第28話 帝の影
お昼過ぎ、宮に久しぶりに月佳姫が参内した。
ここはこの国と周辺国を治める帝の住まう宮に続く道。掃き清められた石畳、朱色に塗られた欄干や装飾が印象的な建物。
──相変わらず戦の匂いなんて感じさせませんわね。
ここは常に神聖な空気で満ちている。血の匂いなんてするはずがない。
帝は自身が治める国同士が領土争いをしていることには心を痛めているらしいが、今まで静観を貫いてきた。
それぞれの領主に土地や国の自治を認め、巫女によって守られている神聖な国々の平和を祈る帝。
帝がこの諸国を統べる太陽だとしたら、巫女は月。太陽がいてこそ輝く月ではあるが、月夜という闇があるからこそ、朝や、太陽が輝いてみえる。
巫女達がこの諸国の闇を背負うからこそ帝が民を導く光となる。それがこの東の島にある諸国の秩序を守ってきた方法なのだ。
──誰かに肩入れすることもない。だけど、自分の自治区内であれば巫女のやることに口出しすることもない……か。
月佳姫は帝が住まう宮の前に着くとかがんで、片ひざをつき手を合わせた。
「御前失礼いたします。姫巫女、月佳参内いたしました」
従者達が御簾を上げるので、月佳姫は宮の中に入っていった。
§
「そちか、会いたかったぞ」
帝は御簾を介さずに姫巫女を見た。当然である。自分の影に警戒は不要。
帝自らが自分の影になってもよいと認めた相手、それこそが姫巫女たる証。姫巫女は帝の影なのだ。
光と影、二人が顔を合わせて畳の部屋に正座する。帝の後ろに側近が一人正座しているが、彼は何も話す気はないようだ。
「中々、お会い出来ず申し訳ありません」
月佳姫は頭を軽く下げる。
「さて、この前もお会いしたではないか」
帝は扇を開いてほほっと笑う。
「あなた様にお会いしたかったのです」
月佳姫も扇を開いてほほっと笑う。
「奇遇であるな」
両者に一瞬、緊張が走る。先に口を開くのはどちらか。月佳姫はにこりと微笑む。後手のほうが有利だからだ。だが、帝も今日は自信があるのだろう。帝が先に口を開いた。
「奥美の龍の件であるが……そちに報告はいっておるか?」
扇子から目だけを覗かせる帝。
「はい。一昨日だけで三名、今朝も二人……もうすでに三十人ほどの村で五名も……」
月佳姫は悲しげな顔をした。
「ふむ、そちのご心労察するに余りまするな。さてと、姫巫女としての意見を余は聞きたい」
帝は単刀直入に切り出した。そのために来たのだろうと。姫巫女を見つめている帝。龍のことも、奥美のことも姫巫女に任せるつもりなのだ。
だが月佳姫にとっても、その方が都合がいい。
「我が城からは武黒と蘭丸という、腕の立つ近衛を二名派遣いたしましょう。私は城にこもりながら、術で援護いたします」
帝の側近の顔が面白いものをみるかのように、月佳姫を見つめた。
「そちの城の警護はどうするのか?」
帝は問う。月佳姫はにこりとした。
「城の警護は東見の当主にお願いいたしましょう」
帝も興味深そうな顔で月佳姫を見つめる。
「当主がいなければならないという決まりはないとはいえ、この非常時に不在でよいのか?」
月佳姫は帝の問いににこりと微笑む。
「我が城で育てた男です。領主不在で絶ち行かなくなる屋敷を構える訳がございません」
月佳姫は相変わらずおっとりした口調ではある。だけどその瞳は、表情は城を守る女城主そのものだった。
「さすがは史上最年少で姫巫女になっただけありまするな」
帝と後ろに控えていた側近は高笑いした。この若い巫女は自分たちだけで解決する気かと。だが、月佳姫は帝の立場も忘れてはいなかった。
「とはいえ、帝が心配りしてくださるとおり、我が城の警護に不安が残ります。誰かお借りできませんでしょうか?」
月佳姫はわざと不安そうな顔をする。本当は、帝側の力など不要。月佳姫の管轄内でことは済む。だが、この非常時に帝が何もしないなどあってはならない。
──あくまで、帝のお力で国々は守られているのです。
史上最年少の姫巫女は上の方々への配慮をいつだって忘れなかった。帝は満足そうな顔をする。
「ほう、そうか。なら同じく東見の者が良いであろう。姫の警護にあたっている
陵王とは蘭丸と領主の姉である。武勇に優れていたため、今は帝の護衛として、皇女に仕えている。要するにムサい男が後宮にいても、姫君達が怖がるので、強いお姉様方が警護にあたっているのである。更に東見の一族は美形一家、当然美女であり、由緒正しい家柄の陵王である。彼女に後宮の護衛という大仕事の白羽の矢がたったことは誰もが納得の人選であった為、月佳姫が泣く泣く手放した部下だ。月佳姫は両手を畳の上で揃えて、頭を深々と下げた。
「ありがたき幸せにございます」
ここまで全て月佳姫のシナリオ通りになった。
─後は頼みましたよ。武黒、蘭丸。
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