第555話 模索のススメ#1

一体どれくらい以前にはじまって、これまでにどれくらいの日数がが経過したのかも茫洋とした冬。


――実際、去年はまめに暦を確認する人間の子どもたちが居たので、聞けば教えてくれたものだったが、

ひとりになった今年、今が何月なのか、アマリリスにはもう分からなくなっていた。


不定期に断続的に、時には忘れた頃になって訪れるスネグルシュカや若妃アーニャ・針鼠ワーニャの幻想、

そして現実の、オオカミのアーニャとワーニャへの気掛かりといった、気分転換の部類のアクセントはあっても、

トワトワトの冬は相変わらず、単調で、気が遠くなるほどに長い。


窮乏の辛さ、雪嵐ヴェーチェルの恐怖、ひとりぼっちの孤独、

日常につきまとうそれらの脅威や苦悩はもはや日常の一部と化していた。

青いイルカの島の少女にとって、孤島に居る限り絶える日の来ない孤独が唯一の友であったように、

あたしはずっとこの日常を引き摺っていって、いつか春を迎えるんだろう。。。


そう思い描いていたアマリリスは、今一歩想像が及ばなかったかも知れない。

”変化を怖れてもいない”、それが異界に生きるもの、オオカミの考え方だということに。



目下アマリリスにとっては一番の心配事であっても、この時期、オシヨロフのオオカミ群には、居候オオカミの行方どころではない問題が起こっていた。


晩秋、仔ジカの一件でぶちのめされて以来、すっかり頭の上がらなくなっていたアフロジオンと、

そんな彼に満更でもないスピカは、なかなかお似合いのカップルといった風情で、以前からちょくちょく2頭で姿をくらますようなことがあった。

それだけなら「けしからん」の一言で終わりなのだが、問題は、オオカミの雌雄がペアになるということは、

人間の男女が戯れにデートするような類のものではなく、彼らにとって生存上の一大事業だということだった。

繁殖、すなわち自己保存の成否がそこに掛かっているのだ。


繁殖に続く幼獣の保育は、当のつがいだけでなく群全体にとって重い負担であり、

一般的に、オシヨロフの規模のオオカミの群であれば、ひとつの時期に繁殖するペアは一組に限られる。

すなわち、最上位の個体のペアである。


群の、それ以外の構成員は上位ペアの育児をサポートし、自身では一生涯子を残さずに終わる個体も少なくない。

一見、自己よりも他者の利益に貢献するかのようなこの習性は、

果たせなかった野望、つまり下剋上により繁殖機会を窺っていたものの、結局そのチャンスが来なかった者、という見方もあれば、

血縁のある構成員であれば、その血縁を通じて幼獣の中に保存されている自己の保存、

例えば兄妹の仔の保育の場合であれば、仔の生体旋律のおよそ4分の1を占める、自己と共通の旋律を保存する効果が、

このような習性を自立創出せしめたという解釈もある。


ベガ・デネブ・アルタイルの3兄弟以外は血縁関係にないオシヨロフの群でも、身体に刻み込まれた習性は変わらず、

繁殖機会は、首領であるアマロックの特権である。

アフロジオンとスピカは、力による僭主を構想するか、事故なり斃死なり、アマロックが居なくなることを期待することは出来ても、

それだけでは本来、繁殖機会を得ることは出来ない。


人口に膾炙かいしゃするところによれば、それが異界の『掟』ということになる。

しかし、実在するのはオオカミの生体旋律に刻まれた習性であり、結果としての一般的傾向に過ぎない。

その習性もまた、抵抗も虚しくオオカミたちを縛りつけるようなものではなく、

ましてオオカミがそれを破ることに、良心の呵責やうしろめたさを感じることなどあるはずがない。


強いて異界に法則ルールを探すとすれば自律創出の力が全てであって、

その力場は、習性や慣習に従順であることよりも、その時々に機会を見出し、自己の保存を模索するように促す。

この冬、アフロジオンとスピカが見出したのは、オシヨロフ群からの独立という選択だった。

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