第16話 本当の戦い1

 相手チームのコーナーキック。キッカーがコーナーにボールを設置し、助走のためにボールから距離をとる。


 ペナルティエリアを示す白い白線の長辺付近には既に相手の選手がそれぞれのポジションにつき始めている。


 味方の選手もそれに合わせて自身が担当する相手選手を見つけ、キッカーの助走に合わせて走り込んでくるであろう彼等に備え、ポジションをゴールと相手選手を結んだ対角線上に常にいられるように位置を微修正し続ける。


 主審のホイッスルがコート中に鳴り響いた。ゆっくりとした助走の後にキッカーの足が勢いよくボールと衝突する。


 低い軌道で放たれたボールがゴール前で忙しなく体をぶつけ合ってポジション争いをしている集団に吸い込まれるように接近していく。


 落下地点にいる味方と敵の競り合いの末、ボールはペナルティエリアの外に弾き出された。それを拾うために敵味方含めた数人がボール目掛けて殺到する。


 俺も万が一のために少しボールに寄っていく。本来ならあまりお勧めできない行動ではあるのだが、仕方がない。


 初めにボールに触れたのは味方の選手だった。しかし足元にボールを収めている余裕がないために、苦し紛れながら更に外へ、腰の辺りまで弾んでいたボールをそのまま蹴り出す。


 俺はそのこぼれたボールをいちはやく足元に収めることに成功した。背後には敵ディフェンダーがいて体を寄せてくるものの、1人だけだ。ボールキープするための余裕は十分にある。


 ただ、ボールを収めた位置がさすがに低すぎた。攻撃に参加していた敵選手との距離が近い。時間的余裕はあまりないだろう。


 この後の俺の行動として考えられる選択肢は主に2つだが、そのうち1つはあまりにもリスクが大きい気がする。


 そう考えて俺は、背後に背負った敵ディフェンダーを体を上手く当てながら足の外側でボールを操って抜き、自分が目指すゴールの方向へと体を向けてドリブルを開始する。


 遠くにゴールと、そしてそれを守護するキーパーの選手が見える。ただ俺とそのキーパーとの間にはもう1人ディフェンダーの選手がおり、ゴールへと迫るにはまずそれをどうにかしないといけない。


 ただここで、俺が下がり過ぎたことによる影響が表れていた。その最終ラインを形成している敵センターバックとの距離がかなりできていたのだ。


 これ幸いにとドリブルのスピードを上げる。もう既に先程まで背後にいたディフェンダーなど気にならない。


 前方の敵ディフェンダーがたまらず下がっていくのが見えた。ここで首を振って周囲の状況を確認すると、敵サイドバックの選手2人も連動して下がりながら内側に寄ってきているのが分かる。しかし彼等にはそれぞれ自身が担当するマークがおり、俺に寄せてくることができないようだ。


 それならこのまま1人でゴール前までボールを運ぶことができるだろう。


 自分の出せる限界のドリブルスピードまで一直線に目指す。


 ハーフラインを越え、更に突き進んでそろそろセンターサークルを越えるかどうかという位置。


 敵センターバックはこのままではマズいことを察知したのだろう。下がるスピードを落とし、俺との距離を縮め始めた。


 そうしてどんどんと距離が詰まっていく。ただもう手遅れだろう。


 普通ならボールを持った選手と持っていない選手が並走した場合、持っていない選手の方が速いはずで、マークについた選手にプレスをかけてもらえばひとまずの対応としては十分であったはずだった。しかし、身体能力、特に今回は走力の面で俺と俺のマークについた選手とで差がありすぎたのだ。


