第15話 2つ目の村2

 村に到着してから数日が経った。


 あの後、衛士隊の入隊試験を無事に合格し、衛士隊への入隊が叶った俺たちは、その日に大まかな業務内容を伝えられ、すぐさまそれぞれ先輩に連れられて、仕事へと移っていった。


 ただ、やはりお金という問題は避けては通れず、なんとか衛士隊の隊長に頼み込んで、給料の前借りという形でそこそこまとまったお金を支給してもらうことができた。


 そうして定住できる宿を確保し、ちゃんとした食事と寝床を得ることのできた俺たちは、その前借りした金額分の働きをするため、そしてなにより自らがより強くなるために働いていた。


 今日もいつも通り、業務開始前に衛士隊の詰め所の前に衛士全員が集合し、今日行う業務についての説明が行われている。


 この場に集まったのは、この村の衛士の人たち約30人と俺、玄治、拓海、涼真、そして、ジンガの村出発の数日前に行った話し合いにおいて、非協力的な発言をしたカケルを含めた8人の仲間たち。


 周囲には張り詰めた空気が漂い、隊長以外の声はない。それは俺や他の仲間たちではなく、周囲の兵士たちによるもの。そして原因は前にいる隊長が特別厳しい人であるとかそんな可愛いものでは決してないだろう。


 少しの寂しさと、そして圧倒的な気まずさ。


 ほんの数週間前の、ジンガたちと訓練に励んでいた頃が酷く懐かしく思える。


 修練場のあちこちから聞こえる気合いの籠った声と、鳴り止まぬ剣戟の音。


 しかし、そんなものはここ数日一度も耳にしていない。


 この詰所の裏には、公立中学校の体育館くらいの小さな修練場らしき施設があるが、その扉は縄で固く閉ざされ、細かい砂や埃が溜まっていた。取っ手にも塵が薄くもしっかりと張り付いている。この施設が長く使われていない証拠だ。当然、中からは物音一つしない。


 そうして隊長からの話が終わり、それぞれが自身の業務へと移っていく。


 今日の俺たちの業務は、相変わらず村の周辺警護らしい。そろそろ戦闘主体の業務にも参加したいものだが、そういったものは、兵士たちの中でも特に実力のあるメンバーだけで行われ、俺たちは参加させてもらえない。


 兵士の1人とペアを組み、ただひたすら村の周りをぐるぐると回り、何か異変はないか探し続ける。


「…なんか、悪いな」


「え?」


 業務の最中、ペアを組んでいた兵士がぽつりと謝罪の言葉を零した。一体何のことだろうか。


「…朝のあの空気のことだよ。部外者のお前たちにいつもいらない気苦労をかけてるだろ」


 少し下の方に視線を送りながら、ぶっきらぼうにそう言い放つ。


「あ、あぁいえ。むしろこちらの方こそ、急に押しかけてしまって…」


「いや、それについてはむしろ助かっているところだ。お前たちが来てくれなければ人手不足でもっと酷いことになっていた」


「そうですか。それならよかったです…」


 そうして会話が途切れ、少しの沈黙が続いた後、再び彼が口を開いた。


「以前はあんな感じじゃなかった…。ただ、お前たちが来る少し前のことだ。衛士隊の前任の隊長が戦いで命を落とした」


 ぽつりぽつりと、衛士隊の事情を話していく。その内容は、今まで気にはなっていたものの、訊けないままでいたことだった。


 俺たちが今滞在しているこの村の近くにある森には、牛人と呼ばれる化け物の集落が存在する。姿形は人間にそっくりな、首から上だけが牛の化け物。


 そんな奴らが何十と集まり、そこら一帯に住み着いてしまった。


 食料や資材など、様々な森の恵みを享受していた村人たちにとって、牛人たちはそんな恩恵を横から掠め取ろうとする侵略者のようなもの。


 怪物としての容貌も相まって、村人たちは牛人たちを受け入れられず、今まで幾度となく衝突を続けてきた。


 そうして月日は経ち、俺たちがこの村を訪れる少し前のこと。


 当時の衛士隊の隊長と今俺がペアを組んでいる兵士を含んだ十数人の部隊が普段通り、狩猟の業務を行っていたところ、牛人の一団と遭遇。交戦することになった。


「敵の一団の中にな、一際でかい奴がいたんだ。そいつは馬鹿でかい剣を無茶苦茶に振り回して、仲間たちを次々と殺していった。…ふざけた話だ。剣も盾も鎧も、たった一振りで何もかも壊していきやがった…!」


