第547話 森の主と吹雪の竜

やっと気をとり直したアマリリスが、幻力マーヤーの森を去ってからしばらく後、

オシヨロフの人狼ヴルダラクは再び、姉弟オオカミが姿を消した大岩の下にやって来ていた。


ここ数日は比較的穏やかな天候が続いていたが、それもどうやら今日まで、

風向きと雲の流れは、間もなく訪れる大荒れの吹雪ヴェーチェルを予告していた。


アマロックが大岩の上方を見上げる。

貧相なトウヒの立木が数本並ぶ、岩のてっぺんから、けたたましい羽音と共に、大きな白いかたまりが降ってきた。

オオワシのそれと同じぐらいの翼開長があるであろう翼を羽ばたかせて雪煙を巻き上げ、

更にライチョウの冬毛に似た羽毛に覆われたあしゆびで雪の塊を蹴立てて威嚇してくる。


アマリリスがその場にいれば、伝説の蛇の王の名で呼んだであろう、

ヘビクイワシのような長い脚に支えられ、高々と反らせた胴の前方、真鍮色の冠羽が突き出た猛禽の頭と、

もう一つ、尾羽根の位置から、空中に自在の弧を描く革鞭のような、蛇の頭が生えていた。


白鷲はくしゅう白蛇びゃくだが融合した、グロテスクとも、反面で優美とも言いうる造形の怪物は、

双鋏と毒針を駆使して獲物を殺戮する蠍のように、双つの頭を交互に突き出してアマロックに挑みかかってくる。

敏捷な動きに、伸び上がれば上からのしかかるほどの体躯でありながら、その攻撃は一向にアマロックに届かない。

まるで両者の間には目に見えない磁場が存在するかのように、一定の距離でことごとくしりぞけられてしまっていた。


人の姿の魔物は、自らは応戦するでも挑発するでもなく、酷薄な金色の目で相手方の奮迅を受け流していた。



カラカラと高らかな笑い声がして、大岩の脇を回って現れたのは、カササギの羽根の装束に身を包んだ女、

オシヨロフの北で、ヘラジカを狩るオオカミの群を率いる、女首領の人狼ヴルダラクだった。


途端に嵌合かんごう体の魔物は、ヤマアラシに手を出しあぐねた猟犬があるじの姿を見つけた時のように、

女首領のもとに舞い戻り、双つの頭を擦り寄せるようにして彼女にまとわりついた。

女首領は代るがわる、その顎の下を指先で軽く掻いてやってから、彼女の言語で魔物に語りかけた。


すべてが凍てつく厳冬期にあって、初夏の森に滾々こんこんと流れるせせらぎのように響く声に、

魔物は小躍りするように、双つの頭をリズミカルに振り動かし、翼を羽ばたかせ、

まるでシロヅルが求愛のダンスを舞うように、女首領の周囲を跳ね回った。


やがて旋回がその身を溶かしはじめたかのように、鳥と蛇の嵌合かんごう体の輪郭はぼやけ、

女首領を中心としてそのその周囲を取り巻き、回転する、白い雲の帯のように変わっていった。

再びそれが形態を得たとき、白雲の軌道そのままに、純白の毛に覆われた長い胴、鋭い牙を備えた獣の頭という姿に変わっていた。


長い胴をしならせ、空中に波動の軌跡を描くように動くさまは、

祝祭の催しで披露される張り子の竜の舞いのように、嵌合体の姿よりも更に嵩を増したその体躯に本来掛かるべき重力が働いていないような、

あたかも宙に浮遊しているかのような印象を与えるものだった。


女首領はその頭を軽く撫でてから、アマロックをゆるりと指した。

白竜の魔物は頭を低く下げ、卑屈とも映る、怯えを残した仕草でにじり寄っていく。

今度は排斥の力が働くこともなく、鼻先が毛皮外套の裾に触れる距離まで近づいた白竜に、

アマロックもまた鷹揚に片手をかざして応じた。


オシヨロフのあるじからの赦しに力を得た白竜は、雪上でのたうつように跳ね、アマロックと女首領を軸とした「∞」の軌道を描いて駆け巡った。


やがて、再度形状を変化させた魔物が、空を駆って去っていったのを見届けてから、

アマロックは身に纏う毛皮外套を撥ね上げ、彼にとって競合であると同時に、旧くからの盟友でもある女首領をそのうちに招じ入れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る