 後ろ向きで走っている敵センターバックの真横目掛けて、胴体ほどの高さにまで上がるようボールを蹴り上げた。


 ボールは目の前の相手がちょうど手を思いっきり横に伸ばせば届きそうなくらいの位置を抜けていく。そしてそのすぐ後に俺も続いた。


 そうして彼を抜き去る。あの体勢からでは追いつくことも難しいだろう。


 残るはキーパーとの一対一。


 キーパーはペナルティエリアに入ってすぐの位置にいたが、仲間が簡単に抜かれたことで完全に浮足立っていた。


 キーパーとの距離を詰めすぎるべきではないと判断し、コースを決めてすぐにシュートを放つ。


 ボールは緩くカーブしながらゴール右端へと吸い込まれていく。キーパーはそれをただただ目で追いかけることしかできなかった。


 コート中にホイッスルが鳴り響く。


 俺は得点した喜びで、気づけば小さくガッツポーズをしていた。














 とある宿の一室。


 ベッドの上で目を覚ました俺は、ゆっくりと体を起こしてベッドから降りると、体の筋肉をほぐすために、ゆっくりとストレッチを行う。


 伸ばしたいと思ったところを適当に伸ばして、動かしたいと思ったところを適当に動かす。


「ふぁーぁ…」


 大きな欠伸が出た。


 俺がいまやっているストレッチは、体の柔軟性を高めるためのものではなく、頭と体を起こすためのもの。多少寝ぼけていようと全身へ血を巡らせるだけなら特に支障はない。


 この村に来て、もうすぐで1か月。この村での生活にもすっかり慣れ、来た当初は感じていた、住民たちからの余所者扱い感もほとんどなくなった。


 この村では、この村に来る以前の、あの慌ただしい生活とは打って変わって、かなりゆったりとした生活を送れている。


 いやもしかしたら、この世界そのものに馴染んできて、やっと精神的な余裕が生まれたのかもしれない。


 ある程度頭が覚醒してきたところでストレッチを止め、服を着替えると、部屋から出て鍵を閉め、宿のフロントへと向かう。


「おはようございます」


 フロントにいた係員の女性が抑え気味の声で挨拶をしてくれる。俺はそれに会釈で応えた後、部屋の鍵を渡し、預けていた槍を受け取って、そのまま宿から出た。


 まだ薄暗く、人通りもない中、1人槍を携えて村の門へと歩を進めていく。


 門をくぐると、目の前には広々とした草原が広がっている。


 体に当たる風が少し肌寒くも心地いい。


 片手で持っていた槍を両手に持ち直し、体を動かし始める。


 まずは体を温めなければ。ジンガの村で行っていた対人訓練を思い出す。


 クザを含め、たくさんの人と何度も手合わせをした。普段のイメージトレーニングも相まって、彼等の動きはほとんど把握してしまっている。


 相手をイメージし、それに合わせて足を動かす。そしてその足の動きに連動するように槍を操り相手の攻撃を捌く。


 今はまだ反撃はしない。これはあくまで体を温めるためのものだ。それに俺の場合、攻撃に転じようとするとボロが出る。これは槍を修練を始めてまだ2か月にも満たないのだから仕方のないことだ。単独での戦闘なんてなかなかするものでもないし、今のところは、攻撃は仲間に任せればいいだろう。


 俺はひたすら守りに徹し、敵の攻撃の隙を付いてジャブ程度の攻撃でも加えられればそれで充分だ。


 体が温め終わった後は、防御と攻撃の修練をだいたい8対2くらいの割合で行う。とはいっても厳密に決めているわけではない。


 防御の方がノってくればそのまま続けるし、逆もまた然りだ。


 俺はそのままひたすら槍の修練に打ち込む。


カーン、カーン…


 遠くから鐘の鳴る音が聞こえた。辺りは先程宿を出た時よりも明るくなってきていた。


 槍の修練を止め、村の門の方へと戻り、門をくぐる。人通りも目に見えて増え、あちこちから挨拶を交わす声が聞こえる。


 俺はそれらを尻目に宿へと戻り、受付の人に槍を預けて鍵をもらい、自分の部屋へと帰ってきた。


 そこで用意していた布を持ち、部屋の外にある、共用の手洗い場で布を濡らして適当に絞り、再び部屋に戻ると、服を脱ぎ捨て、体、特に汗を多くかいた場所を重点的にその布で拭いていく。


 元の世界のビジネスホテルかなんかであれば、部屋ごとに備え付けの風呂場でシャワーを浴びることができるが、この世界ではそんな水道設備を整えるのは難しいらしい。一応風呂場はあるが、共用のもので、しかもこんな朝から開放はされていない。


