第582話 この世界で起きること全部

「”毎期の月経開始とともに、卵巣内で次の排卵に向けた卵胞の発育が始まる一方、子宮では月経終了後に再び着床のための子宮内膜を用意して排卵を待つ。

個人差はあるが、一般に28日前後を1周期として排卵が起こる。”」


「あたしもだいたいそれぐらいかな。

へーー、みんな同じぐらいの間隔なんだ。」


同年代の女子が周囲にいた頃、

今日が生理、という日は人によってバラバラだったから、みんな自分のリズムを持ってるのかと思ってた。


「”排卵後の卵胞は黄体を形成し、子宮内膜を着床に適した状態に整えるべく黄体ホルモンを分泌する。

妊娠成立、すなわち着床のない場合、黄体の寿命は排卵から14日前後であり、黄体ホルモンの分泌が終わって子宮内膜を保持できなくなると、月経が起こる。”」


月経=いわゆる生理、

あたしは軽い方だけど、それでも毎回うっとおしいし、何より最中はできないじゃん!というのが目下最大の不満だったりしたけど、

そういう、待ち人来ず過ぎゆく、的な物悲しい現象だったわけか。


あたし自身が気づきもしなかったところで、この体は毎月毎月、黄体とか子宮内膜?とか丁寧に整えて、

赤ちゃんの卵が着床したらすくすく育てられるようにして待っていたのね。。。


外見にはまだ何の変化も見られないお腹を、アマリリスはいたわるように撫でた。

まるで実感がないけれど、その奥には小さな小さな、あたしとは別の生命が息づいていて、

その子を支える胎盤とか羊膜とか、おおわらわで用意しているところかしら。

子宮に記憶や意識があったとしたら、さぞかし喜んでいることだろうね。



人類の築きあげた智の、総量からすればごく一部とも言えるが少なくない量を蓄えた臨海実験所の書庫に、

初子を授かった若いカップルの――いや、ここはもう夫婦と呼ばせてもらおう!

夫婦の、手ほどきとなるような情報は、残念ながら殆どなかった。

今アマロックが読んでいるのは、ヒトの発生に関する学術書の一節だ。


実用的な知識かはさておき、今、そしてこれから38週間にわたって何が起きるか、知っておいて損はない。


「その計算は間違ってそうだな。

”平均の妊娠期間は40週間であり、これは最終月経の開始を基準とした期間”だから――

出産の予定は、いまから33週後だね。」


「うげっ、そうなの??」


心の準備もへったくれもないところに、まさかの前倒し💧

アマロックは、受精日、着床、妊娠反応という言葉を使って、それぞれの日数を計算して見せてくれたけれど、

数字の苦手なアマリリスには何がなにやら。


「まーー、いっか。」


さほどの抵抗もなくその計算結果を受け入れたのは、その日を待ち望む気持ちの萌芽だったのかも知れない。


「もう、心臓の音が聞こえるかね。」


「赤ちゃんの??

さぁ、まだなんじゃない。あたしにはまったく。。

あ、でも、アマロックの耳ならわからないな。」


「どれ。」


アマロックはアマリリスの傍らに腹ばいになって、彼女のお腹に耳をつけて聞き入った。


アマリリスは何をするでもなく、アマロックの頭を撫でていた。

紫紺色の髪の間から、魔族の尖った耳が覗いている。

陽はないが、雲間から青空が垣間見える初夏の日、穏やかな南風が、アマリリスの肩にかけた毛皮の毛並みを揺らした。


「どんな子が産まれてくるんだろうね。。。


金色の目?緑の目?

男の子?女の子?


あたしたちはその子を連れて、旅をして。

いつかあたしたちが死んだあとも、その子は生き続けて、

自分の子を産んで。。。


なんか不思議。」


「そうかい。

おれには、当たり前のことのように思えるがね。」


「そうよね、当たり前のこと。


この世界で起きること全部、

冬には雪に閉ざされて、春になれば温かな風が吹いて、水が流れて木が芽吹いて。

ぜんぶ当たり前のことなのに、なんだかとても不思議。

世界は不思議でいっぱいね、アマロック。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る