めていく。


 巨人もまた一歩ずつ俺に近寄ってくる。


 俺が巨人を見据えたまま、これ以上距離を詰めないよう、巨人の周りをゆっくりと時計回りに回り始めると、巨人は俺の様子を伺うようにその場に立ち止まった。


 この間に視線は巨人に向けたまま、地面の状況を確認していく。


 そこかしこに転がっている人の身体。おそらくあの巨人に踏み潰されたのだろう、中にはぺしゃんこに潰れているものもある。


 加えて衛士たちが流した血によって、所々湿って柔らかくなっていた。


 ある程度土の状態を確認した後、今度は巨人の方へ完全に正対し、槍を構えて、そのまま足を横に滑らせるようにじりじりと、巨人の周りを回り続ける。


 巨人は相変わらずこちらを伺ったまま。どうしてかはわからないが、俺のことを随分と警戒しているらしい。


 そのまましばらく睨み合いが続く。


 俺は意識して一定のリズムで呼吸を行いながら、ひたすら横歩きをして向こうの出方を伺う。


 俺一人ではどう考えてもあの化け物には勝てない。


 しかし、こうして奴を釘付けにしたまま時間を稼ぎ続けることができれば、俺たち側にも勝機はある。


 次第に巨人が低い唸り声のようなものを上げ始めた。戦闘の始まりを予感する。


 程なくして、痺れを切らしたのだろう、巨人はこちらに向かって突進してきた。


 15メートルはあった距離が一瞬のうちに詰められたことに驚愕しながらも、初撃の右側からの横薙ぎを後方に仰け反りながら軽く飛び退いて躱す。


 着地後、その反動を利用して巨人の右腕側、真正面からちょうど直角の位置に回った。


 俺の動きに反応し、すぐに巨大な剣が迫ってくる。それも先程と同じように躱し、ひたすら同じ位置取りをし続ける。


 槍はあくまで回避のための補助として、巨人の剣戟の軌道をずらすことのみに専念させる。決して攻撃に転じることはない。


 そんなやり取りが数度繰り返された後、苛立ちを露わにしながら、今度は俺のことを掴もうと左手を伸ばしてくる。


 しかし、その腕は空を切る。右腕側の剣での攻撃を確実に避けられる間合いを維持し続けている俺を掴むことなどできるはずがなかった。


 そのことに更に苛立ちを募らせる巨人。


 次の瞬間、何を思ったかいきなり垂直に跳び上がった巨人は、空中で俺に正対するよう体の向きを変え、巨大な剣を頭上へと両手で持ち上げた。


「…!」


 何をする気なのかは分からないが、今の堂々巡りな状況を打開するための一手であることは分かった。反射的に巨人の着地予測地点から全力で距離をとり始める。


 そうこうしているうちに巨人が着地。それと同時に両手に持った剣を地面へと叩きつける。


 大地が割れたかのような衝撃と共に土が舞い上がる。そして深く埋まった巨大な剣を、巨人は水平にし、雄叫びと共に勢いよく振り上げた。


 こちらに吹き飛んでくる大量の土と土塊。俺は顔を左腕で庇いながら、それを避けることに全力を注ぐ。


 土が少しでも目に入ればその時点で詰み。


 目を守るために巨人の姿を一瞬でも視界から外せば、次の瞬間に待っているのは確実な死。


 野生の勘でも働いたのだろうか。それとも先程の衛士との戦闘では技巧を凝らす必要がなかっただけか。


 なんとか躱しながら、迫りくる巨人の姿を捉える。


 初撃と同様の右腕の剣を用いた横薙ぎ。しかし初撃のように余裕を持った回避はできない。


 上体をほとんど後ろに倒れるような勢いで反らしながら、自分の胴体と敵の剣の間に槍を滑り込ませ、下から力を加えてできる限り攻撃を上へと逸らす。


 倒れ込むようにしてなんとか躱しきった俺の胴へと、再び巨人の剣が迫る。


 それを槍の石突の部分と足を地に全力で突いて生まれた推進力でなんとか避け、少し転がった後、立膝の体勢で巨人に正対するところまで持ち直す。


 先程まで俺が倒れ込んでいた場所には、巨大な剣が深く突き刺さっている。それを引き抜き、忌々しいといった様子でこちらを見据える巨人。


 頬を一筋の汗が伝う。生きた心地がしなかった。


 今の一瞬で息は乱れ、心臓が早鐘を打っている。


 戦い方を修正しなければならない。奴がただ剣を馬鹿みたいに振り回す獣ではないことは痛いほど思い知らされた。


 また同じ戦法を用いれば、先程とは違った方法で今度こそ殺されるかもしれない。


 すぐに呼吸を整えて立ち上がり、槍を構え直す。