 そして今度は脱ぎ捨てた汗まみれの服を持ち、宿の外にある洗濯場まで行って自分で手洗いを始める。


 こんな文明の進んでいない世界において、洗濯機なんてものがあるわけもない。今は寒くないから楽なものだが、この世界にも寒冷期というものはあるらしい。どの程度の寒さなのかは分からないが、もし日本の冬並みであるとすると、毎日これを行うのは非常に辛そうだ。


 洗い終わった服を軽く絞り、部屋まで持って帰ってくる。


 これで俺がこの世界に来てからの毎朝の日課は終了した。


 そろそろ宿の食堂が開く頃だろう。今部屋を出れば、おそらく春風たちとも顔を合わせることになる。


 彼らに俺の毎朝の日課のことは伝えていないし、彼らも知らないだろう。知れば自分も参加しようとするに違いない。


 俺はあまり自分のことを他人に話すのは好きじゃなかった。話したって、特に面白いことなんかないだろうから。








 仲間たちとの食事を終え、身支度を整えて宿の受付へと向かうと、既に春風たちいつもの3人は準備を終えて集まってきていた。みんな剣や盾、そしてこの村へ来てやっと購入できた、なめした獣の皮と鉄木を用いた鎧を装備している。


 この鎧があれば、森狼等の中型動物の牙や爪なんかにもそれなりに耐えることができるだろう。


「うーい、お待たせー」


「お、玄治。んじゃ行こうぜ」


 いつものように、4人集まって衛士隊の詰所でと向かう。


「ん?なんか騒がしくねぇか?」


「うん、なんか向こうの方で少し人だかりができてるね」


 宿の扉を開けた直後、外から聞こえてくるなにやら叫んでいるような声。その声が聞こえる方向を見ると、村の中央広場を少しはずれたところには涼真の言う通りたくさんの人が集まって何かをしているというか、何か揉め事が起きているような雰囲気が伝わってくる。少なくとも、どこぞの旅芸人が芸を披露して群衆を沸かせているといったようなものではなさそうだ。


 通りにいる、あの群衆に加わっていない村の人たちも、俺たちのように遠巻きに眺めながらひそひそと会話をしている。


「どうする?行ってみるか?」


 俺としては、無視してさっさと詰所の方へ向かいたかったが、おそらく春風なら。


「…あぁ、ちょっと行ってみよう」


 春風はそう言うと、先陣切って人だかりに向かって歩いていく。春風のこの判断は他の2人も予想していたようで、俺たち3人は少し苦笑いをしながら顔を見合わせ、春風に続いた。