 顔を歪め、右手を強く握りしめながらも彼は話を続ける。もしかしたら当時の情景を思い出してしまっているのかもしれない。


 その後も彼の話は続く。


 壊滅寸前まで追い込まれた部隊をなんとか撤退させるため、当時の隊長は自身を囮として敵の一団を一手に引き受けた。


 結果、残存兵たちは撤退に成功。その後、隊長の帰りを待ち続けたものの、一向に姿は見えず。


 遺体の回収すらできないまま今に至るというわけらしい。


「あいつは俺たちに行く先を示し、導いてくれる存在だった。残された俺たちだけでは、何をするべきなのか、その判断ができない。腑抜けの集団の完成ってわけだ」


「……」


 なんて言葉を返したら良いのだろうか。


 身近な人間を戦いで亡くすということが一体どういうことなのか。それを経験したことのない俺では、彼の心情を推し量ることができない。


 それでも何とか言葉を捻りだそうとしていると、俺の様子に気付いた彼は、深く息を吐きだすと、


「いや悪い、こんな話を聞かせようと思っていたわけじゃないんだ。今の話はどうか忘れてくれ」


 穏やかな表情で、そんな言葉を俺にかけてくれる。無理やり作った表情であることは明らかだった。そんな彼に、未だ返す言葉が見つからない自分が情けなく思えてくる。


 せめて俺も、できるだけ気にしていない風を装い、言葉を返そう。


「…大丈夫です、お気遣いありがとうございます」


「…それでな、俺が言おうとしたことってのはだな。…あぁその前に、お前が最近村へやってきた連中の頭って認識で合ってるか?」


「あぁはい。一応そうなりますね」


「…やっぱりな。お前の雰囲気が、なんとなくあいつに似てるような気がしたもんだから、そうじゃないかとは思ってたんだ」


 雰囲気が似ている…か。まぁあくまで似ているだけなんだろう。彼の話を聞く限りでは、前任の隊長は圧倒的な実力と求心力を持った、偉大な人だったようだが、俺ではその足元にも及ばない気がする。


「それじゃあ話を戻そう。集団を率いる者として、あいつは1つ間違いを犯した。お前にはそれが何かわかるか?」


 間違い?これまでの彼の話の中では、前任の隊長に間違いらしい間違いがあったようには思えない。


「…わかりません」


「まぁそうだろうな。どちらかといえば、今から俺が言おうとしていることの方がよっぽど間違ったことに聞こえると思う。…間違いってのはな。あいつが自分を犠牲にして仲間を助けたことだ」


「…!それのどこが間違いなんですか」


 言葉にほんの少し怒気が籠る。


 自分を犠牲にして仲間を救うこと。とても難しいことではあると思うけど、これが間違いだなんてことは絶対にないはずだし、俺もいずれそういう選択を迫られた時、迷わず自身を犠牲にできるような、そんな強い人間になりたいと思っていた。


 それに、最期の選択を間違いだと言うのは、亡き友人に対してあまりにも酷い言い草ではないだろうか。


「フフッ、もちろん人としてあいつは正しい行動をした。だけどな、集団を先導する者ってのは、その集団の終わりまでその務めを果たさなければならない。死んじゃいけないんだ。犠牲を強いられる場面もいずれは出てくるだろう。その時には、迷わず仲間を切る選択をしなくてはならない。より多くの仲間を救うために」


「…でも!そんなの!」


「あぁ。とても難しいことだし、あいつは真っ先に自分を犠牲にできるような人間だったからこそ、たくさんの人に好かれたんだろう。だが、それでもだ。お前が先導者として頑張れば頑張るほど、集団の中で、なくてはならない存在となる。そんな時、急にお前がいなくなれば、残った人たちは俺たちのような腑抜けになるぞ」


