第29話 困った兄弟たち

 蘭丸は急いで旅の仕度をしていた。無論、武黒もである。それは術者であれば、すぐに魂でも何でも飛ばせる距離とはいえ、奥美は物理的に遠いことも理由の一つであるが。


「ぎゃあああああ」


 部下達の悲鳴が聞こえた。やはり、この城内といえど、あの者から守ることなど無理であったか……。ドスドスと派手な足音がする。


 もはや、ここまでかと腹を決め蘭丸はふすまを見つめた。


「久しぶり~、久々に弟と飲めるって聞いたから急いで来ちゃったよぉ」


 蘭丸とそっくりの穏やかな笑顔で話すかなりの美形の男。だが彼が左腕に抱えている蘭丸の部下の口には一升瓶が刺さっていた。


──あぁ、なつかしい光景。


 どうせこの男に、固いこと言わないで飲みなよぉなどと言われ、飲みかけの一升瓶を口に突っ込まれたのだろう。蘭丸は満面の作り笑いで返す。


「お久しぶりです。藍炎らんえん兄上」


 蘭丸の兄であり、領主藍炎は今日もご機嫌だった。そのまま、もう一人お目当ての人を探す。

「あれぇ、武黒は~?」

 気付けば武黒がいない。開け放たれた障子。一人で逃げたかと蘭丸が険しい顔をした。だが、そんなこと出来るはずもなかった。


「連れてきたぞ、武黒と屋根瓦の上でバッタリ会ってな」


 長身の女性が武黒と肩を組んで、窓から城に侵入した。正門はご丁寧に通ったが、途中からめんどくさくなって、城をよじ登っちゃったらしい。ましてや武黒が無条件降伏する相手。そんなことが出来るのは限られた人しかいない。


陵王りょうおう姉上もお元気そうで…。」


 蘭丸はやはり満面の愛想笑いで困った兄弟その1に挨拶をした。ちなみに藍炎はその2である。

 

§

 

 武黒と蘭丸は庭園で酒を飲まされていた。犯人はもちろん月佳姫、藍炎、陵王である。他にも姫の護衛が居たが、勤務中にも関わらず酔い潰されて、そこら辺で延びている。庭園はまだ咲いたばかりの桜が、早くも花びらを落としていく。赤い布の上で五人は、藍炎が献上した酒を楽しんでいた。武黒はさかづきに舞い落ちた桜の花びらをみた。


──きっと奥美に着く頃には、屋敷の桜も満開だろうな。


 武黒は故郷に想いを馳せる。ここより寒い奥美の地だ。まだ桜も咲いてないだろう。


──丁度、満月だな。


 皮肉にも、武黒達が奥美に着く頃にはこの上弦の月も満ちているだろう。


「なぁに、湿気た面してるんだ。飲め!」


 陵王が一升瓶を抱えて武黒に注意する。武黒は大人しく、盃に入っていた酒を飲み干すと陵王に注いでもらうことにした。


「今は考えたってどうにも出来んだろ。とりあえず飲め。肩の力を抜け。その為に私はここに来た」


 男より男前な陵王。だが、武黒と蘭丸は内心、盛大に突っ込んだ。

──いや、月佳姫の護衛だから!!

 酒を飲むために呼んだわけではない。


「すまんな」

 しかし、武黒は素直に礼を言った。今は考えても仕方ないのも事実だ。それに、これは主である月佳姫の命令なのだ。


──真夜中に出発か……。


 二人が白昼堂々と出立したのでは目立つから、みんなが寝静まった頃、夜闇に紛れて出発してはとのことだった。それを聞いた藍炎と陵王が宴会を開こうと喜び、こうして二人は捕まってしまった訳であるが…。武黒は蘭丸を見た。蘭丸もうなづく。


──これは絶対、地獄の旅になる!!


 どんなに酔ったって主の命令とあれば、馬を飛ばして野を掛けていく武黒と蘭丸。並の刺客どころか、この二人が揃えば大抵の敵は酔っていようが、二日酔いだろうが倒せる。そう若い頃から悪い大人達に訓練されてきた。とはいえ、武黒も蘭丸も人間なのだ。


──こりゃ二日酔いだな。

──酔った状態で馬を飛ばさせるとか殺す気か。


 武黒と蘭丸は同時に頭を抱えた。なぜギリギリの時間まで酒を飲まされた挙げ句、馬を乗り継がねばならないのだろうか。しかも、奥美までどう急いだって数日はかかるし、途中で峠も越える。城の者は口々にこの宴をこう呼んでいる。まさに鬼、鬼が徘徊する魔の夜に文字って捕まったが最後、百鬼夜行ひゃっきやぎょうの宴と。鬼の再来に城内が震え、しばらくの間、眠れぬ夜を過ごしたのは言うまでもない。

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