 人だかりに近づいていくにつれて、ぼそぼそとした何人かの話し声と共に、奥からは、


「仲間を失い、彼らがどれほど悲しんでいることか。それを理解しようとしないお前たちには受けて当然の報いだろ!」


「それこそ当然の報いだろうが!あいつらがどれだけ人を殺してきたと思ってる!」


「人間側だけが失ってきたわけじゃない!互いに痛み分け、それでよかったじゃないか!」


 と怒気混じりの言葉が響いてくる。だがさすがにそれらの言葉だけでは、何の言い争いをしているのかまでは分かりそうにない。


 ひとまずは3人に遅れないよう後に付いて行く。


 そうして人ごみに端まで到達すると、そのまま春風は迷わず人を掻き分けて内側へと進んで行こうとする。


「ちょ、春風!?」


「はぁー、行くしかないか…」


 問答無用で人ごみの中を行こうとする春風に戸惑いながらも、拓海と涼真はそれに続いていく。


 慎重で穏やかな性格の春風にしては、軽率かつ乱暴な行動だ。まずは近くの人に状況を訊くくらいのことはしても良いと思うのだが、何かしら理由があっての行動だろうか。


 正直面倒だが、俺も行くしかないだろう。春風たちに怪我などをされては後々に差し支える。


 押し退けられ、心底不愉快そうな表情をする者や、抵抗し、逆に春風を押し出そうとする者もいたが、それらを全て無視して春風は突き進んでいく。


 そんな彼の開けた道を少し萎縮しながらも進んでいく前の2人。俺に対しても、非難の視線を向ける村人が時折いたが、手まで出してはこないようなので特に問題はない。


 そうして俺自身は特に苦労もないまま、人ごみを抜けていき、俺たち4人は一番前にまで到達した。


 周囲から刺さる視線を拓海と涼真しきりに気にしているようだったが、春風はそんなことを気にする素振りすらなく、言い合いをしている2人の男たちに近づこうとしていた。


「いや、待った待った!さすがにあそこに混ざるのはマズいって!」


「そうだよ春風。ちょっと落ち着こう?」


「…ううん、大丈夫。3人はここで待ってて」


 目の前で今も言い合いを繰り広げている2人の男たちには聞こえないように声を絞りながら腕を掴み、春風を止める拓海と涼真。しかし彼らの必死の説得も無意味に終わりそうだ。


 俺は、結構近くにいるにも関わらず全くこちらに気付くことのない2人の男たちを観察する。


 片方は、衛士隊で度々見かけたことのある男。体格はだいたい俺と同じくらいで、いつも陰鬱とした表情を浮かべていたのが印象的だった。暗い表情のお面でも張り付いたまま取れなくなってしまったんじゃないかと思わせるような人間は衛士隊の中にはたくさんいるが、彼はその中でも特に酷かった。


 しかし今の彼は、そんな普段とは打って変わって鬼のような形相で、ただひたすら相手に怒りをぶつけている。その熱量は一体どこに隠し持っていたのか。


 もう片方の男は、どこかで見たことがあるような気がするが、はっきりとは思い出せない。


 相手の男に殴られでもしたのか、左頬が赤く腫れており、口の端には少し血が滲んでいるように見える。


 彼はその優男然とした顔に似合わずすごい形相で、ひたすら自身の主張を叫び続けていた。


 そんな2人の間に割って入っていこうとする春風。


 拓海と涼真は春風ことが心配なのか、春風の後ろに付くようにしている。とりあえず俺も様子を見ておくか。


 少し出遅れた俺は、小走り気味で後に続いた。


「2人とも、一旦落ち着いてください!」


 今にも殴り合いが始まりそうだった2人の間に強引に割って入り、2人の距離を離そうとする春風。


「あぁ!?なんっ、あぁなんだお前か。悪いけど関係ないやつは引っ込んでてくれ」


「あぁ、今大事なところなんだ。邪魔しないでくれないか」


 2人は春風の静止の言葉を一蹴し、強引に手で押し退けようとする。だが春風はその手をするりと躱すように、2人の間から自ら退いたと思うと、すぐに距離を詰める。ただ今度は2人の間までは行かず、その手前で止まった。そんな春風を、さすがに2人は無視できないでいる。


「もう一度聞きます。一体何があったんですか?」


 直立不動のまま、2人を見据える春風。俺がいる場所からは彼の顔を見ることはできないが、その背中からは訳を話すまでここから離れないという意思がひしひしと伝わってくる。


「…!チッ、ほんとあいつみたいなやつだなお前は…。はぁ、わかったよ、説明してやる。さっきはつい無関係って言っちまったが、この村にいる以上お前たちにも関係のあることかもしれないしな」


「待て。俺たちの話はまだ終わってないだろ」


「ならお前にはこいつを引かせられるか?」


 春風の方に目配せしながら、もう一人の男に尋ねる。もう一人の男は春風を少しの間睨みつけるようにした後、


「…やめておく」


 と忌々しそうに呟いた。彼のその言葉に春風も多少は安心したのだろうか。その直立不動の姿勢を少し緩めたように見えた。


「…さて、それじゃあ…」


 相手の言葉を受け、俺が顔を知っている方の男が周囲に集まった人たちを見回しながら、少し苦い顔をしている。そんな彼の視線が突然一点を見つめて静止した。


「…村長」


 彼の視線を追ってみるとそこには村長が頭を掻きながら、にへらと笑っていた。


「いやぁ申し訳ない。本来なら村長であるこの私が真っ先に事に当たらねばならないというのに、随分と到着が遅れてしまいました。それで今回のこれは一体何が原因なのでしょうか。恥ずかしながら、ほんの今しがた到着したばかりで何も分からないのです」


