第530話 この世のものならぬ花

アーニャ、姉のアリョーヌシカは隠れ処から体はんぶん外に出した、

危険を察知すればすぐにまた茂みの奥に逃げ戻れる体勢で、改めて空気の匂いを嗅ぎ、物音に耳を澄ませ、周囲に視線を走らせた。

唸りをあげて吹き荒れる風と、降りしきる雪がそれらの試みをことごとく妨害し、新たに察知できることなどおそらく何もないのは明らかだったが、

状況の如何によらず、予め定めた手順を守ること、この場合なら、安全な場所から出るときには五感を総動員して危険の察知に努めること、がアーニャの常だった。


一方のワーニャ、弟のワーヌシカのほうは、危険などという欲しくもないものを、努めて察知する気はまるでなく、

そうしていて危険を感じない限り自分は安全だと信じているのだった。


「それだと、アブナイ!って気づくのはもう、それが自分の身に迫ってからでしょう。

それじゃぁ遅いのよ、死神にみつかる前に、こっちから相手をみつけてないと、逃げられないでしょう。」


アーニャがたしなめるも、ワーニャときたら


「知らないやい、そんなことより、ボクおなかすいたーー!

今のゴハン、骨と皮ばっかりでもう飽きたぁーー

新しい、肉つきのゴハンが落ちてないか、探しに行こうよぅ。」


「まだ、骨と皮が食べられるでしょう。

移動するのはそれがなくなってからよ。」


もちろん、オオカミである実物のアーニャやワーニャがこんな会話をするわけはない。

だからこれは全部、あたしの空想。。。

アマリリスは寝袋の中で寝返りを打った。



いつしか姉弟はオオカミであることもやめてしまい、

アーニャは赤い花柄のプラトークで栗色の髪を包んだかわいらしい女の子、

一方のワーニャは上衣スウィトカも着なければ帽子も被らず、いかにもやんちゃそうな男の子の姿になっていた。


2人の行く手に広がる夜の森は、いつしか雪は止んでいた。

寒気はいっそう厳しく、2人の靴に踏まれた雪がきゅっきゅっと鳴る音が、野末の先まで聞こえてゆきそうな、静かな晩だった。

漆黒のビロードの空に、星と月が明るく光っていたが、その間を、まるで花の蜜を集める夏の蜂のように飛び回っている、不穏な影があった。


地上からは、上空の小さな点となってチラチラ見え隠れするだけだったが、

その斑点が近づくと、そこにあった星が消えて無くなってしまうのだった。

蜂であれば、花から蜜を集めても、花そのものをどうにかするなんてことはないが、

こいつは、夜空に輝いて万人を導く光を、次から次へと摘み取ってしまおうというのだ。

どういうつもりか知らないけれど、悪魔とか、妖術使いとか、そういう邪な眷属の仕業に違いなかった。


そいつが夜空から星をもぎ取るたび、こぼれた光が星屑となってしたたり落ち、地上の雪に触れてびかっと光る。

元の星の色に合わせて、青、黄、赤といった色合いに輝く花を咲かせるのだが、流れ星の飛影が見えているくらいの間の後には、薄らいで消えていってしまった。


星屑が降ってくるたび、ワーニャは歓声をあげて駆け出し、刹那の花をその手に掴もうと飛び込んでいくのだが、

ワーニャの挑戦を煽り立てるかのように、花は彼の手に触れる直前で消え失せてしまう。

アーニャはワーニャに対し、一人でどんどん先に行かないで、としきりに叱言こごとを言うのだが、ワーニャが言うこと聞くわけもなく、

2人は星屑の花にさしまねかれるようにして、森の奥へと踏み入れていった。


やがて星盗人ぬすびとはあらかたの星を集めきってしまい、とうとう、西の空にかかっている金色の満月に手をかけた。

星のように、かんたんに摘んでいくわけにはいかないらしく、月のへりに両手を掛けて大きく揺さぶって、とうとう月は夜空から外れた。

その拍子に、月光がざばっと地上に降り注いで、金色に輝く、大きな花を咲かせた。

星屑の花とは違って、黄金でできたヤマユリのようなその花は、咲いてすぐに消えてしまうということはなかった。


ワーニャは何ごとか喚きながら駆けていって、ついに、この世のものならぬ花をその手に掴んだ。

次の瞬間、花と共にワーニャの姿までが、霞のように消え失せてしまった。

アーニャはびっくりして、今しがたまで弟の姿のあった場所に駆け寄った。


月も星もなくなってしまったせいで、森の中はひどく暗くなっていた。

ほとんど手探りで、アーニャが雪の中から抱え上げたのは、彼女の両手に収まってしまうくらいの、一匹のハリネズミだった。


暗闇の森で悲嘆に暮れ、ハリネズミを胸に抱いてしくしくと泣き出してしまったアーニャの傍らに、新月のホタルのような淡い光が立ちのぼった。


「こんにちはっ!」


気配を感じて顔をあげたアーニャに、スネグルシュカはそう言ってぴょこりとお辞儀をした。

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