 言い返す言葉がなかった。彼の言っていることは紛れもない事実、というか実体験そのものだ。そして、その正当性もはっきりと理解してしまった以上、受け入れるしかない。


 自身を犠牲にするやり方は、仲間の命を救えるだけで他のことは何も考えていない、非常に無責任なものなのだ。


「まぁ、誰も犠牲にならないのが一番なんだけどな」


 人生はそんなに甘くはない、と言外に伝えているような気がした。








 その日の業務が終わり、俺は1人ゆっくりとした足取りで帰路についていた。


 日中、あの兵士の言っていた言葉の数々が未だに頭の中をぐるぐると回っている。


 自分1人を犠牲にして多くの仲間を救うことも、他の誰かを犠牲にしてより多くの人を救い続けることも、どちらも間違いとは思えない。


 だがもし、そのどちらかを選ばないといけない時が来たなら、俺は一体どちらを選ぶべきなのか。


 その場の咄嗟の判断で決めていいような事柄ではなかった。今すぐにではなくとも、その事態に直面するより前には結論を出しておかなければならない。


 気づけば本来の帰り道とは違う道へと歩を進めていた。


 宿にはたくさんの仲間たちがいる。今のこの心理状態で彼等と顔を合わせたくはなかった。


 せめてどこかいい落としどころはないものか。


 そう考えながらぶらぶらと、当てもなく彷徨い続けていると、通りかかった家屋から漏れてくる香りが、そろそろ夕飯時であることを教えてくれる。


 今日は大変な業務ではなかったが、1日中歩きっぱなしでそれなりに疲労は溜まったし、当然腹も減っている。


 暖かな食事が脳裏を過った。だが、やっぱり帰る気にはなれない。


 もし玄治ならどんな決断をするのだろう。もしかしたらもう既に答えを持っているかもしれない。


 そんな考えを強制的に断ち切る。


 すぐ人を頼ろうとする。俺の悪い癖だ。頭の中を一新するべく、深く息を吸い、一気に吐き出す。


 そしてまた思索に耽ろうとする。もうあたりはそこそこ暗くなっており、人通りが少なく、人にぶつかるということもなさそうだ。安心してのめり込むことができる。


 ズブズブと沈み込もうとしていた折、ふと肩が揺らされていることに気付く。


「…るか、春風!」


 俺のことを叫ぶように呼ぶ声。慌ててその声の聞こえる方へと振り向く。


「…咲」


 先程までの思考なんて全て吹き飛んでしまった。彼女は今一番会いたくない相手。動揺を悟られないよう、努めて冷静な声で反応を返す。


「はぁ、やっと反応してくれた。もう結構暗いのに、ふらふらしてたら危ないでしょ」


「あ、あぁ。というかどうして咲がここに?」


「私が住み込みでの仕事にしたって話はしたでしょ。それがこのあたりなの。夕ご飯の支度してるときに春風がなんかふらふらしながら歩いてるのが見えたから」


「あぁ、なるほど…」


 仲間たち、特にサークルメンバーの仕事内容に関してはだいたい把握していた。


 確か咲の仕事は、老夫婦の畑仕事の手伝いを住み込みで行うものだったか。つまりはその老夫婦の家がこの辺りにあるということなんだろう。


「それで?何か考え事?」


「あぁ、えっと…。今日の仕事が結構ハードだったんだよね。それで…」


「はぁ…。ねぇ春風、手遅れになる前にちゃんと言ってね。いつでも待ってるから」


「……」


 柔らかく微笑む咲。俺の苦し紛れの誤魔化しでは欺けなかったようだ。


「…ありがとう」


 彼女の優しさに、つい頼ってしまいたくなる。だがそれはできない。特に彼女には。


「…それじゃあね」


 はっきりと言葉にしなくとも、俺に話す気はないことが彼女に伝わったようで、踵を返し、振り向くことなくこの場を去っていく。その後ろ姿が少し寂しそうなのは、俺のただの勘違いであると思いたかった。

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