 村長からは緊張感の欠片も感じられない。先程まで凄まじい剣幕で言い争っていた2人は、唖然として言葉が出ないでいた。


「あぁそうだ。ちょっと待ってください。はーいみなさん、ここは私が受け持ちますから解散してくださーい。解散でーす。かいさーん」


 村長のその言葉に、集まっていた人たちは毒気を抜かれたようにぱらぱらと散っていく。


 もはやこの場に、あの剣呑とした空気は一切残っていなかった。


「さて、それでは説明お願いしてもいいでしょうか」


「あ、あぁ。衛士隊で備蓄していた装備品の修理がどのくらい終わってるか確かめに、そこの鍛冶屋を訪ねたんだが…」








 早朝、とある衛士の男がとある建物の前で立っていた。


 彼はチラとその建物の屋根から伸びている煙突を見た。今は煙が上がっていない。


 その後、目の前にある扉を3回ほど叩き、建物の中からの返事を待ってからその扉を開け、中へと足を踏み入れた。


 金属や鉄木でできた大小様々な剣や盾、鎧などが並べてある建物内を軽く見渡しながら、少しずつ奥へと進んで行く男。すると突然奥の扉が開き、そこから1人の若い男、この建物の主であり鍛冶師、が姿を見せる。


 彼は衛士の男の顔を見るなり、少し顔を歪めた。


「何か御用ですか」


「あ、あぁ、この間預けた装備の修繕がどのくらい進んだのか、一度確認したいんだが…」


「それなら、ほとんど手を付けていません」


「は?」


「ですから、修繕は全くしていないと言ったんです」


「…どういうことだ。前払い分の金だってしっかり払ったはずだ」


「でしたらそれも全て今ここでお返しします」


 そう言い残して、男は先程の扉をくぐって奥へと行ってしまう。その場に残された衛士の男は訳が分からないといった面持ちで男が消えた扉の方を茫然と眺めていた。


 扉の向こうから、なにやらガチャガチャとした音が響いてくる。そうして扉が勢いよく開き、中から先程の男がパンパンに膨み、所々破けて剣の刃などが出てしまっている麻袋のようなものを引き摺りながら現れた。


 彼は扉の前にそれを置いて再び扉の中へと消えていく。ガチャガチャとした音が再び響き始めた。


 それが何度か繰り返された後、


「はい、これ」


 と言って衛士の男にお金を手渡す。


「装備もほら、邪魔だし早く持って行ってくれません?」


 衛士の男は、乱雑に置かれた袋の前までゆっくりと歩いていき、中を確認する。刃の部分の欠けた剣や破れたままの革鎧。他にもたくさんの傷んだ装備が中には詰まっていた。


 言葉を失う衛士の男。鍛冶師の男の言葉の通り、一切の修繕が行われていないことは明らかであった。


「どうして修繕をしてくれないんだ。俺たちが何か気に障るようなことでもしたか?」


「…なるほど。まぁ心当たりがないのは当然といえば当然か。では、あなたの目の前にあるそのたくさんの武具はどうしてそんなにもボロボロなんです?」


「そりゃあ敵と戦うのが仕事だからな。当然傷みもするだろ」


「一体どんな敵と戦ったんです?」


「そこら辺にいる野生生物とか、あとは牛人とか…」


 牛人という単語に、ずっと無表情を貫いていた鍛冶師の男の顔に一瞬皺が寄った。そしてすぐにまた先程までと同じ無表情に戻る。


「では次の質問です。どうして突然こんなにも多くの武具の修繕が必要になったのですか?」


 鍛冶師のこの質問に、衛士の男の表情が気まずそうなものに変わる。


「…牛人たちと、ちょっと今までよりも規模の大きい戦闘があったからだ。多くの兵士が犠牲になった。お前だって知ってるだろ」


「ええ、それはもちろん。ですが、それにしたってさすがにこの量は少し多すぎませんか?それにそれらはほとんどが備蓄用の比較的安価なもの。私があなた方それぞれに合わせて制作したものは一体どこへやったんです?」


