早瀬のかなたの国

第548話 若妃と王子#1

―――幻想こっちでは、アーニャは無事なのね。


ワーニャの例からいったら、アーニャもハリネズミになっちゃったんじゃないかと心配してたけど、

どうやら幻想は、そういうつじつま合わせみたいなことはやらないみたいだ。


場所は相当に古い時代と思われる建物の室内で、

天井は丸木の梁が、暖炉は野から集めた石組みがむき出しだ。

床は土間に藁が敷かれ、食卓と椅子も、荒削りの木材そのままの作り。


しかし、食卓の上の燭台や水差しの豪華さ、

暖炉の上、壁に沿って吊り渡された棚の上に所狭しと並べられた、金杯や壺といった調度や、

なにより、堅固で広々とした部屋のつくりは、この時代の贅を尽くしたものに違いなかった。


窓はいっぱいに開け放たれ――ということは季節は夏だ。

眼下には陽光を浴びて輝くみどりの野山と、谷あいを悠々と流れる大河の、鏡のように静かな水面が望める。


スネグルシュカは、いない。

夏だからかな?


そういえば昼になっちゃった、ウェージマ妖女が隠した月と星は?

小夜啼鳥ピドールカ探しはどうなった。

でも昼間だから鳴かないか。。。


当のアーニャは、窓際のベンチに腰掛けて編み物をしている。

花柄のプラトーク姿もとても可愛かったんだけど、これはこれで、ほほぅ。


サフラン色の繻子のドレスに、浅葱色のペチコート、

丁寧に結い上げた髪には、金の髪飾りという盛りよう。

ホントに王子さまのお妃になっちゃったのね。


アーニャの足元には、一面に象嵌の施された小さな揺籃ゆりかごがあって、

えぇーーっ、赤ちゃんまで!?と発奮して覗き込んだが、中にいたのはワーニャだった。

なぁんだ、もうw。

でもよかったね、大事にされてんのね。

針だらけの背中を静かに上下させて眠りこけているワーニャを愛おしく見つめた。


揺籃の傍らには、きれいな飴色の毛並みをした賢そうな犬が、

主君あるじから2人の護衛を申し付けられた騎士さながら、かしこまった様子で侍っていた。


せっかくだし王子さまのご尊顔を拝見、、

と思っていたら、入り口の観音開きのドアがダァンとばかり、ムダに大開きに開いて、

鴨居に額をぶつけそうなほどの大柄な人物が、騒々しい靴音を響かせて入ってきた。


えぇっ、”コイツ”が?ww


紺色の地に金糸で唐草模様の刺繍という派手な長上衣ジュパーン

腰には金の柄の長剣、それもお飾りのサーベルではなく、敵陣に斬り込んだあげくガチで振り回して大暴れする用途のだ。

長上衣ジュパーンの生地を張り裂けさせんばかりに浮かび上がる胸板、丸太みたいな腕に首、これでもかというガチムチのマッチョ。


そしてそのご尊顔は、、よく見れば若く、そしてなかなかハンサムではあるのだが、

上唇からニュルリと生え出て、左右の口角をなぞって垂れ下がるドジョウひげも大概ながら、

そこまでならまだ許容範囲かもと思えてくるのが髪型で、こともあろう、もみあげは残して頭髪のほとんどを剃り上げ、

ただ、頭頂部から額にかけての部分だけ残し、それを長く伸ばし、三編みにして左耳に掛けているっていう、アノ髪型。

人の見た目は髪型が9割、とはよく言ったもんだ。


この王子さま(なんだよね?)に妃アーニャはどうやって受け答えするんだろうと思って見ていると、

なんと、ポッと頬を赤らめ、潤んだ瞳でじっと見つめてから、恥ずかしそうに何か話しかけた。

前髪王子もまた、その巨体を支える骨が全部ぐにゃぐにゃに溶けてしまったのかと思うような仕草でアーニャの前にひざまづき、

存外に長く量も多い睫毛をはためかせながら、キラキラ輝く青い瞳で彼女を見つめて何か言っている。

ごっつい両手に、5分の1ぐらいしかなさそうなアーニャの手を優しく包み、ドジョウひげと分厚い唇を彼女の手の甲に押し当てた。

だめだもぅ、あんたらなんで笑わないでいられるのよ??


こみ上げてくる爆笑と必死で格闘するアマリリスをよそに、

2人の睦まじいやりとりはしばらく続いた。


まぁ髪型はともかく王子さま、それに何より、アーニャ好き好き大好き。

よかったね、ワーニャもナリは不便だけれど、気持ちよさそうに寝てるし、

またオオカミに戻って、餌さがしに苦労するよりも、このままで幸せなんじゃない?


――けど、それならどうしてあたしはまた幻想ここに召喚されたんだろう。

スネグルシュカが出てこないし、それに今回なんか、音がするのは分かるんだけど言葉が聞き取れないのよね。


しばらく様子を見ることにして、アマリリスは大欠伸をしてから右手で顔を洗った。

――あら、そういうことでしたか。

彼女の眼前にあるのは、漆黒のなめらかな毛に覆われた、肉球の奥に爪を隠した前足。

ウェージマ妖女の次は黒猫というわけね。


お気に入りの寝棚レジャンカの上から、いつの時代のどこの国とも知れない一家の物語を見守ることにした。

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