ふたたびの旅へ

第592話 この樹の前に来ればいつでも

「は?もう?」


アマリリスは不意を衝かれた思いで、周囲をきょろきょろと見回した。


「もうワタリに出るの??」


冬の間はすっかり失くしていた暦日の感覚も、こうして草木が活動を再開してくれれば戻ってくる。

森のこの感じ、ダケカンバの葉がまだみずみずしく、柔らかな色合いが目に染みるようなこの感じは、

ちょうど夏至の時分の季節だ。


例年、ワタリには7月に入ってから出発していたはずでは。

まだアカシカの群れも、オシヨロフの縄張りを出入りしているというのに。


「気の早い奴らはもう山に昇って、峠の手前で山開きを待ってるんだよ。

そいつらを一網打尽といこう。」


「ほんとかよw。」


アマリリスは今年で2回目となる、オシヨロフのオオカミ群の一大イベント、高地への夏のワタリ。

思い返せば1年前、あたしはアマロックについていくために、オオカミの身体を手に入れたんだった。

それがあったから、今もこうしてトワトワトに留まっていられる。


去年のワタリは、ヴァルキュリアに拘束されるとか波瀾万丈極まれり、だったな。

今年は赤ちゃんのこともあるし、もっと平穏無事に過ごしたいものだけど。。

わからんな、異界で何が起こるかなんて。


「じゃ、あたしいっかい臨海実験所に戻って、片付けしてくるわ。」


「必要なことなのか?」


アマロックが食い下がるとは、珍しい。


「んーー、今朝スープ作ったんだよね。

出かけるなら残り始末しないと。」


「そうか」


じゃね、と手を振った自分を見送るアマロックの金色の目を、アマリリスはその後何度も思い出す。



洗い物を済ませると、アマリリスは服を脱ぎ――アマロックに言われてから、律儀に、人間の姿でいるときは着るようにしていたのだが、今日で当分お別れだっ。

念のためクジラの膀胱の袋に入れ、ペチカの上のスペース、今では使うことも稀になった”アマリリスの巣”に載せて臨界実験所を出た。


外に出ると、いつの間にか霧が出ていた。

玄関からすぐオオカミになって駆け出していってもいいんだけど、、しばしの別れになるし、挨拶でもしていくかな。

朝の満潮にまだ濡れている砂を踏んで、イルメンスルトネルコのほうに歩いていった。


微かな風に揺らぐ靄を透かして、巨樹の梢が黒々と現れる。

この樹の前に来ればいつでも、今は幻力マーヤーの森で待ってくれているアマロックに会えるような気分になる。

そんな自分の気分を可笑しく思いながら、木立の中に入っていったアマリリスは、大樹に対面する直前ではたと足を止めた。


無人の地となったオシヨロフ湾で見かけるはずのない、3つの人影がそこにあった。

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