第594話 銀のオオカミ。あたしに力を

「当方といたしましても、手荒な真似は本意ではございません。

大事なお身体でありましょう?

大人しく我らに従って頂くことが、御身に於かれましても最善と思量いたしますが。」


さっそく脅しかよ、引き出し少なっ。

そして所詮人間ごときが、あたしをどうにかしようだとぉ?

いい度胸じゃないの。


一度は拳に握った手を、アマリリスは思案の末にほどいた。

拳骨は、こっちが手を傷めかねない。

じきに、繕い物をしたり、赤ちゃんをあやしたりしなければならない手。

こんな糞キチ女どもを相手に、無駄な危険を冒す理由はなかった。


それを見て、恭順の印と受け取ったのだろう。

表情を和らげて頷いた女に、アマリリスも穏やかに微笑みかけた。


「そうね、何の用だか知らないけど、

話し合いましょ、人間同士。」


微笑を崩さぬまま、1歩、2歩と前に出る。


”銀のオオカミ。あたしに力を貸して”


足裏にとらえる、トワトワトの土の感触が、神経を研ぎ澄まさせる。


あたしに、アーニャやワーニャに、オシヨロフでの居場所を作ってくれた力で、こんどは守って。


生身のアマリリス、生命の宿らない毛皮に分かたれている今、現実には雌オオカミはどこにも存在せず、

その依願は、アマリリスの自分自身との対話に他ならない。


それでもアマリリスは意識の中に残る、オオカミとしての存在の感覚を呼び覚ますことに全神経を集中させた。

今やアマリリスから、人間らしい怯懦や躊躇といったものは消え失せ、彼女は人間の身体を得たオオカミになり切っていた。


2歩の間に肩から滑り落としたオオカミの毛皮を、切れ目のない流れるような動作で先頭の女の上半身に投げかける。

視界と身動きの自由を奪われ、毛皮の下でもがく女の横をすり抜けざま、両掌を重ねて加圧した左肘をそのうなじに叩き込む。


膝が抜けて崩折れる女には目もくれず2人め、仲間の加勢に来るかと思ってたら、早くも逃げ腰で、

杖の先の金輪をじゃらじゃら鳴らしながらこっちに突きつけてくる女へ猛進する。

バカなやつ。あんたはその棒であたしを打ちたいの?身を守りたいの?先に決めておけよ。


左手の甲でそっとその穂先を脇へ押しやり、大きく踏み込んだ勢いで、右掌の付け根、

五指の骨が集束するとともに、肩、肘からの力を一直線上に伝える力点を、すくい上げるようにして女の下顎に見舞う。

女は面白いようにカコンと顎を反らせ、そのまま後頭部から地面に落下していった。


恐怖ですでに涙目の3人め。

こいつはもう、敵ですらない。


思わぬ動きをされないように杖を掴んでおいてから、アマリリスはおもむろに、彼女の腰の湾刀を引き抜いた。


「動くなッ!」


背後にまわり、ポニーテールを引っ掴んで上向かせた喉に、鋼の刃を押し当てる。

――手許が狂ってズバッ!とやっちゃったら立つ瀬がないので、実は刃じゃなくて峰のほうw

それでも迫力は充分だったらしく、女は生まれたての仔シカのようにプルプルするばかり。


実際には、そんな恫喝も不要なほどの、アマリリスの完封だった。

武芸の達人も一目おくであろう手際でノックアウトされた2人は脳震盪を起こし、

1人めは両手両膝を地面に突いたまま立つこともままならず、2人めは完全に昏倒している。

大丈夫かな?ってむしろ心配になるけれど、こういう時に温情は禁物だ。


「武器を捨てなさい。

その杖と刀をこっちへ。」


よろめきながらやっと立ち上がった女に指図して、2人ぶんの武器と、さっきアマリリスが投げつけた、オオカミの毛皮を集め、地面に置かせる。


「下がって。」


冷静ながら、鋭い刃のようなアマリリスの言葉に、女は大人しく従って後退した。


抵抗する素振りも、戦意の欠片も残っていないのを見て、こいつらにこれ以上、”手荒な真似”は要らないだろうと踏んだ。

それは禁物の温情だったかもしれないが、実際、捕らえていた女の喉から湾刀を引き、刀を持っていない方の手でその背を押しやっても、

女は魂の抜けた廃人のように、押されたぶん離れただけ、振り向こうともせずに突っ立っていた。


一応切っ先をその背に向けたまま、アマリリスは自分の毛皮を拾い上げて羽織った。

そのまま数歩後ずさり、充分な距離を取ってから、踵を返して歩き去った。

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