 敵の攻撃手段を限定することは、彼我の戦力差を考えても必要なこと。


 剣であろうと素手であろうと、奴の一撃をまともにもらえばそこで終わり。ならば、より無力化しやすい方をと考えての先程までの立ち回り。


 しかし奴は、たった一手で俺の目論見の全てを吹き飛ばす。


 化け物は再びこちらに突進を開始。


 次の策は用意できていない。結局同じことをするしかないか。


 ひとまず思考は放棄し、ただ目の前に迫りくる巨人の動きへ全ての意識を集中させる。


 巨人の持つ剣の間合いに俺が入る寸前、突然巨人の動きが止まり、自身の足元へと視線を向けた。


 そこには先程まではなかったはずのものが転がっていた。


 木の矢。鏃すら付いておらず矢柄の先を削って尖らせただけの簡素な作りのそれだが、その先は僅かに赤く染まっている。


 見れば巨人の左ふくらはぎの側面部分にほんの少し赤い液体が垂れていた。


 忌々しいという風にどこかを睨みつける巨人。その視線を追って俺は右を向く。


 そこには先程の女子3人組のうちの1人、集落襲撃前に他の2人に寄りかかられていたあの女。


 彼女はまるで矢を放った後かのように、胸の位置あたりまで上がった腕と力なく垂れる手、そして弓を左手でぶら下げるように持ちながら立っていた。


 あいつがやったのか?どうしてここに?


 いくつも疑問が浮かぶ中、巨人の胸が僅かに膨らむ。


 直後、爆音が俺の身体を襲った。思わず耳を塞ぎ、巨人から距離をとる。


 巨人の視線は完全に彼女を捉えていた。そんな巨人の威圧感にでも気圧されたか、彼女は微妙に腰が引けているようにも見える。


 マズいと思った時には、既に巨人は動き始めていた。矢を放った彼女に向かって肉薄していく。


 咄嗟に俺は右手に持った槍を巨人に向かって全力で投擲していた。


 巨人の腰のあたりに突き刺さる槍。巨人は立ち止まり、今度はこちらに顔を向ける。


 視界に入った武器、そこらに転がっている誰かの剣に反射的に駆け寄って掴み取ると、柄を両手で持ち、巨人に向かって構えた。


 自身の腰に刺さった槍をスッと引き抜いて放り捨てると、巨人は再び俺に正対した。


 俺の胸中は余計なことをした女への怒りと、諦念が湧き上っていた。


 圧倒的な戦力差の上、使い慣れていない武器の使用。奴の近くに転がっている俺の槍を回収できればいいが、そんなことは許されないだろう。


 こんな状態では時間稼ぎすらままならない。


 勝負は決したようなものだ。少なくともここで俺は死ぬ。


 未練ったらしく何武器なんか構えてんだ?これ以上頑張って何がある?


 それでも構えを解くことはできなかった。


 雄叫びを上げながら、巨人が迫ってくる。


 振り下ろされる巨剣。それに合わせるように巨剣の側面に自身の剣を叩きつけつつ、サイドステップで巨人の右腕側へと移動する。


 嫌な音がした。掌から伝わる衝撃も尋常ではない。


 刃が大きく欠け、剣を落としそうになる。


 続く2撃目の横薙ぎ。剣のリーチの短さのせいで十分な間合いがとれていない。


 俺は右手のみで柄を持ちながら、左腕を刀身の腹の部分にあてがって盾のように構え、上体を反らし始める。そして剣と交錯する瞬間、衝撃を受け流すために、巨剣からの衝撃に逆らわずに跳び退いた。


 ギリリッと巨剣が俺の剣の腹を削る嫌な音が一瞬辺りに響く中、俺はなんとか転ばずに着地することに成功する。しかし、巨人の追撃が既にすぐそこまで迫ってきていた。


 反射的に身構えた瞬間、木の矢が巨人の右頬に突き刺さった。


 今度はたまらずよろめく巨人。刺さった矢を左手で握り締めて乱暴に引き抜き、激しい怒りの色を露わにしながら射手を睨みつける。


 この隙に欠けてひびが入っている剣を捨てて別の剣を拾いつつ、自分の槍が落ちている場所を確認し攻撃を仕掛ける。


 戦闘に参加するつもりなら、彼女には役に立ってもらわなくてはならない。近接戦闘に期待できない彼女に巨人を近づけさせるわけにはいかなかった。


 俺の接近に気付き、咄嗟に右手の巨剣を振り上げてくる。それを今度は巨人の左腕側に躱し、ひとまず彼女を巨人の視界から外す。


 さて、もうひと踏ん張りといくか。

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