第552話 星幽体放射#2
砦の内部は、やはり灯火のあるわけではないのに、それでいて妙に明るかった。
色褪せた黄色のような、冷たい色彩の光が、室内を音もなく舞う数羽のコウモリの影を天井に投影している。
壁には、武器や甲冑が吊るされている。
そのどれもこれも、世界のどこの国の風俗か見当もつかない、どころかこれを帯びるのは本当に人間の形貌を成しているのだろうかと、不安に思うような異様な作りのものだった。
武具の間の壁には、文字とも図形ともつかない符号が、びっしりと書き連ねてあった。
部屋の中央に置かれた品々はいっそう奇怪なものだった。
トルソーに着せられた、見たこともない文字が書かれたマント、揃いの帽子、
アーニャの背丈よりも大きな六分儀に、黒曜石の星座盤、夥しい真鍮のリングを連ねた天球儀。
それらに嵌め込まれた赤や青、緑の宝石はチカチカと瞬き、実際の天体の動きに合わせて、音もなく運行しているのだった。
天井からは、
この時代にはまだ発明されていなかったはずのもの、ぜんまいじかけで動く本物そっくりの機械人形もあった。
決まった時間になると、止り木のうえで羽ばたき、みごとな尾羽を拡げてみせる黄金色のクジャクに、
床の上を歩き回る鋼鉄の巨大なカブトムシ、しなやかな動きで階段の昇り降りを延々と続けているブロンズのネコ。
そして、アーニャとちょうど同じくらいの背格好の、人間の女の子の姿をした人形もあった。
肘掛け付きの椅子に座った姿勢からやおら立ち上がり、3、4歩あるいたところで床にひざまづいて、
両手を組み、天を仰いで一心に祈るような姿勢を取る。
それから、何かに打ちのめされた様子で肩を落とし、よろめくように立ち上がって椅子に戻る。
という一連の動作を、際限なく繰り返しているのだった。
その動きは滑らかで、からくり人形らしいぎこちなさを見出しようもないものであって、
もし象牙の肌とひとつづきの唇にバラ色の彩色がされていたなら、
長いまつげの下の目が、透明なガラス玉ではなく、虹彩と瞳孔を備えた瞳が描きこまれていたなら、
人間と区別するのは難しかったかも知れない。
””今のところは、あえて人間と見分けがつくように、そうしているのだよ。
動作も、
室内の、どこでもない場所から声がした。
””しかしいざ出番が来たならば!己の魂が知ることの半分も知らぬ愚かなり人間どもよ、慄くがよい。
我が
変幻自在、いかなる人間にも成り替わり得るであろう!”
声が言い終わるや、天井から吊るされた目玉から、青い光が室内にほとばしった。
それはもともと室内を満たしていた黄色い色と、あたかも成分の違う2つの川の合流点のような調子で混淆し、
渦を巻き、雫を溢れさせ、大理石の模様のようなたゆたう波紋を描いた。
アーニャは怪異の光から逃れようと、塔の内部の空洞を巻いて屋上へと続く階段を登りはじめた。
しかしすぐに脚を止めた。
前方の暗がりの中から、一層暗い、闇が凝縮したような体に、双眸だけが爛々と赤く光っている獣が、
凄みをきかせながら、彼女に向かって階段を降りてくるところだった。
空中で長々としなる黒蛇のような尾、
広い胸がほとんど階段に擦れるほど低く身を屈め、その姿勢から屈曲した四肢のバネを効かせて跳躍したら、
ひと跳びにアーニャに襲いかかれそうだ。
ニタリと笑ったように開いた口からは、鋭い牙と、ちらちらと閃くような赤い舌がのぞき、
犠牲者の血の味を想像して愉悦に浸っているのか、忍び笑いのように、ゴロゴロと低く喉を鳴らしている。
獲物に忍び寄る時は仕舞っておく筈の爪が、待ちきれないと言うように、煉瓦の床を引っ掻く音がする。
アーニャは生きた心地もしなかったが、ワーニャを残し、前髪王子や
ここでこんな厭らしい獣の餌食になるのかと思うと無性に悔しく感じて、
闘志を奮い起こし、壁にかかっていた武器、剣とも斧とも鉈ともつかない幅広の刃物を手に取った。
黒い獣がアーニャに向かって突進してくる。
アーニャは無我夢中で、ほとんど目を瞑って武器を振るった。
ぎゃっ、と女の悲鳴のような叫びが上がり、獣は後ろに飛び退いた。
その右前足が切断され、血が滴っていた。
たった一太刀の渡り合いで、アーニャは息があがり、目は虚ろで、
前に構えた武器の切っ先が、次第に下がっていったことにも気づかなかった。
苦痛に歪む猛獣の顔に、抵抗の術をなくした獲物に向かう邪悪な歓喜が走る。
獣は再び、こんどはアーニャの喉笛を狙って、必殺の跳躍を試みた。
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