第562話 この世ならぬ赤花
オクサーナ、事ここに及んでようやく名前と、役どころが定まった
今の彼女からは、捉えどころのない憂悶や、つっけんどんな苛立ちは消え去り、
言うならば、邪険にあしらってきた思われ人が、自分にとってどれほどにかけがえのない存在であるかを突如理解した乙女のような、
そうと知ったが否や、計り知れぬ温度で身を焦がす情熱に、双眸が輝いているのが見てとれた。
従前のレヴコー、初等学校の演劇会のお姫様みたいな若妃アーニャの旦那様としての、前髪王子に感じた滑稽さ、
このガチムチとアーニャが?(何を??何を!?)ありえなーーぃ、というありえなさは、キツめのオトナ美人のオクサーナと並び立つときには消え失せていた。
前髪はどうあれ、2人はまごうことなきお似合いのカップルであった。
しかし2人は、この場にあって惹かれ合う、その2つの魂同士だけが、お互いの姿を見ることも声を聴くこともできなかった。
「なぜならばっ、月と星を隠されてしまった現在、レヴコーくんは”道”を見失っているので、
道って、恋路のことだったんですねーー、むふん、ロマンチック✨。
本来会えない、世界線のズレている2人は、同じ一冊の本に収められていても別々の恋物語の男女のように!干渉し合うことがないのです。」
””それじゃぁ””
どうしたら会える?と訊ねる2人の声は、互いに聞こえていてもなかなかそうはならない程に、ぴったりと息が合っていた。
「愛は時空を超えて、運命をも捻じ曲げるもの!
来たりませ、この世にあって在らざるもの、
スネグルシュカが両手を振り上げ、振り下ろした先、
アマリリスの左手の、木立ち中の一角が、スポットライトを投下されたかのように、明るく浮かび上がった。
アマリリスとオクサーナが歩いてきた小路は、小川にぶつかるところで、跳ね返るような具合で分岐し、照明の当たった一帯に向かっている。
部分的に重なり合いつつ触れ合わない、しかし不思議と歩調の合った、レヴコーとオクサーナの2人を先にして、一行は木立の中に入っていった。
ハリエンジュの中木の、光に透ける葉も、林床で
美しいが緑の一色で、花らしきものは一向に見当たらない。
「・・・もうすぐ、咲きはじめるから、、」
スネグルシュカの声はにわかに、快活さとおちゃらけた調子が鳴りをひそめ、
ドカ雪の降った翌日に得てしてある、うららかな陽光を浴びて崩れはじめた雪だるまのような、儚く物憂げなものになっていた。
「結構、一瞬だから、見逃さないで。。
あと、間違えて別の花を取らないように。。。」
スネグルシュカの言葉通り、そこらじゅうの草花が代わる代わる、目まぐるしく花を咲かせはじめた。
白や黄、青、紫の花々は、晴れた日の川面に太陽の光が注いで、てんでにチカチカと煌くように、パッと開いたかと思うと、程なくしてポンとはじけ、
光の雫を四方に降らせた後は消えて無くなってしまうのだった。
そんな花々の乱反射に囲まれて、ただ青々と茂っていたシダの茂みの、大きく広がった株の中央から、
渦巻きに折りたたまれた新芽が何本も束になったような茎がにょきにょきと伸びてきて、オクサーナの視線の高さまで達した。
茎の先端、内側に、血の真紅に光る芯を閉じ込めた蕾は、開花しようとする外向きの活力と、まだ蕾に留めておこうとする抑圧の拮抗を演じるかのように、
そこから漏れる光は、ぐいぐいと大きくなって、今にも弾けるかと思うと力尽きたように萎み、そこからまたじわじわと、、
と、静穏を恒とする植物らしからぬ活力を見せている。
もう開花も間もなくと見たアマリリスは、スネグルシュカに尋ねた。
「”代償”が要るんじゃなかったの?」
アーニャとワーニャが救われ、月と星が戻っても、
それでオクサーナとレヴコーの”いちばん大切なもの”が失われる、とかじゃぁ。。
スネグルシュカはよほど具合が悪いのか、言葉少なく答えた。
「大丈夫、、、」
”もう、払ってあるから。”
・・・え?
いっとき、蕾を閉ざしておこうとする力の優勢が続いたように見えたのち、赤い光は不意に、そして一気に溜め込んだ力を開放させ、
真紅の爆発となって、世にも艶やかな八重咲きの花を出現させた。
すかさずレヴコーの丸木のような腕がその茎を折り取り、ワンテンポ遅れてオクサーナが、比較すればヤナギの小枝のような手を伸べて、茎の一端を掴んだ。
茎は、一方の引く力を他方へと伝え合う。
この世ならぬ花の存在を介して、交わらない線上の2人は、お互いを知覚できるようになった。
「引っ張りすぎてちぎっちゃわないように気をつけて、
それを持って小川の上流に。。。」
赤い花が煌々と放つ光のおかげで、もう迷う心配はない。
レヴコーとオクサーナは、流れを辿って進み、木立の中に開けた泉に出た。
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