 鍛冶師の男の質問攻めに、衛士の男は口から大きく息を吐き出すと、少し表情を緩めた。


「わかった、正直に言う。お前に作ってもらったものは俺以外の兵士のものも含め、例の遭遇戦時に牛人のリーダーらしきやつに軒並みへし折られた。備蓄用の装備を使ったのはその後も牛人たちと何度も交戦したからだ」


「フッ、交戦ね。闇討ちの間違いでは?」


 鍛冶師の男は、衛士の男を嘲るように口を横に広げた。だが、その目は変わらず衛士の男を視界に捉えたまま、目に見えない圧力をかけ続けている。


「…!なんだ、そこまで知ってたのなら、わざわざこんな焦らすような真似しなくてもよかったじゃないか。悪かったよ、お前が丹精込めて作った装備をこんな粗末に扱って」


「…いいえ。あぁいや確かに私が必死に作り出したものがここまでボロボロになってしまったことは残念ではありますが、武器とは元々消耗品。どれだけ大切に扱ったとしてもいずれは壊れます。あなたたちが装備を雑に扱ったことなんて大した問題ではないんですよ」


「…は?じゃあお前は俺たちの何に対して不満があるんだ?」


「…はぁ、今は理解できないのも無理はないか…」


 鍛冶師の男はそう小さく呟き、肩を落とす。


「ん、どうした?何か言ったか?」


「いえなんでも。それより私がなぜ武具の修繕を行わないかでしたね。あなたを含めた衛士隊の方たちは牛人たち、私の友人たちを非道な方法で何人も、何人も殺した。私にはそれが許せない」


 先程まで無表情だった鍛冶師の顔が少しずつ歪み、怒りに染まっていく。


「は?何を言ってる?あの化け物共が友人だと?」


「化け物ではない!彼等は俺たちと同じように心を持った存在なんだ!それをあなたたちはただ恨みに任せて殺した。…もう、あなたたちのために仕事をする気はない」


「はぁ?お前どっかで頭でも打ったのか?あんな化け物共が俺たちと同じなわけないだろうが」


「同じだよ。彼等も俺たちのように喜び、悲しむ。見た目や言葉は違っても本質に差はない。あなたたちも彼等と接してみれば分かるさ。…もっとも、もう遅いだろうが」


「…もう遅いってどういう意味だ」


「そのままの意味だ。牛人たちは既に報復のための準備を進めている。理不尽に仲間の命が奪われたんだ。黙っていられるはずがない」


「報復だと…?まさかあいつらこの村を襲う気なのか!?」


「さぁ、そこまでは」


 おどけたように肩をすくめ、嘲るように笑みを浮かべる鍛冶師の男。そんな男の様子に苛立ったのか、衛士の男は鍛冶師の男に詰め寄り、胸倉を掴んで体を引き寄せる。


「てめぇふざけてんじゃねぇぞ。やつらの襲撃を知っててお前は装備の修繕をしないって言うのか」


「大丈夫、彼らはあなたたちと違ってちゃんと弁えている。武装していない人間の命までは奪わないだろう」


「そんな保証がどこにあるってんだ。…いいか、あいつらはただの化け物だ。ふざけたこと言ってないでさっさと治しやがれ」


 鍛冶師の服を掴む手に更なる力を籠め、青筋を立てながらドスの利いた声を出す衛士の男。


「断る」


 大きく振りかぶった拳が鍛冶師の男の左頬を襲った。その衝撃でよろめき、背後にあった盾を飾っていた台にぶつかってしまう。グラグラと盾が揺れ、ガシャンと床に落ちた。


「チッ。おい、表出ろ」


 顎を小さく動かし、建物の外へ出るよう促し、扉に向かって歩いていく衛士の男。


 台に倒れかかっていた鍛冶師の男は体勢を立て直し、床に落ちている盾を先程まで載っていた台の上に無造作に置くと、衛士の男の後に続くように扉へと向かった。

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