第26話 龍のたたり

 ここは奥美にある村。早朝、村人が三人、山の方へ向かうために畦道を歩いていた。


「爺さんどこかでひっくりかえってんじゃねぇのか?」

 村人の一人、この中で一番年配の男が笑う。

「んな不吉なこと言うなや。それに堪太かんた宗郎むねあきも戻ってこないんだ」


 中年の男がとがめる。爺さんだけでなく、若い者も山に入ったきり昨日から戻ってこないという。


「暗くなったから、山で一泊したんだろ」

 まだ若い青年が冷ややかに言う。その三人とも山歩きには慣れているからだ。


 畦道から外れ、山道に入る。まだ早朝の山はひんやりしていた。少し前に降った雪が所々残っている。


「やっぱ日陰は寒いなぁ」

 年配の男が言うと、だからあれだけ着込めとと言ったのにと中年の男が口を挟む。青年はそれを無視して静かに歩いていた。


──何か変だ。


 青年は言葉に出来ない違和感の原因を探るため、あちこちに目を光らせる。年配の男と中年の男のやりとりが山に響く。しかし三人とも山歩きに慣れているせいか、喋りながらもどんどん奥へ進んでいく。それにしても二人の声だけがうるさい。そう二人の声だけが。


──鳥の声がしない……。


 青年は違和感の原因に気付いた。いつもと変わらない朝、日陰なせいか薄暗い山の中。だが、妙に静かすぎるのだ。普段なら朝になれば鳥の鳴き声がうるさいくらいなのに。


──獣の足跡も気配もない。


 もっとも山歩きに慣れた三人である。獣が近くにいれば気付くし、まだ村の近くだ。人を襲うような獣の足跡など注意深く見ているはずで、三人もいて見落とすはずなど有り得ない。


──なぜ静かなんだ?


 それにしても妙に静かなのだ。まるで何かの存在に警戒しているかのように。だが、青年よりベテランであるはずの二人は相変わらずおしゃべりに夢中だ。年だの、うるせぇだのと騒いでいる。


──ん?


 青年は木の下にある溶け残った雪を見た。


「おい、これを見ろ!」


 青年が後ろで騒いでいる爺さん二人に向かって叫ぶ。二人は青年の声に何事かと、急いで青年のほうへ向かった。


「こりゃ血だな」


「しかし、爺さん。獣もいねぇのにか」

 爺さん二人は雪の上にある赤い大きなシミをみて驚いた。小動物にしては大きいシミ。まるで水溜まりといったほうが近いか。しかし、シミがあるだけで何もない。


「冬眠してない熊でもいたら大変だ」

 年配の男の声に、中年と青年は真剣な顔でうなづく。三人は獣がいた痕跡がないか周囲を調べることにした。散らばって探すが何もない。


「おい、あれは何だ!」

 中年の男が叫ぶ。それはもう乾いてしまっているが、紛れもない血の跡。それは沢の方まで続いていた。三人は意を決して沢に降りることにした。降りている途中で一人の男がうつ伏せで倒れていることにすぐ気が付く。


「宗朗じゃねぇか!」


 年配の男が歩み寄るも返事がない。しっかりしろなどと揺するもぴくりとも動かない彼の体。年配の男は宗朗を仰向けにさせた時、何かが地面にドサッと落ちた。くちゃりと変な音がする。


「「ひゃあぁぁぁぁ」」


 年配と中年の男が同時に叫ぶ。年配の男は尻餅をついてしまったまま、手を見つめていた。起こそうとしたときに付いてしまったべっとりとした血。もうすでに冷たいのに、鉄臭い臭いが生々しくて、半狂乱になりながら年配の男は近くにあった雪の塊で手を必死に拭っている。


 青年は宗朗であったであろう遺体の、あまりの惨状に顔をしかめる。そこには胴体の肉を半分えぐられた遺体があった。腹の辺りはきれいに臓器を持っていかれている。先ほど地面に落ちたのは年配の男が揺すったことによってとれてしまった彼の右腕だったのだ。彼の顔は恐怖に目を見開いたまま。口からわずかに血を流し、頬や額には飛び血がついていた。


「かっかかっ堪太は? 爺さんはどこだ?」


 中年は震えながら、行方不明の二人の名を呼ぶ。尻餅をつき、起き上がれずにいた年配の男に青年が手を貸すと、男は立ち上がってうなづいた。三人はそれでも沢に降りることにしたのだ。村に危険が迫っていることは確か。今、ここで逃げたら村が全滅するかもしれない。彼らの頭の中には十年前の苦々しい記憶が、後悔が、目の前で助けられなかった命がそれぞれよぎった。三人は沢へ滑るように降りていった。


「んっ」

 先に沢に着いた青年は嗅ぎなれぬ異臭に顔をしかめた。人より大きな岩が無数に転がっている沢はいつものようにざあぁと豪快な音を立てて水が流れていた。しかし、いつもと違うのは岩が所々、赤く染まっていること。ベットリとついた血。そして、沢の奥にヒラヒラと木に引っかかって揺れる一部が赤く染まった薄汚れた白い衣。そしてさらに奥には変わり果てた姿をした人間だったであろう赤く染まった肉塊があった。


「これは熊なんかじゃねぇ……」


 年配の男が震える声でいう。木に引っかかった衣が上空からの襲撃をうかがわせる。それに何より、まるで人間の頭よりも巨大な手で、爪でえぐられたかのように引き裂かれた遺体と言っていいのかわからない肉の塊。


「龍のたたりだ……」


 年配の男の声にその場の誰もが固まった。やっと、これは人間の遺体だと認識できた三人はしばらく呆然と突っ立っていることしかできなかった。ただの獣でも、ましてや人間の仕業ではないことは確かだとこの場の全員が察した。

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